第14話 先に運ぶ人
午後二時四十分。
奥多摩第一ダンジョン、第六階層。
「また救難信号です」
管制員の声が、黒瀬慎吾の端末から聞こえた。
黒瀬は歩きながら、送られてきた地図を確認する。
隣では田所修平が折り畳み式の担架を背負い、白石ひなたが救助鞄を持っていた。
「今度はどこ?」
『青晶湖の東側にある退避所です。別々のパーティーから負傷者が二名運び込まれています』
「二人?」
『はい。一人は右足を負傷し、自力歩行ができません。
もう一人は魔物に胸を殴られたとのことです』
白石が黒瀬を見る。
「担架は一台ですよね」
「うん」
ここ数日、奥多摩第一ダンジョンを訪れる探索者は増え続けていた。
三億円で買い取られた星脈鉱の話が広まり、普段より深い階層へ挑戦する者も多くなっている。
探索者が増えれば、事故も増える。
今日だけでも、黒瀬たちはこれが三件目の出動だった。
『別の救助班も向かっていますが、現在は第四階層です』
「分かった。先に状態を確認するよ」
『お願いします』
通信が切れる。
田所が担架の肩紐を直す。
「どっちかを先に運ぶしかないな」
「状態を見てから決めよう」
三人は退避所へ急いだ。
◇
退避所には、二組の探索者がいた。
入口に近いベンチでは、二十代の男性が右足を伸ばして座っている。
足首は大きく腫れ、防具を外した部分が紫色に変わっていた。
「痛い……」
男性は額に汗を浮かべ、何度も右足を押さえている。
そばには仲間の男性が二人いた。
その一人が、黒瀬たちを見るなり立ち上がった。
「救助隊ですよね?」
「救助管理所の黒瀬です」
「早く、こいつを運んでください。歩けないんです」
「まず状態を見ますね」
黒瀬は負傷者の前へしゃがんだ。
「名前は?」
「北原……北原修也です」
「足を動かせる?」
「無理です。少し触っただけでも痛くて」
黒瀬が靴を脱がせ、腫れの状態を確認する。
骨折している可能性は高い。
ただし、大きな出血はない。
足先の感覚もあり、指も動かせている。
「いつ怪我をしたの?」
「三十分くらい前です」
仲間の男性が答える。
「岩場から落ちました。俺たちが担いで、ここまで連れてきたんです」
「分かりました」
「すぐ運べますよね?」
黒瀬は答えず、退避所の奥へ目を向けた。
壁際のベンチに、四十代の女性が座っている。
女性は胸元を押さえていた。
探索服に大きな破れはなく、出血も見えない。
隣には女性の仲間らしい男性が一人いる。
「次に、そちらを見ます」
北原の仲間が黒瀬の腕をつかみかける。
「待ってください。こっちは歩けないんですよ」
「分かっています」
「だったら、先に運んでください」
「状態を見てから決めるよ」
黒瀬は立ち上がり、奥の女性へ向かった。
◇
「お名前は?」
「野村恵です」
女性は静かに答えた。
声は出ている。
だが、短い言葉の間にも小さく息を吸っている。
「何がありましたか?」
「青晶猿に、胸を殴られました」
隣にいた男性が説明する。
「俺が倒しました。野村さんはそのあとも歩けたんですが、だんだん息が苦しくなってきて」
「いつ頃?」
「一時間くらい前です」
黒瀬は女性の顔を見る。
額に汗が浮いている。
唇の色も薄い。
「野村さん。深く息を吸えますか?」
女性は息を吸おうとした。
すぐに顔を歪める。
「痛いです」
「どちら側?」
「右です」
黒瀬は女性の右胸へ触れ、痛む場所を確認する。
呼吸が浅く、回数も多い。
「気持ち悪さは?」
「少し」
「めまいは?」
「あります」
白石が女性の顔をのぞき込む。
「さっきより顔色が悪くなっていませんか?」
仲間の男性がうなずく。
「はい。退避所に着いたときは、もっと話せていました」
女性が黒瀬を見る。
「私は大丈夫です」
声は弱かった。
「向こうの若い人を先に運んでください。すごく痛そうなので」
黒瀬は女性の手首を取り、脈を確認する。
速い。
しかも弱い。
「田所」
「ああ」
田所も女性の呼吸を見る。
「先はこっちだな」
黒瀬がうなずいた。
「野村さんを担架で運びます」
その言葉を聞き、入口側から声が上がった。
「ちょっと待ってください!」
北原の仲間が立ち上がっている。
「何でそっちが先なんですか?」
「野村さんの方が、急いで地上へ運ぶ必要があります」
「こっちは歩けないんですよ」
「分かっています」
「俺たちが先に救難信号を出しました」
黒瀬は男性を見る。
「救助は、呼んだ順番じゃないよ」
男性の表情が険しくなる。
「じゃあ、怪我がひどい方でしょう?」
「うん。だから野村さんを先に運ぶ」
「見た目は普通じゃないですか」
男性は野村を指す。
「話せてるし、血も出てない。修也は足がこんなに腫れてるんですよ」
北原も痛みに耐えながら言う。
「俺はいいから……」
「よくないだろ」
仲間が声を荒らげる。
「ずっと痛がってるじゃないか」
白石が二組の間に入る。
「落ち着いてください」
「落ち着けるわけないでしょう」
男性は白石ではなく、黒瀬を見た。
「俺たちの方が先に来て、先に呼んだ。それなのに後回しなんですか?」
黒瀬は野村のそばから離れずに答えた。
「北原さんの足は、骨折している可能性が高い。かなり痛いと思う」
「だったら――」
「でも、足先の感覚はある。血も止まってる。今すぐ命に関わる状態ではない」
黒瀬は野村を見る。
