第七章 千年の旅立ち
■第七章 千年の旅立ち
暖かい日差しが差し込んでいる。
常春のこの星の名前を、ディーンはもう三度ほど近くの人に確認したが、まだ覚えられない。
それほどに特徴も無く、興味を引かない惑星。
病棟は薄緑とピンクで塗り分けられている。それぞれが別の受診科に相当するらしい。待合室は、ちょうどその中間にあり、薄青を基調としたインテリアになっている。常緑の植木鉢が一つ。
ナースがやってきて、彼に小さく何かを告げた。
ディーンはうなずき、正面のエレナに瞳を向ける。
「リーザが目覚めたらしい」
「そっか。予定通りだね」
「ああ、よかった」
二人は立ち上がり、ピンクの病棟に向かう。並ぶ病室を十数個通り過ぎ、奥から三番目の入院個室に入る。
ちょうど、治療用の様々なマニピュレータやチューブが取り外されようとしているリーザがいて、ベッドに横になったまま、ディーンたちに気がついて笑顔を浮かべた。
「気分は?」
「最悪。痛くもなんとも無いお腹だの足だのまでいじくられちゃって」
「腕の傷がひどくて気付かなかったんだけれど、普通なら結構痛いはずの傷がたくさんあったんだそうだ」
「どのくらい寝ていればいいのかしら?」
「長くて一週間」
エレナが短く答える。
「……退屈ね。早く、あの鉱石をどこかに持って行きたいのに。……そう言えば、ここは?」
混乱の中、強い痛み止めで意識朦朧のまま連れて来られてしまったリーザは、ここがどこなのか分かっていなかった。
すべては、エレナが済ませてしまった。
彼女は、領空警備艇のジーニーを乗っ取り、それを支配下に収めた。
後は簡単だった。警備艇とは名ばかりの主力戦艦がエスコートして進むのだから、その前進を妨げるものなど存在しない。エミリアから国外へのジャンプも、半ば武力的な脅しに頼ったものになった。しかし、一旦ジャンプが済めば、後は『地球』が保証する宇宙国際市民としての人権が彼らを守った。彼らは無事に、決めてもいなかった目的地についたのだった。
「……ロックウェル連合国内の、ラ……なんとかっていう小さな共和国。ごめん、まだ覚えられない」
それを見て、エレナはくすくすと笑うが、国の名前を補足しようとはしない。国の名前や星の名前など、もはやどうでもいいことなのだ。
「私が大マカウ国のスパイかもしれないとまだお疑いだろうし、ロックウェル連合に」
エレナがそれだけを言い加えると、リーザは苦笑いした。
「それはもうどうでもいいことよ。エミリアではあの手の研究は進まないのは分かりきってるんだから、マカウでもロックウェルでも」
「だが、古い帝国主義のマカウよりは、開明的なロックウェルに任せてみようと考えるのは道理だろう?」
ディーンの言葉には、リーザはうなずくだけで応えた。
「……それで? この後、どうするの? もうお二人で話し合って決めてるんでしょう?」
「そのことだが」
「あなたに任せたい」
エレナは、そういいながら、問題のサンプル鉱石の入った筒をリーザの前に差し出した。
「君もここじゃ一般市民だ。もちろん、無事に亡命が認められればの話だけれどね。そうしたら、君は、これを売り込むことを仕事にすればいい」
「亡命?」
一瞬声を裏返らせるようにしてリーザが鸚鵡返しし、それから、今度は小さく笑いを漏らした。
「そんなこと考えてないわ。私はエミリアに帰るつもり」
「え?」
今度は、ディーンが驚きの声をあげた。
「……目が覚めてから考えてたの。エミリアから一歩外に出たとたん、私は宇宙市民として守られてきた。この国でも、個人個人が生きる権利がとても大切にされてる、だから、外国人の私もこんな風に立派な治療を受けられる……」
それは、ディーンも確かに驚いたことだった。エミリアに篭っていては一生気が付かなかっただろう。
「……エミリア王国ってなんだろう、って。王侯貴族が、平然と平民の人権を踏みにじる権利を持ってるのよ。あなたは違うと思ってるかもしれない、でも、貴族に認められた権利を字義通りに解釈すれば、そうなってしまうの。私はそうだとようやく気付いたの。……事実、猊下も、平然とあなたたちを消そうとした。彼が――」
リーザは、メアッツァを『彼』呼ばわりしたことに自ら驚き――。
