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元日本最強の探索者、今はダンジョン救助員です ~平凡スキル《索敵》を極めたおじさん~  作者: アカメノコバチ


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12/23

第12話 引っ張らないで

 午前十一時三十八分。


 奥多摩第一ダンジョン、第七階層。


「大地、足元に気をつけろよ」


「分かってる」


 藤野航平の声に、先頭を歩く石原大地が答えた。


 三人が進んでいるのは、岩壁に沿って延びる細い足場だった。


 幅は一メートルほど。


 右側は四メートル下まで切れ落ち、その先にも急な斜面が続いている。


 三人は一本の探索用ロープで身体をつないでいた。


 先頭が大地。


 三メートル後ろに航平。


 さらに三メートル後ろに西尾拓海。


 ロープの最後尾は、岩棚の入口に残されていた固定杭へ結ばれている。


 固定杭は錆びていたが、航平が手で揺らしても動かなかった。


「これなら、誰かが落ちても残った二人と杭で止められる」


 三人とも、探索者の中では最も低いD級。


 第七階層へ入るのは今日が初めてだった。


 大地が足元の小石を避けようと、岩壁へ身体を寄せる。


 そのとき、右足で踏んだ別の石が回った。


「うわっ」


 大地の身体が岩棚の外へ傾く。


「大地!」


 航平が手を伸ばしたが、届かなかった。


 大地が岩棚から落ちた。


 次の瞬間、三人をつないでいたロープが一気に張る。


「ぐっ!」


 航平は腰を強く引かれ、前のめりに倒れた。


 そのまま岩棚の縁まで引きずられ、腹ばいになる。


 胸から上は崖の外へ出ていた。


「航平!」


 後ろにいた拓海も腰のロープに引かれ、尻もちをつく。


 両足を岩の出っ張りへ押し当て、航平の安全帯を両手でつかんだ。


「止まれ! それ以上行くな!」


 四メートルほど下で、大地の落下が止まる。


「大地! 返事しろ!」


「う……」


 大地は岩壁に身体を押しつけられ、宙づりになっていた。


 ロープが脇腹へ深く食い込んでいる。


「引っ張るな。苦しい」


 航平は身体を岩棚へ戻そうとした。


 だが、腰のロープに大地の全体重がかかり、動けない。


「拓海、引いてくれ!」


「やってる!」


 拓海は航平の安全帯をつかんだまま、後ろへ体重をかけた。


 航平の身体が少しだけ戻る。


 その分、大地の身体が持ち上がり、岩壁へ強く押しつけられた。


「痛い! やめろ!」


 二人が動きを止める。


 拓海が後ろを振り返った。


 三人のロープを支えている固定杭が傾き、根元から砂がこぼれている。


「航平、杭が抜ける」


 航平は崖際で腹ばいになったまま、動けなかった。


 拓海も安全帯から手を離せない。


 離せば航平が崖へ引かれる。


 引けば大地の身体を傷つけ、固定杭にもさらに力がかかる。


 航平は片手で救難端末を取り出した。


 ◇


「第七階層西側から救難信号です」


 白石ひなたと坂井は、第七階層東側を巡回していた。


『D級探索者三名。一名が岩棚から滑落し、ロープで宙づりになっています』


 坂井が端末の地図を確認する。


「ここから近いな。先に行くぞ」


「はい」


『黒瀬さんにも連絡していますが、現在は第五階層です』


「俺たちで落下を止める」


 二人は西側の岩棚へ急いだ。


 ◇


「救助管理所だ!」


 坂井の声に、拓海が振り返った。


「こっちです!」


 白石と坂井が岩棚へ駆け込む。


 航平は岩棚の縁で腹ばいになり、腰を崖側へ引かれている。


 拓海はその後ろで尻もちをつき、航平の安全帯を両手でつかんでいた。


 さらに後方では、三人のロープを支える固定杭が半分近く浮いている。


 岩棚の下には、大地が宙づりになっていた。


「三人とも、そのまま動くな!」


 坂井が叫ぶ。


「白石、固定杭と西尾の間のロープを持て!」


「はい!」


 白石は拓海の後ろへ回り、強く張ったロープを両手でつかんだ。


