9
ユートは走りながら、目の前に浮かんだ文字を見つめていた。
【身体成長値――反応開始】
【成長効率を計測します】
走っている最中だというのに、ステータス画面は消えない。
「成長効率……?」
ユートはその言葉を口の中で繰り返した。
昨日までは、努力すれば何かが増えると思っていた。
剣を振れば剣術経験値が増える。
周囲を観察すれば知覚経験値が増える。
攻撃を避ければ回避経験値が増える。
身体を鍛えれば、いつか身体能力も上がる。
それだけだと思っていた。
しかし、今の表示は違う。
同じ努力でも、やり方によって結果が変わるのかもしれない。
【現在の鍛錬内容】
【走行距離――0.8km】
【基準速度――昨日比0.96】
【身体負荷――低】
【成長効率――測定中】
「……昨日より遅い」
ユートはすぐに気づいた。
昨日は五キロを走り切ることだけを考えていた。
今日は身体成長値がどう反応するのかを確かめようとしている。
そのため、最初から全力では走っていない。
身体の状態を確認しながら走っている。
呼吸。
足の運び。
腕の振り。
昨日の灰狼から逃げたときに感じた身体の重さ。
それらを一つずつ思い出す。
「ただ走るだけじゃない」
ユートは速度を少し落とした。
「今日は身体の使い方を見る」
呼吸を整える。
鼻から吸って、口から吐く。
足を地面へ強く叩きつけない。
身体を前へ倒しすぎない。
肩に力を入れない。
昨日までは五キロという距離だけを目標にしていた。
今日は違う。
同じ五キロでも、身体への負担を抑えながら最後まで動けるようにする。
それを試してみる。
しばらく走ると、身体の感覚が変わってきた。
最初は少し重かった足が、徐々に動きやすくなる。
呼吸も乱れていない。
肩にも余計な力が入っていない。
ユートはそのまま走り続けた。
【走行距離――3.2km】
【身体負荷――中】
【成長効率――0.8】
「0.8……?」
数字が表示された。
だが、その意味は分からない。
ユートは走りながら考えた。
「昨日より速く走ったほうがいいのか?」
試してみる。
少し速度を上げた。
足の回転を速くする。
呼吸が一気に苦しくなった。
肩にも力が入る。
身体が前へ流れる。
走っているというより、身体を無理やり動かしている感覚だった。
【身体負荷――高】
【成長効率――0.6】
ユートは目を見開いた。
「……下がった」
速く走ればいいわけではない。
ユートはすぐに速度を戻した。
呼吸を整える。
少しずつ楽になっていく。
【身体負荷――中】
【成長効率――0.9】
「また上がった」
ユートは驚いた。
今までなら、速く走れるようになれば強くなったと思っていた。
だが、この世界ではそれだけではない。
身体にどれだけ負荷がかかったか。
どのように動いたか。
そして、どれだけ継続できたか。
そういったものまで、何かの形で計測されている。
五キロを走り終えた。
ユートはその場で立ち止まる。
膝に手をつき、ゆっくり呼吸する。
汗はかいている。
疲れてもいる。
だが、昨日より身体が軽い。
ステータスを開く。
【体力――5.02】
変化なし。
「……やっぱり、すぐには変わらないか」
少しだけ残念だった。
けれど、その下に見慣れない表示が残っていた。
【本日の身体鍛錬】
【距離――5.0km】
【成長効率――0.9】
【身体成長値――1】
【蓄積――0.7】
ユートはしばらく画面を見つめた。
「蓄積……?」
新しい数字だ。
身体成長値は一。
今日の鍛錬による蓄積は0.7。
まだ身体能力そのものには変化がない。
だが、何かが少しずつ貯まっている。
ユートはノートを取り出した。
『身体成長値 1』
『今日の身体鍛錬 0.7』
『速く走る→効率0.6』
『身体を整えて走る→効率0.9』
そして最後に書く。
『速さだけが正解ではない』
書き終えると、ユートは少し考えた。
自分はこれまで、とにかく回数をこなしてきた。
木剣一〇〇〇回。
五キロ。
薬草十本。
何回やったか。
何キロ走ったか。
何本集めたか。
数字にできるものばかりを気にしていた。
でも、それだけでは足りない。
大事なのは、その中身だ。
「同じ五キロでも、鍛え方が違う……」
ユートはそう呟いた。
その日の朝食を食べたあと、今度は木剣を手に取った。
