21.話せばわかるって一度は言ってみたいですよね
なんともいえないピリッとした緊張感に身震いする。
聖教のシスターと異端の民。絶対に接触してはいけない二人が、ついに出会ってしまった。
単なる不仲という言葉では言い表せない。
アストレアさまとの間にあった気まずさとは比較にならないほどに、空気が重い。
「……」
無言のまま、アルトゥールの手が腰元にのびる。しかしそこに彼の剣はない。武具保管庫から手元に喚び出すかどうか考えているのだろう。
――いやいやいやいやダメだよ!
伝われこの想い。アイコンタクトで必死に訴える。
返ってきたのは冷ややかなまなざしだった。
デスヨネ。私のせいダモンネ。
でもきっと、ここでアルさんが剣を握ってしまったら、取り返しがつかない。
どうしよう。
アルさんを連れて、どこかへ逃げ出すべきかな。
だけど、そしたらカルロッタさまは、どう思うだろう。
そのとき私は、数少ない友人から受けた助言を思い出した。
そうだ。あれは、ユラが学園に侵入してくるよりも前、アルさんについて私がまだ何も知らなかった頃のこと――。
* * *
「あれ? メルフィズ?」
『第一書庫の番人』ジルベール=レグルスは、トレードマークの丸眼鏡をくいっと指で押し上げて、書庫では滅多に会わない先客を観察した。
「ジル先輩、やっぱりここにいた!」
ジル先輩は、きょとんとした表情で首をかしげた。……気がする。
彼は制服のローブのフードをいつも被っていて、全身のほとんどが布の影に埋もれているのだ。陽の光が苦手らしい。
全体的に色素が薄ければ影も薄い。薄暗い書庫に溶け込むような、大人しく目立たない青年だった。
その同室者とは、対照的に。
「めずらしいね、きみが書庫にくるなんて。ジークはどうしたの?」
「トムとセットみたいにするのはやめてくれ」
「あはは、ごめんごめん。きみたち仲良いから……お互い相方いないなら組んじゃえばいいのに」
「やだよあいつの相方なんて!」
トムの同室者であるジル先輩は、身体が弱くて講義も休みがちだ。当然、模擬戦には出られない。
「でもジーク、腕はいいじゃないか」
「あんだけ目立つ奴に決まった相手がいないのは、事故物件だからだよ。作戦無視して単騎突撃、一点突破とか、まともな術師には付き合いきれない」
剣術専攻次席アイン=クライン=ナハトムジークという男は、将官という立場でありながら、術師の支援を振り払い、最前線で敵軍を薙ぎ倒す、移動型の人間要塞である。
てっきり盛りに盛られた噂だろうと思っていたのに、私は去年の総演で実際に見てしまったのだ。脳筋馬鹿の完成形を。
「きみでも?」
「もちろんだよ! おとなしく術師の護衛なんてするタマじゃないだろ」
トムが探している相方とは、後方支援の魔術師団ではなく、自分と並走して強化魔術をかけられる脳筋術師だった。
前衛突撃隊に混ざっていた私はちょうどいいとばかりに目をつけられて散々な苦労をさせられた。あんなのは二度とやりたくない。
「どうだろう、ジークも、メルフィズだったら守ってくれるんじゃないかな。態度はアレだけど、気に入った子には甘い奴だから」
「あれのどこが……それに俺、同室者できたし」
「そうなの? もしかして、剣術専攻の大型新人くん?」
「たぶんそれ。もうそんな広がってんの!?」
「ジークが気にしてたからね。そっか、彼、メルフィズの同室だったのか。通りで……あ、ごめんね。調べ物の邪魔しちゃって」
アルさんがいてくれてよかった。トムの誘いを断る絶好の方便になる。
なお、どちらにしても私の立つ瀬はない。
脳筋馬鹿にしろインテリ剣士にしろ、単体性能がおかしい。あの人らに魔術の支援とかいらない。
そもそも剣術専攻クラスを束ねている『閃光』のバルデアさまからして、身体能力と技術のみで『五光』に名を連ねている異常者である。誰もつっこまないけど。
「ううん全然。そうだ、聖国の歴史について、なんかいい資料ない?」
私は軽い気持ちで尋ねた。
「聖国史? それならカルロッタさまに聞けばいいのに。あの方は学者である以前に聖教の修道院長もされていたし、詳しいと思うよ」
「いや、ちょっとそれには問題が……ええと、ほら、苦手なんだよね、あの人」
「そうだっけ? 意外だな、メルフィズは『五光』の方々に憧れてるんだと思ってた。そうなるとこまったなあ、専門性の高い書籍はだいたいカルロッタさまの研究室にあるんだよ」
「う……」
憧れていた。ほんのちょっと前まで、いや一応、今でも。ちょっと知りたくなかった裏事情を聞きかじってしまっただけで。
直接カルロッタさまに聞きに行くのはまずいよなあ。それはさすがにわかる。専門性の高い書籍とやらを私が理解できるとも思わない。
「ところで、どんなことについて調べたいの?」
「んー、宗教行事について、かな? フェス……なんだっけ」
「祝祭? 聖教の祝祭は年にいくつかあるけど……」
「そうだ、フェストゥム! フェストゥムサングィス!」
「血? ……メルフィズ、なにを調べようとしてるの」
ジル先輩の声色が硬くなったことに、私は気づかなかった。
「なにって、うーん、民族? 文化? みたいな?」
「聖国は単一民族国家だよ」
