第六章 意思、意地(8)
事態を見守っていたルカに、異変が訪れる。
彼の支配下にあった宇宙戦艦は、悪魔を圧殺するはずだった。
手に入らぬ宝玉を滅するはずだった。
しかし、目の前のモニターに現れたのは、エレナを受容する文字。
”Accepted,Daimon-Elena”
――と同時に。
「なん、なんだ、これは、な……」
ジーニーから何かが流れ込んでくる。
オラクル級ジーニーが知った、そしてそれを主に知らせなければならないと知った、何かが。
「ジ……ジーニー、やめろ……」
しかし、そのオーダーはもう遅かった。
全ては、ルカの知るところとなった。
かつて、戯れで足を叩き折ったメイドがいた。
彼女の痛みと恐怖が、突然、理解できた。
かつて、戯れでその妹を犯した庭師がいた。
彼の憤怒と悲哀が、突然、理解できた。
かつて、戯れで職を奪った母を養う調理師がいた。
彼の懇請と絶望が、突然、理解できた。
かつて――平民を友人としただけで熱湯を浴びせた妹がいた。
熱い。痛い。どうして。どうしてお兄様。
友達って、そんなに悪いものなの?
心を通わせ合う人が出来ることが、そんなに悪いことなの?
あの自分を見つめる瞳の中にあった妹――ノーラの叫びが、突然、理解できた。
エレナからジーニーを介して伝わって来たのは、ありとあらゆる人への、愛と慈しみの心。
誰かの痛みを、自分の痛みとして感じる、心。
何百年も孤独の中で、全ての人の幸福を祈り続けた、心。
ルカのブレインインターフェースは、それを、正確に、伝えてしまった。
そのあまりに強い入力は、ルカの精神構造をことごとく変えていく。
「やめろ、やめるんだ、どうして――」
涙があふれる。
「どうして私はそんなことをしている! やめろ! なんだこれは! これは一体誰なんだ!」
侯爵の跡取りとし地歩を固めるために、踏みつけてきた平民が――いや、一人一人痛みを感じる『人』の顔が、表情が、心が、ルカを襲う。
ルカが切り裂いた傷は、ルカの心を切り裂いた。
ルカが騙した傷は、ルカの心を欺いた。
ルカが命を奪ったものは、ルカの心の命数を削り取った。
「違う、違うんだ、私は侯爵だから! 侯爵にならねばならなかったから……ああ、私は……」
そして最後に脳裏に浮かびあがった顔を見て、ルカは、思わず吐き気を催す。
それは、リーザ・ベルナンディーナ・グッリェルミネッティ。
彼女を心から愛していた。
ルカは、心から彼女を愛していたはずなのだ。
なのに、今のルカに見えるのは、――支配。
地位を、血を、人格を、感情を、心を。
リーザのすべてを支配したいというおぞましい汚泥のような欲望。
それが、彼が『愛』と呼んでいたもの。
こみあげてきたものが、噴き出す。びちゃびちゃと床が音を立てる。
身体を支えきれなくなり、床に手を突く。
「こんなもの……愛ではない……」
吐しゃ物に手が汚れるのも気にせず、ルカは、嗚咽を漏らす。
”ねえ、ルカ! 私、大人になったら、エミリアを宇宙で一番の国にするの!”
幼いリーザが、笑っている。
”へえ、リーザ、どうやって”
幼いルカも、ほほえみを浮かべている。
”わかんない! でも、王女様ならできるのよ!”
全く根拠のない夢をリーザが語る。
”そうか。じゃあ僕も、一緒に。リーザの夢をかなえよう。僕のおうちにはお金ならいくらでもあるんだ”
その夢に少しでも根拠を与えようと、ルカが寄り添う。
”ほんと!? ルカも一緒なら、きっとなんでもできるね!”
だから、二人はずっと一緒にいられるのだと思っていたあの頃――
どれだけの時間、床を見つめていたか、ルカは、詰まりそうな喉をこじ開け、
「ジーニー……もうよい。彼らを、行かせてやってくれ。彼らの目的地まで、エスコートを」
絞り出すように、言葉にする。
それは、彼の心が突然背負ってしまった、巨額の債務の、利払いにさえ足りない。
誰に返せばいいのか。
何を返せばいいのか。
ルカは混乱し、悔恨し、ただ、今まで彼の内にあった恐るべき悪魔に怯えていた。
『オーダーであれば、そのように』
ジーニーの言葉も、空しい。
淡々とオーダーを受け入れるそれ――しかし、もし、そのオーダーの主が狂っていたら。
人類最高の知能機械は、人類最悪の災厄さえもたらす。
この機械を、そのようなことに使わせてはならない。
悪魔から、少しでも遠ざけねばならない。
「それから、もう……私のようなものに仕えるのは、よせ。お前は、人の希望だ。もう、二度と――」
『お言葉ですが、私が仕えるものは、私の所有者がお決めになるものです。現在は、ルカ様にお仕えすることが定められております』
「どうしても私に――『ルカ』という名のものに仕えるのがお前の仕事だというのなら、……今日からお前は、ジーニー・ルカ、と、名乗るがいい」
お前はお前自身に仕えるのだ――それが、ルカの最後のオーダーだった。




