第五章 平衡、平穏(1)
■第五章 平衡、平穏
王宮の一角、国王の姪であり第七位王位継承権を持つ、リーザ・ベルナンディーナ・グッリェルミネッティにあてがわれた、無骨なアパートのように見えながらもどこか華美な雰囲気をたたえた離宮では、主であるリーザが、人を払って、オズヴァルドの報告を聞いていた。
「ひとまず殿下の威光にて、暴力的な人探しをやめることは認めさせました」
「そう、ご苦労」
とは言ったものの、それでは全く不足していることをリーザは理解している。
「エレナが異物であることは私も異存ありませんが、あれはそっとしておくものです。刺激すればこの王女にも塁が及ぶこと、改めて伝えなければなりませんね」
「御意に」
オズヴァルドは跪いたまま、頭を下げる。
「……いいわ、オズヴァルド、楽になさい。相談に乗って」
疲れたように首を回しながら、リーザは態度を崩した。オズヴァルドもそれをサインと読み取ったのか、すくっと立ち上がり、リーザの勧める椅子に座る。
「どうだった? ディーン」
彼女の軽い問いに、オズヴァルドは苦笑を浮かべる。
「だいぶ参っている様子でした。どうやらあのマリアナの探索の後、エレナともしばらく連絡を絶っていたようで」
「悪いことをしたわ。彼にはエレナがいるだろうからと思っていたのに」
「あれはエミリアには要らないとおっしゃり、追い出すと息巻いていらっしゃいましたが」
オズヴァルドはそう指摘しながらも、リーザの考えは何度か漏れてきた言葉からすっかり理解しているつもりだった。
「あの時は少し頭に血が上っていたけれど、ともかくエレナはエミリアでは自衛以上の暴力は振るって無いわ。これ以上は干渉しないししたくない。……ただ、私の読み違いでディーンに必要以上の重圧をかけてたものだから、どうしたものかと」
リーザは、手記のコピーこそ作らなかったが、スキャンを映像記録として何度か見直していた。
エレナの生き方は吐き気のするような内容ではあったが――それでも、その後、さらに手記を読み進めて、エレナに課せられた重いものの一端を知り、エレナという人間がいかにして追い詰められてきたのかを理解できた、と思っている。
きっとディーンもそう理解して、エレナに寄り添うのではないかと思っていたのだが、――たぶん彼は、あれを読む前に、エレナに会ってしまったのだろう。それが、すべてのすれ違いの始まりだった。
かつてのリーザは、ディーンに『人間でいほしい』と思った。
魔人エレナではなく、少女ユーニスに寄り添う人であってほしかった。
あの『鉱石』は、魔人の象徴に思えたのだ。あらゆる欲望と猜疑が彼らを苛む――魔人の呪いの象徴であった。
あれさえ彼の手に落ちなければ、彼はきっと、一人の人間として、ユーニスと、隣人としての信頼を結べるはずだと。
彼が、エレナではなくユーニスと手を取り合っていれば、海域閉鎖という私のメッセージの真意にも気づいてくれたかもしれなかったのに――
けれど彼が選んだのは、魔人エレナだった。
リーザは改めてため息をつく。
「一度、訪ねようと思うのよ」
彼女は、率直な気持ちを漏らした。
彼女とて、いつまでもディーンたちの恨みを買っていたいわけではない。
取るに足らぬ平民――しかし、一度心を通わせ合っては、それはただの踏みつけにしてよい平民には思えなかった。
――誤解を解く、ということは全く考えていない。
そもそも誤解はない。
リーザは未来のために主教の後ろ盾が欲しいし、主教は平穏を乱す『テゾーロ』を基本的に嫌う。
その意を勝手に酌んだ『アンティ・テゾーロ』の連中が無茶をしていただけで、主教は、平穏が乱されさえしなければ、無為に平民を害すようなお方ではない。
だから、リーザ自身が行ったディーンの発見を奪う行為こそが、明確にディーンへの裏切りだし、敵対だ。
科学者ディーンに敵対してでも、友人ディーンの小さな幸せを守りたいと、そう思ったのだ。
そこをごまかすつもりはないからこそ、『友人』としての顔で『公人』としての立場を鮮明にしておきたい。
掘削停止の命令は、ディーンとユーニスに対する決別と祝福のメッセージだったはずなのに、ディーンから見れば、リーザとエレナの両方に裏切られた形になってしまっていた。
その絡まった結び目だけを、解こうと思った。
「その儀はしばしお待ちを。無用な刺激はなりませぬ」