「えっ」
「血統主義が根強いからね……聖都周辺や特権階級は近親婚も多いらしいし……ルシオラもそうでしょ?」
「どうかな……うちはほら、箱入りだから」
「まあ、正確には単一民族国家になったんだけど。聖教自体はもともと祖国のものだからね」
「ぱとりあ?」
ジル先輩は答えてくれなかった。そんなことは今までなかったのに。わからないことがあって駆け込むたびに、説明してくれたのに。
そういえば、ジル先輩の出身も、聖レガリア皇国なんだっけ――。
「『血の祝祭』なんて僕は知らないけど、あまりいい雰囲気はしない言葉だ」
「ふぅん?」
「いいかい、メルフィズ。学内にある書物の九割に目を通したこの僕が知らないってことは、もっと重く受け止めるべきだよ」
ハッキリと釘を刺されてはじめて、私は状況を理解した。かなり本気の警告をされているらしい、と。
「表向きは開けた聖国の、綴られることのなかった裏の歴史だとしたら――あまり深入りしない方がいい」
「でもさ、……俺、なにも知らないんだ」
知ってて当たり前なことも、知らなくて当たり前なことも、区別がつかないくらいに何も知らない。
狭い世界が嫌で飛び出してきたはずなのに、嫌だ嫌だってそればっかりで、俺は――私は、なんにも知ろうとしていなかった。
「いいかい、メルフィ。物事には順序がある。聖国のことを知りたいなら、僕はまず、カルロッタさまを味方につける方法を考えるべきだと思うよ」
* * *
結局、ユラが飛び込んできて、思いがけない形で私は『血の祝祭』の意味を知ることになってしまったけれど。
ジルベール=レグルスは、私の知る限り、アルトゥールよりも頭がいい唯一の学生だ。あらゆる演習を免除され、ひとり黙々と研究に打ち込むことを許された特待生で、講義時間の大半も書庫か自室に引きこもっている。
他人にまったく興味がない研究者気質の学生が多い召喚専攻の中で、落ちこぼれの後輩の面倒をみてくれた貴重な先輩だった。
トムの興味がアルトゥールに移る前は、私の部屋までおしかけてクラス替えを迫ろうとするトムを連れ帰ってくれた、偉大な先輩でもある。
なんといっても『融光』のジェラールさまの研究室に所属する弟子なのだ。『聖樹の宿し子』の初版が学内にあることも、ジル先輩が教えてくれなければ私は知らないままだったろう。
そんなジル先輩が言うのだから、きっと――。
「カルロッタさま、わた、――俺の話を聞いてくれませんか! これには深い事情があってですね」
なにか、方法があるんだと、思うんだ。
「おい」
アルトゥールの視線が鋭くなる。
「異端……いえ、侵入者は見つけ次第、排除するのが原則です。彼は正式な学生でもないのでしょう? フォノンの横暴にもこまったものです。ジェラールの不在をいいことに……」
それはちょっと私も思いました。
カルロッタさまの嘆きにうんうんと同意しかけたところで、アルトゥールのため息が聞こえた。
「入学試験ならば、正規の手続きで一度受けている」
「あなたの在籍記録は10年前のものです。私の赴任が決まると同時に学園を去った――ちがいますか? アルトゥール=ゼノア」
「なるほど。改竄された記録の調べはついているということか。油断したな、フォノンめ」
「私も『五光』の端くれです。違和感を持つべき事象を疑わないように誘導されていること、それが一つや二つではなく増えていくことに、いつまでも気づかずにいるとでも? まして想定外の事態に動揺した彼女の詐術を破れないほど愚かではありません」
カルロッタさまは腰元の教鞭を手に取って、ピシリと地面に打ちつけた。金色の魔術光が、火花のように散る。
ひえぇ、こっわ! フォノンさまとは別方向ながら、同じく絶対に逆らってはいけない系の怖さを感じ、やっぱり判断誤ったかもと思いながら私はアルトゥールを振り仰いだ。
そして、異変に気づく。
触れてない。のに、アルさんがアルさんだ。
短髪の美少年アルトくんではなく、長髪のブリザード美形アルトゥールそのままの姿が、そこにある。
フォノンさまの幻術が、完全に無効化されてる――!?
「白々しいな。本物の学生かどうかなど些細な問題でしかない。――お前たちの興味は俺の血にあるんだろう?」
そういうが早いか、アルトゥールの足元が輝き――武具保管庫に刻まれた転送魔術の陣だ――次の瞬間には、彼の手元に、あの無骨な剣が握られていた。
まずい。
まずい。
まずい。
順序守ったってダメじゃんジル先輩!
でも止める方法が思いつかない。
私にそんな力はない。
「メルフェザードは『代償術』に巻き込まれただけだ」
武器を手にして一歩前に出ながら、アルトゥールはしれっと嘘をつく。
その途端、ここまでのやりとりで召喚契約について一言も触れていないことに気づいた。彼は、この期に及んで、私を部外者にしようとしている。
なんてこった!
それはダメだ。それだけはダメだ。
私がやらかしたこと、私の生まれてきた意味、私のこれまでをすべて彼一人に背負わせるなんて、許せるはずがない。
「ふっざけんなよ、この――」
カルロッタさまの存在を忘れて、アルトゥールに怒りをぶつけようとしたとき、私たちの視界をとつぜん紫色の光が埋め尽くした。




