第17話 最後まで聞く
午前十時二十七分。
「第二階層で救難信号です」
管制員の声に呼ばれ、黒瀬慎吾は休憩室から管制室へ向かった。
大型画面には、第二階層の地図が表示されている。
点滅しているのは、一般見学路から少し離れた資材運搬試験区画だった。
「何があったの?」
「運搬台車の走行試験中に事故が発生しました。男性一名が、台車ごと斜面下へ転落しています」
「姿は確認できてる?」
「同行者からは見えていません。呼びかけにも反応がないそうです」
第二階層は、一般の見学客も訪れる低層区画だ。
魔物も少なく、通路も整備されている。
ただし、すべてが安全なわけではない。
鉱石の採掘や資材の運搬に使われる作業区画には、古い採掘跡や高低差のある道も残っている。
「同行者は?」
「息子さんです。怪我はありません」
「分かった。白石さん、行こう」
「はい!」
黒瀬と白石ひなたは、救助道具を持って第二階層へ向かった。
◇
「父が、この下へ落ちました」
事故現場で待っていたのは、二十代後半の青年だった。
金子拓海、二十八歳。
作業服の膝と両手が土で汚れている。
斜面の途中には、壊れた金属柵があった。
その先は暗く、底が見えない。
地面には、運搬台車の車輪が一つ転がっていた。
「救助管理所の黒瀬です。落ちたのは何分前?」
「一時間くらい前です」
「声は?」
「最初に一度だけ聞こえました。でも、それから返事がありません」
「一緒に落ちた台車の大きさは?」
「一人用の鉱石運搬台車です。試験用の鉱石を百二十キロほど積んでいました」
拓海が壊れた柵へ近づこうとする。
「近づかなくていいよ」
黒瀬が止めた。
「斜面の縁が崩れてる」
黒瀬は柵の手前へ膝をついた。
目を閉じ、意識を斜面の下へ向ける。
《索敵》。
周囲にいる生命の反応を探る。
背後には白石と拓海。
少し離れた通路には、救助要請を受けて立入規制を始めた管理員たち。
斜面の真下には反応がない。
さらに意識を広げる。
岩を挟んだ左下。
弱いが、人の反応がある。
「いるね」
拓海が息をのむ。
「生きてるんですか?」
「うん。ただ、真下じゃない」
黒瀬は立ち上がり、斜面の左側にある岩壁を見る。
「落ちたあと、途中の横穴へ入ったみたいだ」
「横穴なんて、地図にはありません」
「昔の作業路だと思う」
黒瀬は壁際を進んだ。
十数メートル先に、錆びた金属板が岩壁へ取り付けられている。
表面は土と埃に覆われ、通路の一部にしか見えない。
「白石さん。これ、開けられる?」
白石が金属板の縁へ手をかける。
「鍵がかかっています」
「壊していい。中に人がいる」
「はい」
白石が《身体強化》を使う。
金属板が大きく歪み、留め具が外れた。
その奥に、人一人が通れるほどの狭い作業路が現れる。
「拓海さんは、ここで待ってて」
「俺も行きます」
「中が安全か分からない」
「でも、台車の構造が分かるのは俺です」
黒瀬は拓海を見る。
声は震えている。
それでも、逃げようとはしていない。
「分かった。白石さんの後ろから来て」
「はい」
黒瀬が先頭に立ち、暗い作業路へ入った。
◇
作業路は急な下り坂になっていた。
壁には、かつて使われていた照明の配線が残っている。
足元には石や、折れた木材が散らばっていた。
黒瀬は何度か立ち止まり、《索敵》で反応の位置を確認する。
「あと十五メートルくらい」
「父は動いてますか?」
「ほとんど動いてない。でも、反応はあるよ」
さらに進むと、通路の先から金属がこすれる音が聞こえた。
「親父!」
拓海が声を上げる。
「拓海か……」
弱い返事があった。
拓海が前へ出ようとする。
「待って」
黒瀬が腕を伸ばして止めた。
携帯灯で奥を照らす。
作業路の突き当たりに、横倒しになった運搬台車があった。
積まれていた鉱石が床へ散らばっている。
台車と岩壁の間には、五十代後半の男性が倒れていた。
右脚が台車の下に挟まれている。
「金子正志さんですね」
「ああ……」
「救助管理所の黒瀬です。頭は打ってる?」
「少しぶつけたが、意識はある。それより、この台車を早く上げてくれ」
