第四章 追跡、追憶(2)
ヘルメットを脱いだ赤毛の男が、もう一人の黒髪の男を安静に寝かせてから、情報デバイスを開く。
「……部長、見失いました」
ややあって、デバイスから低い声が聞こえる。
『見ていた。また現れるのを待つか……いや、もう警戒して自宅や船の方には現れんだろうな』
答えたのは、赤毛の上司に当たる、調査支部長の肩書を持つ男だ。
「目くらましに使った無人飛行機が落ちてます。なにかわかるかも知れません」
『でかした。確保だ』
短く命令を受けた赤毛は、片足をかばいながら、ドローンが落ちた近辺に向かう。
そこは草と低木の茂みになっているが、不時着通報灯を光らせるドローンを見つけるのは容易い。
「部長。メーカーはトライジュエルマシナリー、形は海洋調査型OFD06―PNG。有識者を」
『すぐつなぐ』
そして二分ほどの沈黙を挟み、少し甲高い声の女性の声が響いてくる。
『底面に文字が書いてますね、文字の上下に合わせてみたときに右下にノブがあります。ひねって開けると結晶メモリがあるので取り出してください』
電源は切らなくていいという追加の助言を得て、赤毛はメモリを取り出し、すぐにアダプタで自分の情報デバイスに接続、通話先に共有した。
『……オッケー、分かりました。コントローラーがしばらく繋がってます。少し戻ったところに右側に狭い山道への分岐があります。その先に向かったようです』
女性の声がそう告げ、すぐに、
『山道……その先は……オルタに抜けるか、その先のロトンダ市街か。オルタ支部の青年祈祷会ですぐ動けるものを道々に出すように言っておく。車と特徴を伝えろ』
「かしこまりました」
赤毛の男は見えない支部長に頭を下げ、それから、治療機で応急措置を受けながら苦しそうに唸っている黒髪の男に目をやる。
「……報いを受けさせてやる」
彼の目に灯った執念のようなものが、ギラリと赤く光った。
***
未舗装の林道の攻略に思ったより時間がかかり、ディーンがオルタ・レーシング・ルナパルクに到着したのは深夜に近かった。
夜も公園として比較的自由に出入り出来るようになっている敷地内をゆっくりと走り、中心となっているサーキットのロビーの前に静かに車を停める。
この見通しのいい公園……とてもどこかに潜めそうには無いが……なんだかエレナであればどうにかしてしまいそうな気もする。
エンジンを止め、車を降りる。
パタン、という静かな閉扉の音と、自動でロックがかかった音が、思いの外静かな公園に響き渡るのを聞き、改めて闇の静けさに気付く。
「エレナ……」
恐る恐る、小声で呼びかけるが、しばらく待っても何も返事はない。
辺りを見回すが、何も動きは見られない。
「第一コーナー外のエスケープゾーンだった」
と独りごちる。
かれは、より正確に、エレナを置いてきた場所を思い出した。
コースに入るゲートをくぐり、自然とそこに足が向かうが――なにしろ、コースの中で一番目立つ第一コーナーだ。そんなところにテントを張ってサバイバルというわけにもいくまい。さすがにそこに彼女がいることを期待するのは的外れということに、彼自身気づいていた。
用心のために、備え付けてあったジャッキアップ用の一メートル以上はあるハンドルレバーを手にしている。オズヴァルドの教え――なんでもいいから棒状のものを振り回すだけでいい、そのことを思い出しながら。
やがて、件のエスケープゾーンに、彼は立っていた。
そこでエレナが見たであろう景色を、確かめる。
あの日。ここで車を降りた彼女は、だんだんと雨が強くなっていく中を、力なく歩んでいただろう。
けれどいつか、ディーンが来る日を信じて、どこかで待っていようと。この場所にディーンが立つ日が来るかもしれないと。
――サーキットの監視塔がいくつか目に入る。
そうだ、例えば、ああいった高い場所から、この場所を見下ろして、僕が来るのを待っているのかもしれない。そうでなくとも、監視塔のカメラを何らかの手段で盗み見していてもおかしくない。
そこまで思いついて、彼は、やみくもに動くのをやめようと思う。
きっと、エレナが僕を見つけてくれるから。
――が、彼を見つけたのは、エレナではなかった。
***
じゃりっ、という音に振り返ると、三人の男がいた。
嫌と言うほど見覚えがある服装。
黒いコートのような上着を着た、明らかに非合法の雰囲気を漂わせる三人。
それは、今朝、港町でディーンに接触した、あるいは、つい先ほど、バイクでディーンを追っていた、彼らと同じ服装だった。エミリア正教のシンボルである小さな輪と十字架を組み合わせたオーナメントが、常夜灯の明かりを反射して胸元できらりと光っている。
「ディーン・リンゼイ。そうだな?」
改めて誰何してくるところを見ると、これまで彼を追っていた連中とは違うようだ。
「そうだったら?」
ディーンは強気で答えた。
「あの悪魔はどこだ」
「あいにくと、悪魔に知り合いはいない」
「エレナ・ユーニス・エンダー」
「じゃあ人違いだ。彼女は悪魔じゃない」
彼女を悪魔と吐き捨てる連中に、言いようのない嫌悪感が湧き上がってくる。
――と、彼らは懐から長さ三十センチ程度の、警棒のようなものを取り出す。
神経警棒だ。
殴ったものに神経刺激を与え、一時的に行動不能にする。
神経銃の簡易版と言えば分かりやすい。
「面白いものを出すじゃないか。隣人愛と永遠の平穏を説く教会が」
言いながら、ディーンは、かつて持っていた、信仰への敬虔さがどこかに行ってしまっていることを感じる。
隣人が同じものを信じているから助け合えるのだ――かつてディーンが心から信じていた、哲学の一種。
その同じものを信じているはずの隣人が手に持つのは、ディーンを打ち据える残虐な武器。
「こんなもの使いたくない。悪魔の居場所を教えろ」
その言葉に、ディーンはさすがに皮肉めいた思いが去来するのを抑えられない。
「悪魔の居場所なら知ってる」
「どこだ」
「今、僕の目の前で、神経警棒を持ってるよ」
さっと顔色が変わった真ん中の男が、スタンクラブを振り上げた。
ディーンは、後ろ手に隠し持っていたハンドルレバーをふいに振り上げ、スタンクラブを持つ右手首を強烈に打ち抜く。
パキン、という音が聞こえ、手首を折ってしまっただろうか、とほんの少しの後悔がよぎる。
しかしそれよりも早く、ディーンの生存本能は、一瞬の彼らの動揺をついて逃げ出すことを選んだ。
このコースのことは庭のように知っている。
足を取られるグラベルと縁石の境目がどこにあるかもセンチ単位で知っている。
そこに向けて走り、ぎりぎりを狙ってで縁石の上を走る。
追ってきた二人のうちの一人は、真っ暗な中、左足をグラベル、右足を縁石に乗せてバランスを崩し、転んでいる。
残っているのは一人。こちらは舗装の上をまっすぐに追ってくる。
近寄る足音が、もう目と鼻の先、と確信したディーンは、不意を突いて後を向き、ハンドルを横なぎに振りぬいた。
それは男をとらえなかったが、相手をひるませることはできた。
その隙にさらに走る。
コースへの出入口ゲートに向かう。
ゲートから出れば車を止めたところまですぐだ。乗り込んでドアを締めれば、スタンクラブは役に立たない。
やっと車が見えた――その時、同時に嫌なものも目に入った。
それは、車を左右から挟むように立つ、敵――アンティ・テゾーロのメンバーの二人だった。
***