 《身体強化》を発動する。


「西尾さん、藤野さんの安全帯をつかんでいる手を、少しずつ緩めてください」


 白石が言った。


「離したら、航平が落ちます!」


「私が三人分の重さを持ちます」


 拓海が慎重に腕の力を緩める。


 航平と大地を崖側へ引いていた重さが、白石の両腕へ移った。


「持てます」


「そのまま動かすな」


 坂井は航平と拓海を、別の岩へ予備ロープで固定した。


 これで固定杭が抜けても、二人まで落ちることはない。


「石原さん、聞こえるか?」


「はい……」


「今から助ける。もう少し耐えてくれ」


 白石がロープを握り直す。


「引き上げます」


「ゆっくりだ」


 白石が力を込める。


 大地の身体が少し上がった。


 だが、ロープが岩棚の縁を通っているため、大地の身体は上ではなく岩壁へ押しつけられる。


「痛い!」


 同時に、航平の腰のロープも強く締まった。


 固定杭の根元から、さらに砂が落ちる。


「白石、止めろ!」


 白石はすぐに動きを止めた。


「引き上げられません」


「一本のロープに全員がつながってるからな」


 大地を引けば、航平と拓海にも力が伝わる。


 固定杭へ力をかければ、杭そのものが抜ける。


「私が下へ行きます」


「白石がそのロープを離れたら、石原さんを支える人間がいなくなる」


 白石は答えられなかった。


 坂井が管制へ連絡する。


「こちら坂井。落下は止めた。ただし救出できない。固定杭も限界だ」


『黒瀬さんが第七階層へ入りました』


「分かった」


 白石はロープを握り続ける。


 力にはまだ余裕がある。


 それでも、強く引くことはできなかった。


 ◇


 数分後。


 岩場を駆ける足音が近づいてきた。


「黒瀬さん!」


 黒瀬慎吾が岩棚へ到着する。


「状況は?」


「石原さんが下。藤野さんは崖際で腹ばい。西尾さんはその後ろだ。

全員一本のロープでつながってる」


 黒瀬はロープの通り方を見る。


 大地。


 航平。


 拓海。


 そして、抜けかけた固定杭。


 ほんの数秒だった。


「白石さん、引っ張らないで」


「でも、力を抜いたら落ちます」


「落とさないよ」


 黒瀬は救助鞄を下ろした。


「一人ずつ、別のロープへ移す」


 黒瀬は救助ロープを取り出す。


「坂井。藤野さんと西尾さんの固定を確認して」


「できてる」


「白石さん自身も固定して」


「私もですか?」


「杭が抜けたときに、崖へ引かれないようにね」


「はい」


 坂井が白石の安全帯を別の岩へつないだ。


 黒瀬は自分の腰にもロープをつける。


「俺が下へ行く」


「俺が行きます」


 坂井が言った。


「坂井は上で、新しいロープを管理して」


「分かりました」


 黒瀬は白石を見る。


「白石さんは、石原さんが落ちないように、その位置でロープを支えていて」


「はい」


「俺が別のロープをつけるまでは、引き上げなくていいよ」


 黒瀬は岩棚の下へ降りていった。


 小さな岩の出っ張りへ迷いなく足を置き、大地のそばへ到達する。


「石原さん?」


「…はい」


「救助管理所の黒瀬です」


「う、上の二人は?」


「大丈夫。全員帰すからね」


 黒瀬は大地の身体へ救助用の帯を通した。


 胸と太腿で体重を支えられるように調整し、新しいロープへつなぐ。


「坂井、つながったよ」


「確認した」


 坂井が新しいロープを張る。


「白石さん。三つ数えたら、少しだけ緩めて」


「緩めるんですか?」


「大地さんの重さを、新しいロープへ移す」


 黒瀬は大地の身体を支えた。


「一、二、三」


 白石が少しだけ力を緩める。


 大地の身体が数センチ下がり、新しいロープが張った。


「そこで止めて」


 黒瀬は大地を岩壁から離し、身体の向きを変える。


「もう少しだけ」


 白石がさらに力を緩める。


 大地の体重が、古いロープから新しい救助ロープへ移っていく。


 航平の腰を崖側へ引いていた力も消えた。


「身体が引かれなくなった……」