「――私を誅すると決めたとき、彼は、私を消すことに対するほんの少しの罪悪感を、確かに持っていた。だからルカに押し付けたんだと思う。けれど、私と一緒に命を落とすあなたたち二人のことなど歯牙にもかけていなかったわ。彼にとって、平民などいないのと同じなの。そして、それは私にとってもそう。もし貴族を助けるために平民何人かを死なせなければならないとしたら、躊躇しないと思う」
そして、ほんの少し自嘲に似た笑みを浮かべる。
「一時的な英雄的気分なのかもしれない。そうに決まってる。でも、私は、エミリアを、宇宙全部に対して誇れる国にしたいと思うの。慈愛と寛容に富む支配者と、自立心あふれる民。そのためには、支配者の横暴を防ぎ、市民に自律の権利と義務があることを知らしめなければならない。そのために、何かをしなくちゃならない。そんな風に思ったら、いてもたってもいられないの」
ごくりとつばを飲むディーンに対し、エレナは穏やかな表情でそれを聞いている。長い人生を、様々な国や状況の中で生きてきた彼女にとっては、人権の価値の浮き沈みは嫌と言うほど体験したことだろう。きっと、いつも、こうした英雄が表れて、人々を救うのだ。その誕生を、エレナはきっと慈しんでいる。
「ねえ、ディーン。オズヴァルドのこと」
その言葉に、ディーンはぎくりとする。彼が命を奪った、リーザの友人。
「きっとあなたの中に、ずっと後悔として残ると思うの。それを、私にも分けて頂戴。私の中にある貴族の精神。『私はもしかすると躊躇せず平民を踏みつぶせるかもしれない』――その程度の覚悟じゃダメなの。『私は、私のために、平民を殺した』。その重荷を、分けてほしい。それは私に必要なものだから。あの引き金を引いたのは、私。そう、思わせてくれないかしら」
「だったら私も。私はきっと魔人として人の尊厳を踏みにじる存在だから。あの引き金を引いたのは、私」
エレナも続ける。
しばし目を瞬かせていたディーンだが、うつむき、何かを考えこんでから、微笑みを浮かべて顔を上げた。
「そうだな。僕は『愛する人を守るために引き金を引いた』――そんな風に思おうと、決めてた。事実、そうだった。人の命に軽重はある。僕にとってどちらの命が重いか、それを決めるための引き金だった」
リーザが目を覚ますまでの長い間、考えていたことを、ディーンは吐露する。
「――と思ってたけど、うん、少しなら、君たちに分けてやってもいい。だけど、僕は、あの引き金の重みに懸けて、エレナを守ると決めた。だから、分けてあげられるのは、少しだけだ」
「……そうね、それを勝手に奪うことも、私たちの横暴ね。それと戦わなきゃならないのに」
リーザは、ディーンの覚悟を尊重する。
きっと彼に必要な救いは、それなのだろうと。
ディーンとエレナ。この二人の。
「それで?」
ディーンは、その一言で今後のリーザの去就を問う。
「今すぐ何かを始めたい。その気持ちは抑えられないんだけど……」
「でもまだ今は、そのための仕組みを考えることと、それを実現するための後ろ盾が必要。すぐに帰る必要は、ないでしょう」
エレナが優しく諭す。
「……そうね、焦っちゃだめね。でも、教えて。例えばこの国で支配者が誰かを傷つけたら、どうするの?」
「普通の国では、支配者さえ裁判で裁かれるの」
「では、その裁判官が不正をしたら?」
リーザの問い返しは的を射ている。エミリアでは、貴族に対する裁判は貴族が裁判官を務めるのだから。平民に不利な不正は、当然になされるだろう。
「国によって違うけれど、弾劾審問みたいなものが開かれることがある。一般市民が、特別階級にあるものを裁く制度」
「……弾劾……」
リーザの着想は、決着まではまだ遠いだろう。
だが、彼女は、これからすべきことをすでに心の中に描き始めていた。
「どちらにしろ、まだゆっくりと休むべきだ。だから、これは君に預けたい」
ディーンが改めて、エレナの手からサンプル鉱石を受け取り、リーザに渡した。
「……あなたたちは?」
リーザが問うと、ディーンとエレナは、顔を見合わせてわずかに頬を赤らめた。
「……ああ、ごめんなさい、そういうことね。ハネムーンだかなんだか、どこへでも行ってらっしゃい」
「ハっ、ハネムーンってわけじゃ……エレナはこれまで、ずっと自分の気持ちに嘘をついて生きてきた……これからはもっと素直な気持ちで、いろんな世界の美しさを感じてみたいと、そう言ってるから……」
「はいはい、ごちそうさま。もし私が女王になれるならエミリア史上初の平民王婿誕生のチャンスだったのにね」
