第五章 平衡、平穏(5)
リーザは『定例会』に参加するようになっている。
それは、メアッツァ主教が時折開催する秘密会議で、エミリア正教の組織的な課題を取り扱う、きわめて政治的な集まりだ。
そこに、第七位とはいえ、王位継承権者が参加するようになったことは、正教の政治的メンバーを大きく勇気づけた。
いずれリーザを、王位とまでは言わずとも、典礼尚書にでも押し上げれば、それだけ王国における彼らの役割は増し、多くのポジションは彼らの生活を潤すだろう。
かつてリーザに近しいと思われていたいくつかの貴族家でも、リーザ以外の対抗候補への接近が観測され――つまり、『リーザ離れ』が起きている。
すなわち、リーザを押し上げても、その果実が他の貴族家に奪われる心配は薄れた。安心して全力でリーザを推せる状況と言える。
彼らの関心は、リーザをどのようにして高い地位につけるかに終始している。
だからこそ、リーザはそこでは何もしゃべらない。ただ、静かに微笑みながらうなずくだけ。
実行力と決断力はあるが政治的には無能な見目麗しき人形――リーザはその役割を自認していた。
定例会は、進行につれて下位の者が抜け、上位の者だけが握る情報に基づく秘密会合に徐々に移行していくのが通例で、この日も、下位の者が抜け、中位の者が抜け、最上位幹部だけの会合になり、それもやがて終わって、中央教会の会議室には、安息日のような静寂が訪れた。
そこに残っているのは、最高権力者メアッツァ主教と、リーザだけ。
二人にとっては、ここが『定例会』の本番なのである。
「して、あれらはどうしておる」
メアッツァが、鷹揚にたずねる。リーザの名を呼ぼうともしない。
「静かにしております、猊下。調査局の船の次のオーナーになるほどのことを静かな行動と見るのであれば、でございますが」
リーザは、教会側にも知られている面倒な事実を付け加え、リーザ自身には隠す意思がないことを示す。
「そうか。だが、その小さな行動は、いくらかの貴族家には、目障りに映るやもしれぬ」
「目障りと――仰せますか」
たかが目障りという程度なら、もう放っておいてほしい、と祈りながら。
「何者かが資金を提供しておる」
メアッツァは、痛いところを突く。それは、リーザが提供した資金だ。
「一言でいえば、民草が懐から出すには、余りに過分。ありえぬ額だ」
「さようで……ございますか」
そのように応えながら、しかし、リーザは、メアッツァの視線と顔色に、不穏なものを感じ始めている。
「出どころを調査しようと思っておったが――」
覗き込むようなメアッツァの視線に、身体が震えてしまわないよう、奥歯をかみしめる。その仕草さえ観察されているかもしれない、という恐怖と戦う。
「――マリアナがマカウの支配だったことを考えれば――黒幕は、マカウであろう、な、リーザ殿」
この日初めて名を呼ばれたことで、猊下の意図を完全に知った。
リーザが資金を提供していることを、知られてしまった。
その上で、何かの取引を持ち掛けてこようとしている――あえて知らぬふりをしているのは、そう言うことだ。
「リーザ殿。無関心こそが我らと彼らとの関係であった。彼らがなぜ猜疑と欲望の種を蒔くのか、分からぬ。だが、後ろにマカウがいるとなれば、話は別よ。我が子らのエミリアに、余計なことをしようとしている」
「お言葉ですが、猊下」
リーザは焦って口をはさむ。
「マリアナで調査してまいりました。エレナ・ユーニス・エンダーにはマカウ当局のつながりはありません。むしろ非合法の側にあるものです」
「だからこそ密偵として拾われたということもありうる。いや、敏い貴族は、左様に考えような」
そして、メアッツァは、ふぅ、とため息をつく。
「そなたは若い。人を信じ人の不幸を嘆く心は清らかであり愛すべきものだ。だからこそ、ここから先は、我ら、先の短い老人の役割よ」
メアッツァの向かう先が見えてくるにつれ、リーザは恐怖に顔が歪みそうになる。
――私のせいで。ディーンが、エレナが。
「よい、心配するな。鉱石探しで海に出ておるのだ。海で遭難となれば、誰も咎に問われぬ。聞けば一人は殺戮の権化と聞いておるが、そなたへの報復の余地も与えぬ。周到な準備は必要だが、あれらが鉱石をあきらめないふりをし続けるうちは、機会がある」
メアッツァは、優しい声で、恐るべき陰謀を切り出した。
ある意味、これまでは、アンティ・テゾーロという見えやすい直接の暴力だから、それをリーザが防ぐ手立てもあった。オズヴァルドという最高戦力を使って。
だが、彼らが船で遠洋に漕ぎ出し、そこに細工をされては――。
そこからどんな会話をしたのか、リーザは覚えていない。
ただ、焦燥感があった。
***
リーザは私邸の『謁見の間』にオズヴァルドを呼んでいた。
謁見の間と言っても、ちょっとした応接間であり、彼女が配下に会うときのための、少しばかり安全に配慮した普通の部屋だ。
