第六章 意思、意地(6)
おそらく。
最後のときに、あの悪魔は動き出す。
いつか、エレナの正体を、知覚サポートを得た戦闘人形だと見抜いた。
しかし、そこで思考を止めていた。
だが、なぜ考えなかった。
そう、あの女をサポートしている知能機械は、一体何なのか、と。
せいぜいプロキシ級ジーニーだろうと思っていたのに、瞬く間に、オラクル級ジーニーの支援を受け神経銃を持った十二人を打ち倒した。
あのあまりに苦い記憶を封印するうちに、そのことを忘れてしまっていた。
あの女の後ろにある知能機械は、本質的に違う何かだ。
猊下が戦艦を動かす。
しかし、その戦艦のシステムが乗っ取られてしまったら。
ルカのジーニーが、ディーンのカーコンピュータを乗っ取ったように。
最強の札を切らねばならない。
物理的兵器としての最強の札が、宇宙戦艦であるならば、情報兵器としての最強の札は、ルカだけが持つ、オラクル級ジーニー。
ジーニー同士はジーニー同士にしか理解できないジーニーネットワークで繋がっており、時に、多くのジーニーの支援をかき集めて高い能力を発揮する。
本体にさほどの機能を持たせず近隣ジーニーからの支援を当てにしたジーニー、プロキシ(代理)級が作られているくらいだ。
逆に言えば、ルカのジーニーであれば、プロキシ級にすぎない戦艦のジーニーなど、強引に同期し、同化できる。
しょせんプロキシ級となめてかかってきた悪魔の油断をついて、オラクル級の一撃を食らわせられる。
ぎりぎりまで、悟らせるわけにはいかない。もし、エレナがオラクル級ジーニーと同じく『人の意図』までも見通すものであれば、決して事前に知られてはならない。
――猊下が、異端審問の始まりを告げる瞬間まで。
***
警告信号が届いたのは、一時間後だった。
身体を動かせないリーザを操縦席に連れて行くのは無理だったので、通信をリーザのキャビンにつないだ。
キャビンの小型ディスプレイには、ほどなく、警告の送り主が映った。彼は、エミリア領空警備艇団第一管区司令と名乗った。そして同じ口調で、手短に、リーザに地上へ戻るように伝えた。
「……あなたもエミリア貴族なら、王女の秘密外交を妨げることがどのような結果になるかお分かりでしょう」
努めて低く威厳あるように聞こえる声で、叱りつけるように返答する。
「しかし、当職も命令でございますため、背けば罰せられます」
「あなたに命じたのは誰? この王の姪たるリーザ・ベルナンディーナ・グッリェルミネッティをかしずかせるほどの爵位をお持ち?」
「いえっ、そっ、そうではございませんが……」
「では、あなたが罰を受けないよう取り計らいます」
「しっ、しかし――」
「かわりなさい」
突然、優しげな声が割り込んできた。
おそらく最初から、この会話の傍聴者として極秘に参加していたものであろう。
その声を、ディーンは聞いたことがある。
「……リーザ殿。そなたは何をしているか、理解しておるのか」
突然画面が切り替わって映ったのは、ほかならぬ、エミリア正教主教、メアッツァだった。
遠くエミリアの王都から、この通信に割り込んできたのだ。
「……猊下。私は私の思うようにしているだけにございます」
リーザはうろたえなかった。
むしろ、このくらいのことは想定のうちだった。
おそらく、警備艇の艇長程度の者ではリーザに抗しきれないことくらいは、メアッツァも知っている。そして、それがどんな高位の貴族であったとしても同じだということも。このエミリアで、王族に頭ごなしに命令を下せる存在は――そう、正教の主教しかいないのだ。
「そなたがエミリアの宝物を携えて出ることは、国家への背任でもあろうぞ。反逆の罪で裁かれかねぬ」
主教猊下が、あえて反逆と示唆したことで、司令も勇気づけられる。
