第三章 権力、暴力(1)
■第三章 権力、暴力
リーザの居宅、第七王女宮に、訪問があった。
王族――王位継承者には、それぞれ独立した予算を持った「宮」が設けられる。「第一王子または王女」から始まり、男女を問わず王位継承権順通りに序数で呼ばれる。
その居宅のセキュリティはこの上なく厳重で、不意の訪問者というものは、通常ではありえない。
だが、そのありえない訪問を可能にする数少ない人間がいる。
たとえば、三公、七侯とよばれるたった十家の最上位の貴族当主かその直系の係累。
おずおずと訪問者の来訪を告げる家令のものの言葉は、それを意味していた。
「お通しして」
リーザは訪問者が誰なのか、予測しながら答える。
果たして、その訪問者は、リーザの予想通りのものだった。
ルカ・アリオスティ。
アリオスティ侯爵家の長男、つまり、侯爵家の次期当主である。
歳は二十一、婚約の適齢期ではあるが、まだそんな噂も聞かれない。
数々の貴族家がその座を得ようと画策しているが、まだ趨勢は決しない。
その理由は、リーザが最もよく知っていた。
来客用のソファに二人で座り、メイドが紅茶を置いて静かに応接室から出ていったところで、ルカが口を開く。
「久しぶりだな、リーザ。最近どうだ」
王女リーザを、敬称無しで呼ぶ。
「私を名で呼ぶことを許していません」
「つれないことを言うな。昔は名で呼び合っていた」
「今はそのような関係ではないこともおわかりでしょう」
そのように言われて、ルカは苦笑を浮かべる。
端的に言って、ルカはリーザを伴侶に取ると、勝手に決めていた。
それは、至高の血筋を手に入れる侯爵家の繁栄への一手であり、なおかつ、絶世の美女を手に入れることでもある。
かつて、リーザもルカを憎からず思っていたこともある。
それはまさに幼いころのことだ。
”私は最高の王女になるの”
幼いリーザの隣に、『釣り合いの取れるもの』として、ルカ・アリオスティがいた。
”だったら、僕と目指そうじゃないか。僕は次の侯爵だ。リーザのやりたいこと、全部かなえよう”
”お金がたくさんかかるわ”
”お金ならたくさんあるよ”
そんな会話を交わしていた仲。
その関係が壊れてしまったときのことを、リーザはまだずっと覚えている。
確か、スクールを卒業したころのことだったか。
リーザは、招かれて侯爵家にいた。
きちんとした社交ではなく、あくまで、幼馴染との交流という態だ。
だが、ルカの両親にも、いずれリーザをルカに輿入れさせようという目論見はあっただろう。こうして、ルカとリーザが仲睦まじく過ごし、婚約を交わしてくれれば、と思っていたはずだ。
が、その時、たまたま、ルカの妹、二女に当たるノーラが、スクールの友人を家に招いていた。歳は十一。まだ幼いノーラにとって、実家を自慢したり、広い庭で遊びたいと思ったことも仕方がないだろう。
だが、そこに問題があった。
リーザとルカが、小さなパーゴラでお茶とお菓子を手に会話を楽しんでいたときのことだ。
ノーラと友人たちがふと近くを通りかかって、ルカに挨拶をした。
「リーザ殿下、お兄様、ごきげんよう。こちら、スクールの友人で、ジークヴァルト、それから、ジョルノ」
「ああごきげんよう。……ジークヴァルト? 貴族らしくない名だな」
貴族であればイタリア系の名前が普通で、ドイツ系のその名は、異物混入とも言えた。
「あっ、その、ジークはまだ貴族ではなくて……」
その瞬間、ルカの顔色が変わる。
「――まだ?」
「き、騎士補ですの! お父様が騎士補で、スクールを出たら騎士補になって、いずれは騎士に――」
言いかけたところで、ルカは、まだ熱湯の残るポットを振りかざし、ノーラに中身をぶちまけた。
絶叫ともいえる悲鳴、うずくまるノーラ。
リーザはあまりのことに何も反応できなかった。
「この庭園に平民を入れたのか、ノーラ。貴様、貴族としての誇りはどこへやった」
大声を上げるルカに、さすがのリーザも我に返る。
「る、ルカ、身内ではありませんか。まだ色々とものの分からない子でしょうに、一度くらいの過ちは」
「一度? それが、二度目、三度目を生む。いずれ平民の子でも身ごもることになる。リーザ、君なら分かるだろう。貴族には越えてはならぬ一線がある」
もちろん、貴族の中の貴族であるリーザに、それが分からぬはずもなかった。
だが、それとこれとは別だ。
まだ痛い痛いと呻いているノーラを見て。
たとえそれが叱責のためであろうとも、血のつながった実の妹に、なんということをするのか、という嫌悪感が、余りに勝ちすぎた。
それは、リーザの父や叔父――つまり国王たちが、リーザをまるで無きもののように扱い虐待している様に重なってしまった。
「……すまん、心配かけたな。顔は避けた。痕も残るまい。どこぞにやるのに価値を落とすような真似はしてないよ」