白石が台車へ近づく。
「白石さん、まだ触らないで」
黒瀬は台車の周囲を確認した。
外れた左の車輪。
折れ曲がった車軸。
岩壁へ当たり、歪んだ荷台。
荷台にはまだ、大きな鉱石が三つ残っている。
台車をそのまま持ち上げれば、鉱石が正志の上へ滑り落ちる可能性があった。
「先に石を下ろすよ」
「そんなものは後でいい」
正志が言った。
「荷台の左を持ち上げれば、脚は抜ける」
「左は持ち上げられないね」
「なぜだ?」
「車軸が折れてる。そこへ力をかけたら、荷台ごと正志さんの方へ倒れるかもしれない」
正志が黙る。
「俺も、そう思います」
後ろから拓海が言った。
「左側の外枠には力をかけないでください」
正志が息子を見る。
「拓海、お前は黙ってろ」
「黙れません」
「この台車を作ったのは俺だ」
「設計したのは俺だよ」
作業路が静かになる。
拓海は台車の前へしゃがみ、折れた車軸を確認した。
「中央に太い補強梁があります。そこなら荷重に耐えられます」
「その位置では持ち上げにくい」
正志が言う。
「持ち上げにくくても、壊れない」
「俺は何十年も金属を扱ってきた」
「分かってる。でも、この台車の図面を引いたのは俺だ」
正志が何か言おうとする。
黒瀬は拓海へ尋ねた。
「中央の補強梁は、どれ?」
拓海が荷台の下を指した。
「横に通っている黒い部材です。ただ、右側から真上に上げてください。
手前へ引くと、折れた車軸が回転します」
「白石さん、できそう?」
白石が位置を確かめる。
「はい。石を下ろせば持ち上げられます」
「じゃあ、その方法でいこう」
正志は黙って息子を見る。
黒瀬たちは、自分ではなく拓海の説明を聞いていた。
◇
白石が、荷台に残った鉱石を一つずつ下ろしていく。
一つ目。
台車が小さくきしむ。
「止めて」
拓海が言った。
白石はすぐに手を止めた。
拓海が台車の下をのぞき込む。
「折れた車軸が岩に引っかかっています。このまま石を動かすと、外れるかもしれません」
「どうすればいい?」
黒瀬が尋ねる。
「台車が動かないように固定します」
拓海は持ってきた救助用ロープを受け取り、台車の中央部分へ回した。
もう一方を、作業路に残っていた太い支柱へ結ぶ。
「その結び方で大丈夫?」
「工場で大型機械を固定するときにも使っています」
黒瀬がロープを引いて確認する。
「うん。これなら動かないね」
拓海は白石を見る。
「もう大丈夫です。右側の石からお願いします」
「分かりました」
白石が鉱石を持ち上げる。
今度は台車が動かなかった。
二つ目。
三つ目。
荷台が空になる。
拓海は作業の間も、父親の顔色と右脚の状態を何度も確認していた。
「親父、足先の感覚は?」
「ある」
「冷たくない?」
「大丈夫だ」
「吐き気は?」
「ない」
正志は面倒そうに答えていた。
だが、拓海に黙れとは言わなくなっていた。
黒瀬が正志のそばへしゃがむ。
「少し反応が弱くなってるね」
「俺は平気だ」
「平気な人は、そんなに汗をかかないよ」
黒瀬は白石を見る。
「急ごう。ただし、ゆっくり上げて」
「はい」
白石が台車の下へ両手を入れる。
「拓海さん。位置はここで合ってる?」
「もう少し奥です」
拓海が補強梁の位置を示す。
「そこです。真上にお願いします」
白石が《身体強化》を発動する。
歪んだ台車が、ゆっくりと持ち上がった。
金属がきしむ。
「まだ脚を動かさないで」
拓海が父親の右脚へ手を添える。
「台車が十分に上がってから抜く」
「分かってる」
「親父」
「何だ」
「今は俺の言うことを聞いて」
正志は息子を見た。
短い沈黙のあと、うなずいた。
「ああ」
白石がさらに台車を持ち上げる。
「黒瀬さん、上がりました!」
「拓海さん、脚をお願い」
「はい」
拓海が右脚を両手で支える。
黒瀬は正志の上半身を抱えた。
「引くよ」
「親父、自分で動かさないで」
二人で正志の身体を台車の下から引き出す。
正志が歯を食いしばった。
「あと少し」
右足が台車の下から抜ける。
「抜けました!」
拓海が声を上げた。
黒瀬と拓海が正志を安全な場所まで運ぶ。