「オズヴァルド、勅を下します。王都科学研究所にて、賊の襲撃に備えなさい。手筈はあちらに猊下の代理人がいるので、以降、彼の指示に従いなさい」
「勅、謹んで」
跪いたままオズヴァルドは、胸に右手を当てる騎士の敬礼をして頭を下げる。
それがきっちり三秒。
「表を上げなさい」
リーザの言葉にオズヴァルドが顔を上げると、リーザは困惑とも苦悩とも言える表情を顔に浮べていた。
「楽にして」
「はい、殿下」
いつものプロトコルで二人は少しだけ親しい王族と騎士のポジションに戻り、オズヴァルドは軽く頭を下げてから、リーザの座す正面のソファに腰を下ろす。
「ちょっと困ったことになっちゃった」
「何事で」
「アンティ・テゾーロにね、『テゾーロ』を与えたの」
「は……?」
我ながら間抜けな声を上げてしまったものだ、とオズヴァルドは、少し顔を赤くする。
「彼らにとってエレナの排除は至上命題――ではあるんだけれど、それはただ、彼らの憎しみの先が無いからよ。彼らの憎しみの本当の矛先は、宝物、テゾーロ、つまり『人を欲望と猜疑に誘う種』。王都科学研究所っていう私設の研究所があるんだけれど、そこにこっそり、以前マリアナで拾っておいた火薬式の銃を寄付して、『火薬式銃の再発見』を依頼しておいたら、アンティ・テゾーロの逆鱗に触れたらしくて」
「な、な、何をなさっているのです、殿下!」
オズヴァルドは余りのことに声を荒らげてしまう。
「それはもちろん、連中の注意をエレナたちからそらすためよ」
だから、逆鱗に触れたのは計算通り、と肩をすくめて見せる。
「どうなさるのです、それで」
「だからあなたを派遣するの。私の最高戦力。多分エミリアでもとびきりの」
そう言われては、その信頼に応えざるを得ない。
オズヴァルドは、吹けば飛ぶような下級貴族、男爵家の中でも、荘園も特権も持たない、雇われ官僚になるしか無いような家に生まれた。
三人の兄弟の真ん中、上に兄、下に妹のいる身分で、それぞれが身の処し方を考えなければならない。
上の兄は、ともかく家を継いで王宮官吏の一人になるしかないため、宮廷での泳ぎ方を必死で身に着けた。
妹は、どうにかして釣り合いの取れた貴族家への嫁入りの道を開いた。
そしてオズヴァルドは、どちらの機会もなかった。ともかく、書類仕事は身につかず、兄のスペアとしての役割も果たせそうにない。そう、親に断じられた。兄に万一あれば、養子を迎える、とまで。
武の道に生きるしかなかった。
あらゆる戦争は、宇宙空間に浮かぶ戦艦の、ボタンの一押しで解決する。
そんな時代に、体躯を鍛えることにどれほどの意味があるのか。
それでもひたすらに鍛えた。
そして、騎士として生きることを決心していた。まだ騎士補の身分ではあるが、いずれ、騎士として独り立ちし、エミリアを守る貴族の一人として独り立ちするのだ。
――そうして、リーザに出会った。
たかが騎士補、しかも肉弾戦ばかりに傾倒した、少々頭の足りない、千年遅れの騎士。
そんな悪評にもかかわらず、リーザは彼の心根に感心し、ことあるごとに彼を護衛として使うようになった。
オズヴァルドは、だから、リーザには大恩を感じているし、リーザのおかげで『エミリアでもとびきりの』地上戦力として認知してもらうことができた。
その名は徐々に知れ、正式に騎士、つまり『一代貴族の創始者』と認められる日も近い。
そんなリーザにそれほどの信頼を受け、うれしくないはずがない。
「――しかし、猊下の?」
「ええ。猊下もアンティ・テゾーロがエレナの近辺をうろついて刺激しかねないことは快く思ってなかったし、私の提案には乗ってくれて。そういうわけで猊下の責任で警護を」
これに関しては、リーザがメアッツァに持ちかけたのは事実だ。建前としては、アンティ・テゾーロがうろついていれば彼らも警戒を解かないであろう、と。
だが後に、それがリーザの思惑を外れ、実際にディーンたちの油断を誘ってしまうことを、リーザはまだ知らない。
「さようで。しかし、リーザ殿下の近辺の警護は――」
「大丈夫よ、何とかします。あなたほど頼りにならなくても、それなりのものは使えるわ」
と言われると、それはそれで寂しく、心配にもなる。
もしオズヴァルドが離れている間に殿下の御身にことあらば、と思う気持ちもある。
だが、今は期待に応え、王国の結束である王室に従い、国民の結束である正教会を守ることが、彼の至上命題であり、リーザがどう言おうと、彼の信念は結局は派遣の命令を受け入れることにしかならないのだ。
「では、準備をしてまいります、しばしのお別れです」
「ええ、気を付けて」
と、リーザは、出ていくオズヴァルドの背を見送った。
そして、小さくつぶやく。
「王国を守ってね、オズヴァルド……」
彼女は、その瞳に小さな決意の炎を燃やしていた。
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