第四章 追跡、追憶(4)
ディーンは息を弾ませながらエレナに近づく。
ちょうどエレナは、最後に倒した男からナイフを抜いて、反撃を受けないように膝の腱に切っ先を刺し通して無力化しているところだった。
「死体にしてもいいのに」
ディーンが言うと、エレナはちょっとムッとした顔をする。
「悪い、そんな気は無いって信じてるから、からかった」
その言葉に、エレナは大きくため息をついた。
「本当に必要なら、やるよ、私」
「ああ、それも信じてる」
ディーンが重ねて言うと、エレナは苦笑を浮かべた。
「このナイフ、よく切れる。丁寧に手入れしてるんだね」
エレナがナイフを返そうとするが、ディーンはそれを受け取らず、代わりに鞘を突き出した。
「新品。今日買った。君へのプレゼントだ」
「……無粋」
というエレナも、苦笑気味の笑顔で、素直にナイフの鞘を受け取って、そこに、新しく彼女のものとなったナイフを収めた。
「警察を呼ぼうか、どうする?」
「今後も襲われたらたまらないから警察に任せたいとは思うけど……」
「どうやって倒したのかって話になったら面倒だな」
では、少なくともここにいる全員の親指でも切り落としてしまうか。そんな物騒なことをディーンは考えているが――
「しっ、誰か来た……あれは!?」
エレナが急に小声になる。
すぐにディーンにも、静かなモーター車のタイヤの摩擦音が聞こえてくる。見えてきたのは、二人乗りの小さな四輪車両。スピードは出るが航続距離があまりないタイプだ。
「エレナ、残弾は」
焦って尋ねるが、
「大丈夫、敵じゃないよ」
エレナは緊張を解いていた。
その言葉にキョトンとしているうちに、車が止まり、ドアを開けて巨躯が降りてきた。
彼の名は、オズヴァルド・セラーティ。
リーザ・ベルナンディーナ・グッリェルミネッティ王女殿下の騎士。
「ディーン、無事か」
「どうしてオズヴァルドが?」
「殿下からの命令だ。何か面倒に巻き込まれてると」
「どうして」
「君は殿下の連絡先を誰かに示しただろう。その後、あちこちに飛びまわり、だいぶ危険な運転もしていた」
言われて思い出した。ディーンは、相互認証済みのリーザの連絡先を持っていて、そしてかつて彼がリーザに対してそうしたように、リーザもディーンの居場所をリアルタイムで確認できるのだ。
もちろん、彼女の連絡先を認証マーク付きで誰かに見せれば、リーザに通知が行くに決まっている。
あの港で、ディーンはそれを堂々とやって見せたのだから。
「……でも、殿下が? 僕を?」
「……気になさっておいでだ」
僕を裏切って鉱石を持ち去った彼女が?
その追加の問いは口から出なかった。
「信念のためとは言え君に辛い目を見せたことを殿下は悔いておいでだ」
「たかが平民に、なんとも深いご慈悲で」
ふいに、オズヴァルドの雰囲気が変わる。
「殿下を侮蔑するようなことを言うな。俺は君を憎みたくない」
「……悪かった」
ディーンは大人げない物言いをしたことをすぐに謝す。
「少し遅かった、だが無事でよかった。マリアナの悪魔が……すまん、エレナ殿が一緒だったのだな」
「悪魔でいいよ、マリアナでだいぶ、私の本性、見てきたんでしょ?」
「ああ、君の名を聞いた途端に失禁して逃げ出す奴らを見て来た」
そう言って、オズヴァルドは小さく笑う。
「こいつらは任せておけ。少し時間はかかるかも知れないが、君らが安心して暮らせるようにすることだけは、保証する。殿下の御名と我が騎士の誓いにかけて」
オズヴァルドはそう言って胸の前に拳をつける騎士の礼を取ると、深々と頭を下げた。
「分かった、ありがとう」
ディーンが戸惑っている横で、エレナはあっさりと彼の言葉を認め、笑顔で頷く。
「大丈夫、ディーン。リーザはやるよ」
エレナにそう言われては、ディーンもとりあえず納得するしかなかった。
エレナがリーザを呼び捨てにしたことに苦笑いを漏らしながらも叱責しようとしないオズヴァルドを残して、ディーンとエレナは、ディーンの車に乗り込み、サーキットを去ることにした。
***
「……どうしてここだと?」
走り出した車内で、エレナがポツリと尋ねる。
「マリアナ川のほとり」
ディーンは、ただの一言で、すべてを伝えた。
「ディーンって、案外ロマンチスト」
「女性を口説くときには特にね」
軽口で返し、笑った。
「君に伝えたいことがある」
車の進行方向から目を外さずに。
「君たちの連帯保証人になりたい」
息を飲む気配だけは伝わってきたが、エレナがどんな表情をしているのかは確認できなかった。
「ロレッタのことを、知った。アユムのことも。そうだな、僕は確かにその事で同情的な気分になってる」
でも、と、続ける。
「僕の心を突き刺したのは、君が――ロレッタとしての君が、エンダー博士を救ったからだ。彼を、再び科学の情熱の海に連れ出したからだ。彼の娘として、彼を愛することで」
エレナの反応はやはり分からない。