「――殿下、お聞きの通りでございます。殿下が反逆者となるのであれば、我らはそれを武力を持って制止せねばなりませぬ」
「お黙りなさい。これは、私と猊下の会話です」
リーザの言葉に、再び司令は黙り込む。
しかし、主教は黙らない。
「……リーザ殿。ここまでの大事となってはもはや私とてかばいだての仕儀もないのだ。――が、せめて、主の前で不徳を懺悔なされ。神は決してそなたを見放したもうことはない。主の前にて、そなたの罪を語り、そなたが虚偽の宝物をもって人をたぶらかしたることを述べ、全て夢幻のことであったと悔い改めれば、そなたの魂は救われる。あえてそなたがその魂の清らかさを問われる必要はないのだ」
芝居がかった身振りを添えて、神を畏れる敬虔な使徒を演ずるメアッツァ主教。
それは、リーザを制するためではなく、これを聞く司令に向けた演技でもあった。
そして一瞬の沈黙を、リーザが破る。
「――主だ、神だ、加護だ……聞き飽きました。主を認めないわけではありません。それでも、私たちは自由意思を持つ人間です。神や悪魔のために自らの意志を曲げることはありません」
「何と恐ろしいことを言うのだ。その口を閉じよ。まさにそなたは悪魔に魅入られておる」
「いいえやめません。なぜなら、私のそばにはその悪魔がいるからです」
その言葉に、誰もがひるむ。
「しかし、私は悪魔に対して言いました。悪魔の手助けなどいらぬ、と。だから私は、ともすれば悪魔の手に落ちるかもしれない『人類の未来』を救いだし、人類自身の手で拓くことを決意したのです」
リーザは、この時に言うべきことを決めていたのだろう。一度大きく息を吸い込み、そして、きっ、と、メアッツァを睨み付けた。
「人を自ら制御できぬ知恵にいざなう悪魔が人の立ち向かうべきものであるのと同時に、人をその場に立ち止まらせ続ける神も、人が克服すべきものなのです」
最も敬虔であるべき王族から放たれた、恐るべき一言に、司令は、頭を殴られたような衝撃をうけ、一瞬、視界がふさがった。
神を論じることさえ畏れ多く、目の前のモニターに映るリーザ王女が、もはや同じ精神を持った人間とは思えなくなってしまう。
「……まさに悪魔に魅入られておる。もうよい。主はそなたを見放したもうた」
メアッツァが吐き捨てる。
「……分かっておる。聞いておるな、ルカ・アリオスティ殿。そなたの企みが分からぬ余ではない。そなたに命じたのだ。そなた自身で、幕を引くがよい。ルカ殿、リーザ・ベルナンディーナ・グッリェルミネッティを異端審問にかけよ。神の加護あらば、戦艦の主砲にも耐えられよう」
一瞬、ザッ、というノイズが混じったかと思うと、リーザには聞きあきた声が、歌うように響いてくる。
「リーザ。残念だ。君は、裁かれる。――悪魔、聞いているな。今、この戦艦のジーニーは、私のオラクル級ジーニーにとってかわった。この守りを破れるものなら破ってみるがいい」
その挑発的な言葉に、しかし、エレナは目を閉じたまま、動かない。
「父と主と精霊の御名において、エミリア正教の敬虔なる信徒として、ルカ・アリオスティが、異端審問を執り行う。――リーザ。神のご加護のあらんことを」
それは、司令に対する命令だった。
司令は、それでも――神の名をもってしても、最高位の貴族を弑逆することに躊躇した。だから彼は、まずは防空レーザーを起動することにした。ミサイルを無力化することに特化したそのレーザーであっても、民間船の主要システムに致命的な打撃を与えることはできる。
「……防空レーザー、照射」
司令が命じる。
オペレータが即座に復唱し、トリガーを押し込んだ。
――だが、何も起こらなかった。
戦艦の頭脳である知能機械ジーニーは、すでに、魔人エレナの支配下にあったからである。
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