第二章 火花、徒花(3)
リーザとの面会を終えた翌日、朝早くにディーンを叩き起こしたのは、調査局からの通話アラームであり、その通話の内容は、『無期限の自宅謹慎』だった。
謹慎となった理由について、調査局の担当者は言葉を濁しながらも、一行官報が不正なやり方で掲載され、取り下げられたらしいことから、上級官僚から調査が済むまで担当者の出勤を止めるように要請されたらしかった。
こうした『表向き』の理由さえうまく聞き出すのにひどく時間を使ったが、結局、ディーンには分かっていた。本当の圧力は、あの第七位王位継承権を持つ王女殿下から発しているのだろうことを。
今の仕事に、未練が無いと言えば嘘になる。
それは、あくまでサラリーに対する未練ではあるが。
あの仕事を失ったら、次の仕事のあてはない。
あるいは、とディーンは考える。
彼のそばに、無造作に巨額の無署名クレジットを懐から取り出す大富豪の娘がいる。
彼女を匿っている、という自負もある。
ありていに言えば『ヒモ』として生きていく道さえある。
エレナが来てから随分と生活は変わってしまったし、これからはもっと変わるだろう。
しかし、彼は、変化を嫌うエミリア市民らしからず、この変化を楽しみつつある自分に気付いていた。
だからその日は、エレナを伴って、彼の趣味の場所に連れて行った。
実のところ、自宅にいてまたあの王女殿下の襲撃を受けてしまうのが嫌だったということもある。だから、情報端末の電源も切っていたし、腕時計や車の位置情報送出スイッチもオフにしていた。万一事故でも起こせば問題だが、その時はその時だ、と開き直る気持ちもあった。王国に管理されない人生をいうものを垣間見て、ようやく、エレナがリーザに激しく反抗した理由を仄かに理解した気分になったが、それはうまく言葉にならなかった。
ディーンがエレナを助手席に座らせて向かったのは、郊外の、オルタ・レーシング・ルナパルク。サーキットを中心としたスポーツ公園のようなものだ。
彼は時折ここにきて、幾人かの仲間と、ただ内燃機関車を走らせる。そんな場所だ。
エレナを助手席に乗せたまま、彼はいつもの走りをして見せた。
路面状態との相互作用を全く無視して強大なトルクをかけ、無茶なシフトダウンをしてタイヤを横滑りさせながら強引にコーナーを走り抜ける快感は、電子制御の電気モーター式自動車には決して出せない、独特のスリル。
そんな中でふとエレナの横顔を見る。
彼女は笑っていた。
初めてこういう体験をさせると、十中八九、ひきつった顔を見せて、一割はあとで怒り出すものだ。
だが、エレナは笑っている。
こうなれば根競べだ、と、ディーンはさらに攻め込んだ走りを見せ、つい、自己ベストにコンマ二秒に迫るタイムを出してしまう。タイヤや燃料残量の調整もせず、エレナという重りを乗せて出したことを考えれば、おそらく自己最高の走りをしたと言えるだろう。
エレナが楽しんでいるのかどうかは分からなかったし訊こうとも思わなかったが、彼は自身のこの変化を好ましく感じた。
しかし、さすがに少し冷や汗をかいているエレナを見ると、少しは彼女の趣味に近そうな場所もよかろう、と思い、郊外のリゾート高原を目指した。引き締まった筋肉やスカートを全く履かずパンツ姿の軽装を好む彼女は、なんとなく、高原のハイキングが似合いそうだと思ったからだ。
高原にはホテルやペンションが立ち並ぶ観光街があり、エミリアの外からの観光客も多かった。
その一角に、古い地球の鉄道の駅舎を真似た小屋を備えた広い公園があり、恋人たちや老夫婦が思い思いに時間を過ごしている。ディーンとエレナもそこに混じり、小屋のすぐそばの目立たないベンチに並んで腰かけて、過ごした。山歩きに行くかい? と聞いたが、エレナは首を横に振った。
「そんなに好きな場所でもなかったかな」
「ううん、こういうところは好きだよ。心が静かになるから」
「悪かったね、色々と心を騒がせてしまった」
「私が持ち込んだトラブルでもあるから、私こそごめんなさい」