「僕は、間違ってしまったことを、君に謝らなきゃならないと思った。君を捨て、リーザに裏切られ、僕は一人の科学者になろうと決心した。その時には既に、僕は科学者として生きていくためにもっとも大切なものを失ってたんだ」
エレナから、鼻をすする音が聞こえたが、気にしないことにする。
「愛だの恋だのって話にするとややこしくなるからさ、シンプルに行こうと思った。かつて君が――ロレッタが、博士とした約束をしようと。だから、僕は君たちの連帯保証人になる」
言い終わってから、ディーンはしばしエレナの様子を待った。
ややあって、目元を少し拭ってから、
「全てのエレナは、それを、受け入れます。……ありがとう」
エレナは、はっきりと答えた。
しばらくの沈黙の後、再びエレナが口を開く。
「あれから――私はずっと一人ぼっちだった。いろんな人に出会ったけれど、そんな人はみんな私の前から消えていった。みんな私より先に死んでしまった。私も死にたいと思った。でも、博士と私の贖罪。やめるわけにはいかなかった」
あの手記を読み終えたとき、ディーンが想像したエレナの孤独を、彼女自身が語る。
「きっとあなたも同じように消える、もう消えたんだと思った。だから、また会えて、うれしい」
少しうつむき加減でそう言うエレナが、あの恐るべき魔人の姿からは想像もできないほど儚げに見える。
「私はずっと女性だった。それは、最初の私が女性だったから――きっと、私になる新しい私も、新しい私を受け入れる私も、お互いに理解できると思ったから」
「……理解?」
「ええ。私は、新しい私を説得しなくちゃならないから。そして一つになって。今までに生きてきた私たちは、私の中にみんな生きてるから。多重人格ってのとはちょっと違うかな。でも、私、ユーニスは、エレナに出会うまでのことも覚えてるし、その……とても幸福とは言えない人生だったけど、それも含めて受け入れてくれたエレナにとても感謝してるし、それを私の誇りだと思ってる」
他人の人生を乗っ取る恐るべき存在――リーザにそう言われて、一時はそれを信じていたが、ディーンは、今はもう全くそんなふうに感じない。
ロレッタや、ユーニスや、その他、人生をあきらめるような境遇にあった少女たちには、『エレナ』とは、救いに他ならなかったのかもしれない。そんな一面を、どうして僕は想像さえせず、リーザの言葉を軽々しく信じてしまっただろう。
「あと……それだけじゃなくて、もしかすると、いつか、男性に、恋をすることもあるかもしれないと思って。そのくらいのことは許されていいんじゃないかと思って。だから、女性であり続けた。まだそんな人に出会ったことは無いけれど、もしかするとあなたが、と思う気持ちもあって。そのことを確かめる前に、あなたが消えたことが悲しくて。だから、もう一度会えて、うれしい」
随分半端に告白されてしまったものだ、とディーンは思わず苦笑いしたが、きっと、それがエレナというものなのだろう。ディーンは、深くうなずいた。
「……だったら、もう一度」
「ええ。もう一度、あの鉱石を、探そう。でも、それはあなたがやらなければならないの。私はただ、見守るだけしかできないから」
「そうだ、僕がやらなくちゃ。僕が、人類がそれをやらなきゃならない」
人類であることを捨てた不死身の魔人に、決意を告げる。
「――帰ろう、エレナ。僕らの出会ったあの町に、あの海に。調査局はもう何もできないけれど、なんとかなるような気がするんだ。君と、一緒なら」
そのディーンの提案に、エレナは小さくうなずき、微笑みを漏らした。
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私は、見守ることしかできない。
誰かの人生の外側でそれを見守り、人類が前に進むのを、そっと手助けることしかできない。
……でも。
私は、見守ることができる。
私は、見守ってもいい。
誰かの人生の外側で、誰かの人生の一番近くで。
それを見守ることが、許されている。
人類を、頼む。
博士のその言葉を、忠実に実現するために。
私は、私のすべてを見通す瞳で、人類を前に進めるものを探し続けてきた。
道を阻むものを除いてきた。
誰かがその知恵を、心に落とすために。
だったら、心、って、なんだろう。
私が、誰かを――彼を愛おしいと思うこの気持ちは、なんだろう。
ただ量子の海から湧き出た幻想にすぎない――かつての私なら、きっとそう言って切り捨てた。
彼が持つ鉱石、その人類に対する可能性が見せた、幻影。
でも、今、鉱石を持たない彼に、寄り添いたいと思っている。
彼と成す何かを、手に入れ、形にしたいと思っている。
外側でいい。でも、一番近くで。
この気持ちに、どんな名前がついている?
誰かとの間に生じた、特別な相互作用に。
他の誰でもない、彼との間の、粒子の飛跡に。
私の知らないその素粒子に、名前を付けよう。きっと。
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