オズヴァルドはリーザの言葉をまるでそのまま引用してひとまずリーザを止めようとする。
「でもあなたの報告だと、エレナはちゃんと分かってくれていたみたいじゃない」
「確かに、おっしゃる通りですが……彼女が『全知の魔人』であることをお忘れになってはなりません。あの時の俺の言葉を言葉通りに受け取ったのも、その全知の力だとすれば、その時、無用な刺激を与えるべきでないと殿下がお考えだったことも、その前提と言えましょう。いったんは、その前提を崩すべきではありません」
もし今その前提を崩し、ディーンの信頼を失っているリーザが出向けば、彼らがどう出るか、全く読めなかった。
エレナは合理的に判断できるかもしれないが、裏切られたと思い込んでいるディーンは感情を動かされるだろう、それに、エレナが反応する、そういった連鎖反応が最も恐ろしいのだ。
「俺が何とかします。ともかく、彼らが殿下を信頼できるまで、俺がしっかりと彼らの近辺で異常が起こらないよう警護を」
「どのくらいかしら」
「ひと月、ふた月ほどは、静かに暮らせると確信を得てもらわなければなりません」
「……分かりました。私のほかの近衛も動かして。辞令は出しておきます」
「ご配慮感謝します」
***
ディーンとエレナは、修復の終わったディーンのアパートメントに戻っていた。
エレナは当然のようにここに居候している。別の部屋を借りるにしても費用がかかる。エレナの貯金も無限ではない。なるべく多くを調査に割り当てたかった。
あの事件で大きな損傷を受けたと思われたアパートメントは、構造へのダメージは少なく、モジュールの取り替えだけで十分住み続けることができると分かり、『事故』の補償金を受け取って戻ることができた。もちろん、ディーンは、その補償金の出所がどこなのかを知っている。
懐かしの自宅に帰った後、すぐにディーンのもとにオズヴァルドが訪ねてきた。
しばらくは警護を増やすから、安心して暮らしてほしい、とのことだった。
ただ、ディーンとしては、エレナという至上の戦力がそばにあるから、余計なお世話だと思わないでもなかった。いざとなれば二人で遠くに逃げればいい。エレナに頼ることを全く恥ずかしく思ってない自分を発見したディーンは、驚きと安堵を感じていた。
だが、ともかくオズヴァルドの顔を立てて、彼の厚意に甘えるポーズはとることにした。
そして、二人の挑戦が、始まる。
もう一度鉱石を探すと言っても、やはりそれは極めて難しい作業だった。
海底を深く掘り下げなければ見つからない鉱石。だから、海底深部掘削船は必須の装備だ。
当然ながら、エミリアの民生の掘削船でそこまで深く掘れるものなど存在しない。ほとんどの必須資源は、陸上か、海底でも浅い域から採取できる。
だが、うまい具合に、閉鎖された海域の調査局の船が一時的にリース解除されることがエレナの調査で分かった。調査局の別海域への移転は急ぐ話でもなく、移転先にも調査船はある。オルテンシア海の解禁はいつになるか分からず、いっそリースを解除してしまおうという話になったようだ。
こうなると、もともと調査局が実質永年リースしてくれるものと思って船を建造したリース会社も死活問題だ。民間の資源調査会社へのリースをもくろんでいた。もちろん、研究目的相場では借り手がつくはずも無いから、民生調査船に近いレベルまでのディスカウントはやむを得なかった。
エレナが時折懐から取り出す未署名のクレジットクーポンの埋蔵量は、それを短期間借りるのに十分だった。二人は小さな資源調査会社を立ち上げ、ディーンの口座を経由してその口座にクレジットクーポンを移すことで調査船の借り上げ費用に充てる段取りを整えた。
だが、結局、実質二人だけで調査船を運用するのは無理があった。船員を短期で雇うことはできても、調査装置の運用経験者まで雇うことは無理だった。初めての試験的な航海では、水深五百メートルの浅い海で、海底下二百メートル足らずを掘るのが精一杯だった。
それでも、二人はただ黙々と次の予定を立てた。
最初の航海の惨憺たる現状に、諦観さえ漂っていたが、それでも、エレナの生涯の目的と、それに殉じようというディーンの情熱は、ただただ、あの新種鉱石の再発掘だけを目指させるのだった。
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