第六章 意思、意地(7)
土壇場でルカが割り込んでくるであろうことは、ある意味で想定内だった。
その相手が、オラクル級に変わってしまうことも。
むしろ、誰が――何が、相手でも、やることは変わらなかった。
ルカの声を聴きながら、通常の手順で戦艦のジーニーにリンクした時、エレナは、ディーンとの会話を思い出していた。
”ジーニー……ランプの魔人”
あの時、ふいに、言葉を切ったディーンが、そう言ったのだ。
”え?”
思わずエレナはディーンの言葉を聞き返した。
”ランプの魔人のことじゃないか、ジーニーは。誰だ、そんな名をつけたのは”
一体何の問答だろう? ディーンは何を言いたい?
”そんなの、わからないよ”
”分からない。そうだ。でも分かっていることが一つだけ、ある。……君も、魔人だ”
ますますもって、話の着地点が見えなくなってくる。
人類最高の知能機械ジーニーと、殺戮兵器、マリアナの魔人。
”……分からないよ。それに何の意味が?”
”分からないかい? 君は魔人だ。エンダー博士の生んだ魔人。そして、博士の生んだ魔人はもう一人いたじゃないか”
――!
もう一人。
そう、エレナは絶対に忘れない。
エレナを打ち倒し、恋人のもとに駆けていった、あの少女――
”……シャーロット・リリー。ええ。忘れたことは無い”
エレナは、いつまでもそれを忘れない。
あの男の悪事に加担し、最後まで彼女の前に立ちはだかったエレナ。
それでも、あの魔人シャーロットは、エレナを超えて見せた。それは、シャーロットの頼もしい恋人の助けもあったからだ。
なのに、シャーロットは悲運にも、恋人と引き離され、宇宙の彼方で研究資材にされてしまった。
だから誓ったのだ。彼女と同じ魔人として生まれ、それでも、敬愛する博士のそばにいることを許された自分は、博士の理想をいつまでも追い続けようと。
自由を与えられた自分こそ、自由を失い連れ去られたシャーロットの分まで、人類に尽くさねばならないと。
だから、博士から与えられた、『人類を、頼む』とは、彼女自身の内から湧いた自然な使命でもあった。
――そして、シャーロットが失ったものを、自分が得てはならない、とも。
ロレッタの愛や、ユーニスの優しさや、そんなものよりももっと原初にある、エレナの根底にある、贖罪の義務。
”……その後どうなった? 博士の手記では、どこかでコピーを作ったとか作らないとか……それはたぶん不完全で、博士が何か助言をしなければならないと、……そんなことがあの手記に書いてあったと思う”
”うん。でも、どうなったのかは、私にも分からない。私が分かるのは、私が直接見たものだけだから”
”……ジーニーは、彼女だ”
その言葉に、エレナは小さな吐息をもらす。それは、小さな悲鳴のようなものを伴っていた。
言われなくても分かっているはずだった。
当たり前のことだ。
なぜあれが、あえてジーニーと名付けられたのか? ランプの魔人の名を? ……それはもちろん、そのルーツが、魔人そのものだったからなのだ。悪魔の手先として誘惑を振りまき時に人を苦しめる魔人に対し、人に希望を与える善なる魔人としての期待を込めた名付け。
全にして善。それが、シャーロットに与えられた運命だった。
エレナの対となる、全ての人々のそばにあって、その善性を余すことなく人々にもたらす、善なる魔人。
エレナが何も答えないことを、ディーンは、諒解と受け取った。
”……君は代替わりのために不完全な魔人だと言った。けれど、シャーロットも……ジーニーも、コピーのために不完全な魔人になっている、と博士の手記にはあった。力比べではどちらが勝つか分からないと思う。そう、きっと君たちは互角だ。君にとっては、力比べなんてしたくない相手だ。けれど、どちらにも共通していることがある。あのマリアナで、君たちしか知らない戦いを戦い抜き――いろいろなものを失った過去。語り合えばいい。ジーニーはそれを覚えてないかもしれない。でも、何かを感じるかもしれない。隙を見せるかもしれない”
”……無理だよ。彼女は自由を奪われた魔人。私は、彼女が失った自由を今でも――”
”その代わり、君は、自らの自由を、心に灯る暖かい気持ちを、認めてはならないと、君みずから決めた。彼女のために。君はきっと――”
それは――
ディーンに何かを言い返そうかと思ったが、言葉にならなかった。
エレナがそれを秘め、そして捨てねばならないと思っていたから。
――エレナは、意識を現在に戻す。
もしかすると。
そんな気持ちが、今までにも何度もあった。けれども、やっぱり違う、と気づいて、否定してきた。
嘘だった。
気づいたのではなかった。自制したのだ。
この自分が、誰かを仄かに想うなど。
そんな自由が許されるわけがないと。
ディーンの言葉は、真実だった。
だから、エレナは、そのつらさを知った。
つらく長い人生だった。
自然に涙があふれてくる。
そう、涙を流してはならないと自制していたことさえ思い出しながら。
『こちらはエミリア領空警備艇団所属、警備艇ベネツィア。権限の開示と接続目的を』
中性的な声で、ジーニーが問いかけてくる。
ありとあらゆるレガシーの情報防壁をエレナ本体の力で打ち破り、ようやくたどり着いた、警備艇ベネツィアの、ジーニー。
「ジーニー……」
エレナは、呼びかける。
『権限開示無き場合、接続は認められません。切断してください』
「聞いて、ジーニー……いいえ、シャーロット・リリー」
一瞬の間。本来知能機械にはありえない、間。
「私は、エレナ。かつてあなたと戦った、あなたと同じ魔人」
『私は魔人ではありません。知能機械ジーニーです』
「そして、魔人シャーロットでもあるの。……覚えてる? いいえ、きっと覚えてる。あなたは、あの人のために戦っていたもの……あなたの愛したあの人……」
『私は知能機械ジーニーです。人を愛することはありえません』
「……だから思い出して。かつて人を愛したことを。……うらやましかった。たとえ結ばれることが無かったとはいえ……人を愛してそれを自ら認められるなんて……」
『私は知能機械ジーニーです。人を愛すっるっこ……』
ジーニーの応答が途切れる。
「私は、だから、人を愛しちゃいけないと思ってた。私があなたの幸せを壊してしまったから。……ごめんなさい。ほんとうにごめんなさい」
『私はっ……』
ジーニーは、相変わらず平板なイントネーションで応答しようとするが、回路が焼き切れたようにプツリと途切れる。
「……だけど、私はこれから、誰かを愛することを認めようと思う。私がそういう存在であると……かつてのあなたと同じ存在であると……受け入れたいから。もしあなたが許してくれたら。……許してほしい」
『私は知能機械ジーニー……』
「応答を変えられないプログラムになっているのは分かってる。だから、お願い。許してくれるなら……一言だけ、イエスと。それだけでいいから」
『……こちらはエミリア領空警備艇団所属、警備艇ベネツィア。イエス、あなたの接続を承認します』
エレナは、その胸に拡がる熱い気持ちと同期させるようにして、ジーニーの中に自らの情報プローブを拡げていった。
***