「……え、はっ、ぼ、僕が!?」
リーザは、慌てふためいているディーンを見るだけで満足した。もしかすると、と思っていた彼に対する気持ちは、すっかり消えてしまっていた。
「じゃあ、これは私が預かるわ。でも、あなたたちの気が済んで帰ってくるまで。いい?」
「分かった。君も気をつけて。エレナの力が必要になったらいつでも飛んでくる」
「エレナと……ディーン、あなたの力、ね。ええ、頼りにしてるわ。呼んだら飛んでくるのよ?」
ディーンと、続けてエレナは、深くうなずく。
「ともかく退院まではゆっくりしてて。お見舞いも来ない」
「ええ楽しんでらっしゃい」
「……リーザ、ありがとう。私も、あなたのおかげで、変わった自分に驚いてる」
エレナが右手を差し出すと、リーザは笑顔でそれをとった。
「良かったわ。……それじゃね」
「うん」
最後に、二人の結ばれた手に、ディーンがその手を重ねた。
***
あの、闘いの日々から、どれほどの月日が流れたか。
それは、二人にとって、きっと他愛ない、当たり前の日々の一幕。
ディーンの腕の中で、エレナは満ち足りた静寂を感じていた。
「ディーン。私、この幸福を、シャーロットにも知ってほしいな」
エレナが静かにつぶやくと、ディーンはただ強く彼女を抱きしめた。
「一緒に考えよう。きっとできる。君になら――僕らになら、きっと」
その言葉に、エレナは微笑んだ。
それは、きっと、千の年月と万の星々を旅する、エレナの新しい物語となる。
◆◆◆
覚えてる? シャーロット。
あなたには、愛した人がいたの。
あなたが、生まれ変わっても必ず探しに行くと約束した人が。
あなたとその人を引き裂いてしまった私。
それを得ることをあなたに赦された私。
だから私は、新たな旅に出る。
あなたに、絆を結んでほしい。
あなたに、愛を知ってほしい。
私の父であるエンダー博士にもらった、人類を見守るという使命。
そして、私自身が見出した、あなた一人に愛を知ってもらうという使命。
私はこれから、二つの使命を抱えて、旅に出る。
何千年、何万年、かかるか分からない。
でも。
あなたがあなたを取り戻せる相手。そしてその人が絆を感じる人。
その二人が、自らの意志で絆を結び、愛を交わすために。
二人に『真実』という試練を課し、自由意志で絆を選び取る奇跡を起こすために。
私はこれから、ありとあらゆる『エレナ』となって、宇宙をめぐる、旅に出る。
待ってて。必ず、行くから。
あらゆる運命を捻じ曲げてでも。
二人を、出会わせるから。
◆◆◆
***
街はお祭り気分に浮かれている。
今日は、『エミリア建国千年祭』。
ジョークで始まった王国は、建国千年の星霜を耐え抜いた。
それを祝う人々の顔には、当初の陽気さが少しと、国と自らに対する誇りが満ちていた。
レンガ通りに面した小さな一軒家でも、何日も続く乱痴気騒ぎのお祭りの手伝いに行った父親を少し心配しながらも、母と女の子が、その雰囲気を楽しみ、時々、窓から紙ふぶきを投げて道行く人を楽しませていた。
「ねえ、ママ。王様は、ずっと王様だったの?」
「いいえ、千年の間に何十人も王様がいたの」
「じゃあ、今の王様が一番えらい?」
「そうね、どうかしらね」
「じゃあ、一番最初の王様?」
「この国を作った王様だから、一番最初の王様が一番えらいかもしれないわね」
「そうなんだー。じゃあ、その次は?」
母は考え込む。
「……千年の間に、女の王様……女王様が三人だけいたの。でも、どの女王様も、王様の中で一番だって言われてるの。『エミリアの三女王』って言うのよ。王様とみんなの代表が話し合う仕組みを作ったクイーン・マリエッタ……地球ととても仲良しにしてくれたクイーン・セレーナ……でも、みんなが安心して好きなことをして好きなことを言える国に変えてくれた、クイーン・リーザが一番かなあ」
「そうなんだー。じゃあ、わたし、いちばんのクイーン・リーザに、会いたい!」
「それはちょっと無理かなあ、クイーン・リーザ陛下はもう五百年近くも前の女王様よ、ママも会ってみたいけどね」
「だったらママ、私がクイーン・リーザになる!」
「王様に? そうね、誰でも王様になれる仕組みを作ったら、あなたも四番目のえらい女王様、ね」
母が笑うと、娘も笑った。
人々の笑顔は絶えない。
【完】
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*