 航平がつぶやく。


「白石さん、もう離していいよ」


 白石が古いロープから手を離す。


 大地は落ちなかった。


「坂井。上は大丈夫?」


「三人とも固定できてる」


「じゃあ、切るよ」


 黒瀬は救助用ナイフを抜いた。


 大地の安全帯へ食い込んだ古いロープを切断する。


 張りを失ったロープが跳ねた。


 その直後。


 岩棚の後方にあった固定杭が、岩から抜けた。


 杭は斜面を転がり落ちていく。


 航平と拓海の顔色が変わった。


 もし、あのまま白石が引いていたら。


 途中で杭が抜け、大地だけでなく航平と拓海まで崖へ引かれていた。


「白石さん」


 下から黒瀬の声がする。


「はい」


「今度は引いていいよ」


 白石は新しい救助ロープをつかんだ。


「坂井さん、お願いします」


「俺が方向を取る。ゆっくり上げろ」


「はい」


 白石が力を込める。


 今度は、大地の身体が岩壁へ押しつけられない。


 黒瀬が下から支え、坂井が上でロープを調整する。


 大地はゆっくりと岩棚へ引き上げられた。


 ◇


 大地は脇腹と肩を打っていた。


 航平は右肩を痛め、拓海の両手にはロープによる擦り傷ができている。


 白石と坂井が応急処置を行った。


「すみません」


 航平が俯く。


「安全のために、三人をつないだんです」


「誰かが落ちても、二人で助けられると思った?」


 黒瀬が尋ねる。


「はい」


「ロープでつなぐこと自体は間違いじゃないよ」


 黒瀬は切断したロープを見る。


「誰かが落ちたときに、その人だけ別のロープにつなぎ直せるようにしておかないとね」


「俺、下から切ってくれって言いました」


 大地が言う。


「切ったら落ちるだろ」


 拓海が答えた。


「だから切れなかった」


「先に別のロープへつなげばいいんだよ」


 黒瀬は固定杭が抜けた跡を見る。


「杭も、表面だけじゃなくて根元まで確認しないとね」


「はい」


 航平は小さくうなずいた。


 ◇


 帰路では、黒瀬が大地を背負った。


 航平は坂井に肩を支えられ、拓海は白石と荷物を分けて歩く。


「黒瀬さん」


 白石が声をかけた。


「何?」


「どうして、すぐに引いてはいけないと分かったんですか?」


「杭の周りから砂が落ちてたからね」


「それだけですか?」


「三人の身体が、全部同じ方向へ引かれてた」


 白石は現場を思い返す。


「私は、大地さんを上げることしか考えていませんでした」


「でも、落ちないように止めてくれたでしょう」


「止めただけです」


「白石さんが止めたから、考える時間ができたんだよ」


「黒瀬さんなら、一人でも助けられましたか?」


「無理だよ」


 黒瀬は前を向いたまま答える。


「白石さんが重さを持って、坂井が上を管理したから、俺が下へ行けた」


 坂井が振り返る。


「聞いたか、白石」


「はい」


「黒瀬さんはこういうとき人を褒めるから、半分くらいで聞いとけ」


「坂井」


「何ですか?」


「航平さんを落とさないでね」


「落としませんよ」


 黒瀬の背中で、大地が小さく笑った。


 ◇


 地上へ戻ると、三人は救護室で診察を受けた。


 大きな怪我はなかったが、後日、ロープを使った安全確保の講習を受け直すことになった。


 救護室の前で、航平が黒瀬たちへ頭を下げる。


「ありがとうございました」


「次は、ちゃんと勉強してから使います」


 坂井がうなずく。


「知ってることと、使えることは別だからな」


「はい」


 航平は黒瀬を見る。


「もっと俺たちに力があれば、大地を引き上げられたんでしょうか」


 黒瀬は首を横へ振る。


「今日は、引っ張る力の問題じゃなかったよ」


 航平は、斜面へ落ちていった固定杭を思い出したのだろう。


 静かにうなずいた。


「はい」


 三人はもう一度頭を下げ、救護室へ戻っていった。



最後まで読んでいただきありがとうございます。

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