白石は三人が離れたのを確認してから、台車をゆっくり下ろした。
正志の右脚は大きく腫れていた。
黒瀬が固定具を取り出す。
「骨折してる可能性があるね」
「工場には戻れるのか?」
正志が尋ねる。
拓海が呆れたように父親を見る。
「今、聞くこと?」
「仕事が止まるだろ」
「俺がいるよ」
正志は何も言わず、拓海を見た。
「そうだったな」
小さく答えた。
◇
正志を担架へ乗せ、来た道を引き返す。
先頭を黒瀬が歩き、白石と拓海が担架を運んだ。
途中で正志が口を開く。
「拓海」
「何?」
「台車のどこが壊れるか、最初から分かってたのか?」
「壊れるとは思ってなかった。でも、左の固定部に負荷が集中する可能性はあった」
「事故の前に、音に気づいていたな」
「うん」
「俺に言ったか?」
拓海は少し黙った。
「言ったよ」
正志の視線が揺れる。
「一度止めて確認しようって言った。荷物も下ろした方がいいって」
「……そうだったか」
「親父が最後まで聞かなかっただけだ」
拓海の声に怒りはなかった。
責めるためではなく、事実を伝えているだけだった。
正志は担架の上で天井を見る。
「工場でも、同じだったか?」
「何度も」
「そうか」
それ以上、正志は何も言わなかった。
◇
地上で診察を受けた結果、正志の右脚は骨折していなかった。
強い打撲と捻挫で、しばらく松葉杖が必要だが、手術の必要はないという。
救護所の待合室で、拓海は端末を操作していた。
「何をしてる?」
正志が尋ねる。
「同じ固定金具を使ってる製品を確認してる」
「今回の台車は試作品だ」
「同じ構造の製品は、もう出荷してる」
「問題が出たことはないぞ」
「今回出た」
拓海は画面を見たまま答える。
「原因が分かるまで出荷を止める。すでに納品したところにも連絡する」
「全部か?」
「全部」
「相当な損になるぞ」
「事故が起きたら、もっと大きな損になる」
正志が口を開く。
だが、すぐには言葉を出さなかった。
これまでなら、自分の経験を話していた。
同じ部品を何年使ってきたか。
今まで事故が起きなかったこと。
取引先へ余計な不安を与える必要はないこと。
しかし正志は、拓海の説明が終わるのを待った。
「左の固定金具だけに力が集中してる。前に出した改良案なら、左右へ負荷を分けられる」
拓海が続ける。
「部品は一つ増えるけど、点検もしやすくなる。
事故が起きたときの解除機構も付けられる」
「その図面は残ってるのか?」
「あるよ」
「俺は見たか?」
拓海は父親を見る。
「渡した」
「何て言った?」
「部品が増えるだけだって。二枚目まで見て返された」
正志は黙った。
「工場へ戻ったら、もう一度見せてくれ」
「同じ図面だよ」
「ああ」
「前と説明も変わらない」
「分かってる」
正志は膝の上で手を組んだ。
「今度は、最後まで聞く」
拓海はすぐには返事をしなかった。
父親の顔を見つめる。
「本当に?」
「途中で口を挟むかもしれん」
「それじゃ意味ないだろ」
拓海が少し笑った。
◇
救護所の外では、黒瀬と白石が救助道具を片づけていた。
松葉杖をついた正志と、その隣を歩く拓海が前を通る。
「ありがとうございました」
拓海が頭を下げる。
正志も続いて頭を下げた。
「助かった」
「脚、お大事にしてください」
白石が答える。
親子は並んで出口へ向かう。
正志は何度か足を止めたが、拓海の肩にはつかまらなかった。
代わりに、隣を歩く息子へ尋ねる。
「出荷を止めたあとの予定は?」
「まず在庫の全数点検。それから取引先へ連絡する」
「改良品の試験は?」
「事故原因が確定してから」
正志は最後まで聞いた。
「分かった。そのとおり進めろ」
拓海が足を止める。
「俺の判断でいいの?」
「あぁ」
正志は再び歩き始めた。
その日、正志は初めて、四代目へ工場を渡す日が遠い先の話ではないと考え始めていた。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
少しでも何かを感じて頂けたら評価とブックマークで応援いただけると執筆の励みになります!