「野村さんは、呼吸がさっきより速くなってる。
脈も弱い。胸の中で出血しているか、肺が傷ついている可能性がある」
北原の仲間が黙る。
「外から血が見えなくても、待たせられない怪我はあるんだよ」
「でも、修也だって苦しんでるんです」
「分かってるよ」
黒瀬は強く否定しなかった。
「だから、必ず戻る」
「どのくらいかかりますか?」
「別の救助班が向かってきてる。俺たちが野村さんを第五階層まで運んで引き渡したら、すぐ戻る」
「その間、ここに置いていくんですか?」
「田所が残る」
田所が北原の前へ移動する。
「俺が足を固定して、痛みの変化を見る。何かあれば、すぐ管制に連絡する」
北原は仲間の腕をつかんだ。
「もういい」
「でも」
「俺の方が平気なんでしょ…」
黒瀬は北原を見る。
「待てる状態だよ。ただ、痛みが強くなったら我慢せず田所に言って」
北原は額の汗を拭い、うなずいた。
「分かりました」
仲間の男性はまだ納得していない様子だった。
それでも、それ以上は何も言わなかった。
◇
白石が担架を広げた。
野村をゆっくり横たえ、上半身を少し起こした状態で固定する。
「野村さん、苦しくなったらすぐに言ってください」
「はい」
「白石さん、前をお願い」
「分かりました」
黒瀬と白石が担架を持ち上げる。
田所は北原の足を固定するため、救助鞄を開いていた。
「黒瀬」
「何?」
「こっちは任せろ」
「うん。戻ってくる」
黒瀬たちは退避所を出た。
◇
野村の呼吸は、歩くたびに浅くなっていた。
「野村さん、聞こえますか?」
黒瀬が尋ねる。
「はい」
「名前をもう一度言えますか?」
「野村……恵です」
「今日は誰と来ましたか?」
「会社の……同僚です」
答えられている。
だが、声は先ほどより弱い。
白石が担架を持ったまま、黒瀬を見る。
「急いだ方がいいですか?」
「揺らさない範囲でね」
二人は歩幅を合わせ、速度を上げる。
第五階層へ続く通路の途中で、別の救助班と合流した。
「胸部を強打。呼吸が浅く、脈が速い。状態が悪化しています」
黒瀬が引き継ぎを行う。
「了解しました。地上まで運びます」
新しい救助班が担架を受け取る。
野村が黒瀬を見る。
「向こうの人は……」
「これから迎えに戻るよ」
「お願いします」
「うん」
黒瀬と白石は、すぐに来た道を引き返した。
◇
退避所へ戻ると、北原はベンチに横たわっていた。
田所が腫れた右足へ固定具を巻き、心臓より少し高い位置へ上げている。
「遅かったな」
「走って戻ってきたよ」
「ちょうど、管理所から出たもう一班が到着したところだ」
田所の隣には、担架を持った救助員が二人いる。
白石が息を整えながら北原を見る。
「痛みはどうですか?」
「さっきよりは少し楽です」
田所が言う。
「腫れは強いが、状態は変わってない。地上まで運べる」
北原の仲間が黒瀬へ近づく。
先ほど声を荒らげた男性だった。
「あの女性は?」
「別の救助班へ引き渡しました。もう地上へ向かっています」
「かなり悪かったんですか?」
「うん」
男性は退避所の床を見る。
「俺、見た目だけで軽い怪我だと思ってました」
「分かりにくい怪我だったからね」
「すみませんでした」
黒瀬は首を横へ振る。
「仲間が痛がってたら、早く助けてほしいと思うよ」
男性が顔を上げる。
「でも、あの人の方が待てなかったんですよね」
「うん」
北原がベンチの上から尋ねる。
「あの人、助かりますか?」
「間に合うと思う」
「なら、よかったです」
田所が担架を準備する。
「次は北原さんの番だ」
北原は小さく笑った。
「お願いします」
◇
地上へ戻ると、北原は救護室へ運ばれた。
右足首は骨折していたが、手術が必要なほどではなかった。
野村は胸部の内側で出血しており、地上へ到着後、すぐに緊急処置を受けた。
あと少し搬送が遅れていれば、危険な状態になっていたという。
救護室の前で、白石が黒瀬へ尋ねた。
「野村さん、外からは重傷に見えませんでした」
「そうだね」
「北原さんの方が、ずっと苦しそうでした」
「痛みが強い怪我と、待てない怪我は同じとは限らないんだよ」
白石は救護室の扉を見る。
「もし、北原さんを先に運んでいたら……」
「野村さんは地上まで持たなかったかもしれないね」
白石の表情が固くなる。
「怖いですね」
「うん」
救護室の扉が開いた。
北原の仲間が出てくる。
「黒瀬さん」
「どうしました?」
「野村さん、処置が終わったそうです。命に別状はないって」
「そう」
男性はほっとした顔をした。
「修也も、あの人が大丈夫かずっと気にしてました」
「北原さんも大丈夫そう?」
「はい。しばらく松葉杖ですけど」
「よかった」
男性はもう一度頭を下げ、救護室へ戻った。
白石がその背中を見送る。
「先に運ばれなかった人も、不安なんですね」
「置いていかれたように感じるからね」
「どうしたら安心してもらえるんでしょうか」
黒瀬は少し考える。
「必ず戻るって伝えることかな」
「それだけですか?」
「それで戻ってくれば、次は信じてもらえるよ」
白石はうなずいた。
黒瀬は空になった担架を畳む。
「じゃあ、片づけようか」
「はい」
最後まで読んでいただきありがとうございます。
少しでも何かを感じて頂けたら評価とブックマークで応援いただけると執筆の励みになります!