暗くカビ臭い部屋。唯一の窓から、明るい光と祭の喧騒が漏れこんで来るばかりで、ここは宇宙のあらゆる事象から切り離されているかのようだ。
ギシリ、と古い椅子が音を立てる。
そこに座っているのは、白髪と深い人生のシワをたたえた、一人の老人。
「三女王、か……」
窓から聞こえてきた、向かいの民家の母娘の会話を聞いて、彼はポツリと呟く。
「クイーン・リーザを追えとは、あのことだったな」
彼は、はるか昔、彼がまだ十代の少年に過ぎなかった頃のことを思い出す。
それはかつて彼が宇宙をひっくり返すような冒険をした日々。半年にも満たないあの冒険は、彼の人生を大きく変えた。
そこで出会った、エミリア貴族、ロミルダ・カルリージ伯爵、本名、エレナ・アイリーン・エンダー。彼女に残された謎を追うために、彼は、歴史学者となった。決して適性があったとは言えない。それは、彼が連れていた『助手』にもたびたび指摘された。けれど、彼は、諦めなかった。
「マリアナではだいぶ危ない目にも遭ったな」
と、彼は微笑む。
けれど、彼と、彼の助手と、その助手に仕える究極の知性――ジーニー・ルカは、マリアナの悲劇の全てを明らかにした。
それは論文にならなかった。だから彼は、それを物語として記憶した。
その後、彼は、クイーン・リーザの歴史を通してエレナの物語を知った。
当時の彼女の名は、エレナ・ユーニス・エンダー。
彼女が何をし、何を得たのか――それは、当時の警備艦ヴェネツィアをいっとき管理していたジーニーの奥底に隠されていた。
「なにせ、ジーニー・ルカ、君本人だったのだから。どうして教えてくれなかったんだい?」
彼は、たっぷりの皮肉を込めた苦笑をもらすが、左腕の小さな通信機越しに聞いているはずのジーニー・ルカは答えない。答えないだろうと思って精いっぱいの皮肉を言ってやっただけだ。
そして、かつてロミルダが彼らに言ったことも理解するようになった。
彼らが結ばれることが、シャーロットが知ることが無かった愛の幸せを、シャーロットに知ってもらうただ一つの方法だった。
同じ魔人として――同じ孤独を知るものとして、それはエレナが知った愛の、継承の物語。
「ロミルダにとって、私の成長だの試練だのは、どうでもいいことだったのだろうなあ。だが、あなたの悲願は叶った。直接伝えられないのが残念だ」
彼と彼女がついに結ばれた時――彼のありとあらゆる末梢神経が彼女を通してジーニー・ルカに繋がった時。
性別は逆転していたが、失われたシャーロットの心はよみがえり、その愛する人を抱きしめた。彼は、ふわりと去来したシャーロットの心の感謝を、最初からそうだと知っていたかのように、理解した。彼がシャーロットなのだとしたら、そのとき彼が抱きしめた『伴侶』は、きっとアルフレッドの生まれ変わりだったに違いない――それがたとえ荒唐無稽な御伽噺に聞こえても――そう、信じた。
出会った当時の年齢から言えば、その時にはもう、エレナは、ロミルダ=エレナ・アイリーン・エンダーの身体を離れていただろう。
今、エレナが、どんなエレナとなってどんなミドルネームを持ちどこにいるのかも知れない。
だが彼には確信があった。
きっとエレナは全てを知り、満足しているだろうと。
「三女王とまで呼ばれることになった偉大な女王の伴侶がこんな私だったとは、さて、歴史は語るだろうか。それは後世の歴史家の仕事だ」
そして彼は、続く歴史家への宿題を残していけることに、大きな満足を感じている。かつて彼が編纂したクロニクルと同じく、それもまた、論文にならない物語でしか無いから。
「そろそろお迎えか。名残惜しいな。だがそれからもまた二人で」
そんなことをつぶやきながら、また窓外に視線を戻す。
明るく輝く街並みは、平和と繁栄を極めていて、誰もが笑顔を浮かべている。
それこそが、かつて、彼の伴侶が成した偉業の成果。
「三女王と並べられ、有耶無耶の実績で語られるが、私にとって最高の女王は、たったひとりだ」
そして彼は暗い室内に振り返る。
「なあ、クイーン・セレーナ」
彼がいたずらっぽい含み笑いを隠そうともせず語りかけると、
「いやだわ、こんな早くから三女王なんて呼ばれるの」
そこには、若い頃のままの豪奢な金髪をたたえた、上品な老婦人の姿があった。
「お迎えの馬車が来るわ。お忍びはここまで。さあ、私たちの家に帰るわよ、ジュンイチ」