昨日までと同じように振る。
一回。
二回。
三回。
だが、今日は千回を目標にはしなかった。
まず十回振る。
その一回一回を確認する。
足はどう動いているか。
腰はどう回っているか。
肩に力が入っていないか。
剣を止めたあと、すぐに次の動きへ移れるか。
十回終わった。
ユートは考える。
「三回目だけ、身体が遅れた」
もう一度十回。
今度は三回目を特に意識する。
少し改善した。
次は二十回。
今度は十五回目で剣先がぶれた。
原因を考える。
疲れて腕に力が入っている。
なら、休む。
水を飲む。
肩を回す。
少し休んでから再開する。
以前なら、疲れていても予定した回数を終わらせようとしていた。
今日は違う。
鍛錬の質を落とすくらいなら、一度止める。
そのほうが結果的に成長へ繋がるかもしれない。
三百回。
そこで木剣を置いた。
以前なら、あと七百回残っていることを気にしていた。
だが今日は違う。
「今日はこれでいい」
自分でそう決めた。
昼頃、ユートは冒険者ギルドへ向かった。
昨日の灰狼の件があるため、東の草原へは行かない。
受付に向かうと、ミレイがすぐに気づいた。
「おはようございます、ユートさん」
「おはようございます」
「今日は東へは?」
「行きません」
「よかったです」
ミレイがほっとしたように笑う。
「昨日はかなり危なかったですから」
「はい。自分でもそう思います」
ユートは掲示板を見る。
薬草採取。
街道の清掃。
荷物運び。
昨日までなら薬草採取を選んでいた。
しかし、今日は少し違う依頼に目が止まった。
『訓練場の整備補助』
報酬は低い。
ただ、作業内容に「訓練用の土嚢運搬」と書かれている。
ユートは少し考えた。
身体を鍛えられる。
しかも、自分の力がどの程度なのか確かめられる。
「これにします」
依頼を受け、訓練場へ向かう。
土嚢を運ぶ。
最初は軽い。
十回。
二十回。
三十回。
腕と腰が疲れてくる。
そこでユートは持ち方を変えた。
身体に近づける。
膝を曲げる。
腰だけで持ち上げない。
運ぶ速度も一定にする。
すると、最初より楽になった。
「……同じ重さなのに」
身体の使い方で疲れ方が違う。
それが面白かった。
作業を終えてギルドへ戻る。
報酬を受け取り、家へ帰った。
夕食を食べる。
身体を休ませる。
そして夜。
ユートはステータスを開いた。
【レベル】1
【経験値】19/100
【HP】11.2
【MP】6.1
【筋力】4.70
【体力】5.02
【敏捷】5.40
【知力】6.80
【精神】6.30
【剣術】Lv.1
【走術】Lv.1
【魔力操作】Lv.0
【気配察知】Lv.0
【称号】なし
【身体成長値】1
そして、その下。
【身体鍛錬蓄積――1.4】
ユートは目を見開いた。
朝の0.7に、土嚢運びの0.7が加わっている。
「……増えた」
さらに表示が続く。
【身体成長条件】
【蓄積――2.0】
【現在――1.4】
「あと0.6……」
初めて、明確な目標が数字で見えた。
ただ鍛えるだけではない。
何をすれば効率がいいのかを考え、その結果を確認する。
そして、少しずつ積み上げる。
ユートはノートを開いた。
今日の最後に、一行だけ書く。
『強くなる方法を探すことも、鍛錬の一部』
ペンを置く。
明日はあと0.6。
たった0.6だ。
でも、その0.6を積み上げた先に、今の自分には届かない身体能力がある。
そう考えると、明日の朝が少し楽しみになった。
ユートは布団に入った。
目を閉じる。
だが、眠りにつく直前。
ステータス画面が勝手に開いた。
【身体鍛錬蓄積――1.4】
【次回成長条件――2.0】
ユートはノートを開いた。
新しいページの一番上に書く。
『身体を強くする方法を、一から考える』
そしてその下に、まだ何も答えのない問いを並べ始めた。
『食事は関係するのか』
『睡眠は関係するのか』
『鍛える時間帯は?』
『休む時間は?』
『同じ鍛錬を続ける意味は?』
最後の一つを書いたところで、ユートの手が止まった。
それは今まで考えたこともなかった問いだった。
『努力は、多ければ多いほどいいのか?』
答えはまだ分からない。
だからユートは、その答えを探すことにした。
明日からの鍛錬を、ただの繰り返しにしないために。