だが、ルカは、リーザの沈痛の面持ちをまるで別の意味に解釈し、妹の『商品価値』を落としてないと弁解するのだ。
……この人にとって、女性とは、結局、それ以上の価値のないものなのね。
もしこの人に嫁いだら――、何か粗相をすれば、なんのためらいもなく、暴虐を尽くすのね。
私が夢見た、何もかもが、もう手の届くところに、無いのだわ。
そう思った瞬間、ルカとの友情が解けて消え、反転し、この上ない嫌悪に変わった。
だから、ルカでさえなければ、たとえ脂ぎった中年でも構わないとさえ思うようになった。
「――聞いてるかい? リーザ」
回想にふけっていたリーザは、話しかけられていることに気づき、作り物の笑顔で答える。
「私の大叔父上のことだ。そう、前に紹介した」
知っている。それは、エミリア正教の主教、エラルド・メアッツァ。ルカの母方の大叔父に当たり、何代にもわたって、アリオスティ侯爵家と深い仲を維持している。
実のところ、リーザ自身も、その伝手でメアッツァ主教猊下とは、時折交流がある。
「聞いているよ。何やら地質調査局で面倒を起こしそうな平民に手を出そうというんだろう。大叔父上――猊下もそのことをご存じだ。……君が?」
答える義務はないが、リーザはあいまいに首肯した。
「……妙な騒ぎは起こしたくないのです。私はあれが、正教の教えに背く、なんだか嫌なものに思えたので、ともかく確認を、と。その点はお伝えしてございます」
「……そうか、だったらいい。何かあったら私に相談するんだ、いかようにでも手を打つ」
「あなたの力は不要ですわ、ルカ殿」
途端に、ルカは顔をしかめる。
あ、これは癇癪を起しそうだ、とリーザは身構える。
しかし、ルカは一度、深呼吸をした。
「君の身の振り方を、一緒に考えないか。私は、君が欲しいと思うものを全て準備できる。木っ端貴族に尻尾を振っている君を、見ていられない」
「そうしてあなたに尻尾を振れと?」
挑発じみた言い方に、ルカはまた一瞬顔を赤くさせたが、務めて冷静を装った。
「私は、七候の次期当主だ。破格の条件だ。本来なら、第一王女殿下をお迎えすべきところだ。それなのにここに通っている意味が、分からないか?」
「全く分かりませんわ。あなたは他人のために行動する人ではありません」
「言うじゃないか。そうだ、私は私自身のために行動している。君を救おうだとかいう義侠心でないことだけは分かってくれて光栄だよ。私は、ただ君をそばに置きたいだけなのだ」
「それこそ貴族の論理ではありませんわ。あなたにはあなたにふさわしい人がいらっしゃいましょう。どうぞ、お好きなものを召されれば」
「だから君を召そうというのだ!」
大声を上げ、それから、しまった、という表情を浮かべるルカ。
畏れ多くも王族に対して『召す』などと言ってしまった。
たとえ大貴族でも不敬の誹りは免れない。
「ふうん? あら、私にはずいぶん失敬な言葉が聞こえた気がしましたが――気のせいですわね。聞かなかったことにしますわ」
と、リーザから、謝罪の機会さえ奪われると、ルカは何も言い返せなくなってしまった。
「……リーザ、また来る。邪魔をした」
「……お客様がお帰りです」
リーザはルカを見もせず、使用人に告げた。
その出ていった扉を見つめながら、リーザに、ふと、思い当たるものがある。
リーザにとっては、ディーン宅での盗難事件は寝耳に水の出来事だった。ただでさえ警戒させた相手の家にその翌日に押し入るなどまるでありえない選択肢だ。
あの賢い秘書ならリーザがそのような馬鹿なことをするはずがないとすぐに見抜くだろうが、暗愚な貴族どもはそうではない。あるいは、あえて勘違いをして見せて、リーザが馬鹿げた試みを繰り返している、と吹聴し始めることさえあるだろう。
確かに猊下に報告はした。
その件については任せるとの下知もいただいた。
……親戚筋に当たるとはいえ、なぜ、ルカまでそれを知っているのだろう。
リーザを脅迫するためだったのかもしれないが、それにしては、情報をつかんだタイミングが速すぎる。
だが。
――猊下の言葉を曲げてとらえるものたちもいる。
『宝物』を狂ったように嫌い消し去ろうとする者たちが。
――リーザの歓心を買おうとするものさえいる。
こんな無価値の王女の歓心を欲しがる物が。
どちらだろう?
いや、両者がつながっている可能性が高い。
執心か狂信に駆られたものであれば、仮にリーザの立場を悪くしようとも、やりかねない。
リーザはすぐに盗難未遂事件の調査を命じ、同時に、とある『心当たり』を厳しく監視するよう、手駒の騎士たちに要請をした。
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