どうしてエレナが、とも思うが、リーザとの口論を少し後悔しているのかな、とディーンは思った。
「なあ、聞いていいかな」
「……なに?」
「君は、結局、どこの誰なんだろう。いいや、それを聞いて僕がどうこうなるなんて思わなくていい。ただ、君はすごくその……僕と、あの鉱石にこだわってるから」
「私がこだわってるのは……ディーンだよ」
「……僕に?」
エレナは、視線を落として、何か考え込むような仕草を見せる。
高原の風が、ふわりと彼女の短い髪を持ち上げて、去っていく。
「うまく言えないけど。おかしいと思ってるでしょ? 私が、あなたが掘り出したよく分からない鉱石を必死で守る姿。でも、それは、あなたが一人の――科学者、として、きっと誰かの役に立つためのもののはずだから。なんていうか、その、希望みたいなものを守りたいって思ってるだけで」
「……そうか、僕にはそんなたいそうなものには思えないけれど」
けれど、それが、エレナが僕にこだわってくれるよすがなのか――そんな風に思うと、心が温かくなる。
やわらかい日差しが心地いい。まぶしい芝生が、謹慎でささくれ立っていた心をすっかり癒していく。
二人はそうして、夕刻を過ぎてもただぽつりぽつりと語らい続け、やがて黄昏のころに、自宅に戻ることにした。
二人の時間を惜しむようにゆっくりと山道をドライブし、自宅に着いたのは日付が変わるのに近い時刻になっていた。
駐車場に車を停めて自宅に戻る。
そこには明らかな違和感があった。
自宅のドアは不自然に開いている。
それは明らかに異常な光景だ。
本来なら彼の持つIDが無ければ開け閉めさえできないはずのドアなのだから。
「――ということのようだ。エレナ、君の勘は冴えてるよ。こんな手を使う殿下だとは思わなかった」
ディーンが言うと、
「どうかな。あの人の仕業と決まったわけじゃない」
意外なことにエレナはリーザを擁護した。
「どうして?」
「……王女殿下は、こんな手を使わなくても、あなたをいつでも拘束できる。他の貴族の誹りを受ける覚悟さえあれば。この手段は、誹りを受けるだけに終わらない結果を彼女にもたらす」
「じゃあ何者だ」
「殿下以外に、あなたの発見を知った者。なおかつ、当たり前の手段であなたから発見の成果を譲り受けるわけには行かない者――つまり、サンプル鉱石をこの世から消して、研究の邪魔をしたいと思っている人」
その言葉を聞いて、ディーンはため息をつく。
「泥棒の真似事までして研究の邪魔を? そもそもこの鉱石が何物なのかさえ分からないというのに?」
狙われたサンプル鉱石は、たまたま車の後部座席に放り出したまま持ち出していたのだった。その不用心を反省して持ち帰ろうとしていた彼の右手にあるサンプルを顔の前に掲げ、青い輝きを見つめながらディーンは苦笑いする。
「世の中にはいろんな考えがある。たとえば科学の発展と市民の開明を――いえ、これはあなたは知らなくていい。とにかく、その研究、あるいはその他のいかなる研究分野でも、このエミリアという国がきらめきを放つのを嫌がっている人がたくさんいるということ」
「馬鹿馬鹿しい」
吐いて捨てるように言ったものの、現実に自宅に泥棒紛いの何者かが入ったことは事実だし、タイミングから言って、狙われたのはこの新種鉱石に他ならないだろう。
「とにかく、それを身に着けて離さないで。どこにいるときも気を付けて。できたら私を常にそばに置いて。もしあなた自身に危害を加えようとする人がいたら私が――とにかく、私も力になるから」
「……それは、この家で君を匿っているお礼かい? それにしては君自身を危険にさらすが」
「……ええ、そのつもり。私は私なりにいろんなことを心得てるから、ディーンの力になれると思う。これは、匿ってくれたことのお礼。受け入れてほしい」
しばらく、真剣なまなざしのエレナの瞳としばらく視線を交じり合わせたのち、
「分かった、頼む」
ディーンは、うなずいて彼女の提案を受け入れた。




