第四章 追跡、追憶(1)
■第四章 追跡、追憶
ディーンは警戒しながら車を停めた街に戻った。
自分にスパイの才能はない。
だからいくら警戒してもプロが出てくればひとたまりもないだろうということは分かっている。
けれども、このときだけは、エレナへの手がかりを手にした今だけは、なんとしても敵の監視をくぐり抜けなければならない。
駅を出たディーンは、わざと反対の出口を出て、駅の周囲を散歩でもするかのようにゆっくりと歩いた。どこかで見張っているものは無いだろうか、と。
そして、自分の能力の限界を認めながらも、大丈夫、と確信してから、駐車場に向かう。呼び出しボタンを押すと、エレベーターが動き、やがて扉が開いてディーンの赤いスポーツカーが姿を表した。
素早く乗り込みエンジンをかける。
燃料はまだ十分。
パーキングブレーキを解除し、背中を蹴飛ばされるような加速を感じながら車を大通りに出す。
走り出しさえすれば、大丈夫。
アマチュアの腕前とは言え、彼の車についてこられるものはそうはいない。走り出した車はディーンにとっては無敵の砦。
――そう思って油断した。
後ろから細く甲高い音。
チリチリ、とでも表現出来るような音は、ディーンのよく知る音だった。
時折ルナパルクで鉢合わせする、レーシングバイクの駆動音。超高回転域にトルクチューンされたモーターパワーを電磁的に駆動部に伝えるときに鳴る、独特の音だ。
後部カメラの映像にちらりと目をやる。
二台のバイクが迫っている。
違うメーカー、違う車種、違うヘルメット。
だが、黒い上着は、以前夜にディーンとエレナを襲った連中と同じおそろいだった。
「やっぱりどこかで駐車場を見張ってたか……」
ディーンの感じたものは、驚愕よりも納得に近かった。
小さくつぶやきながら、次の行動について思案する。
こんな街中でいきなり暴力沙汰は起こすまい。おそらく、少し距離を開けて静かにエレナの居場所へディーンが案内するのを待っている。ディーンが特徴的な音の正体を知らなければ、気づかなかったかも知れない。
そうなるかもしれない、と思って『ルナパルクに向かうのとは逆向きに通りに出た』ことが、いったんは幸いした形だ。
「ふふ、まるで探偵ドラマの主人公だ」
それは逃避的な、あるいは自嘲的な笑いだった。
自分の間違った決断が招いたこと。
こんなに奴らがエレナに執着してると知ってれば、決してエレナを手放さなかったのに。
いや、そうだろうか。
あの時の僕はきっとそれでもエレナを見捨てただろうな。
環境や情報のせいにするのはよそう。
僕の未熟が原因だ。
だったらこの面倒な状況はもちろん僕の責任で、僕がそれを切り抜けるのは、エレナに会うための試練なのだろう。
「バイク相手に逃亡戦は、分が悪いな……」
冷静に分析する。
何キロも続く直線コースなら勝てるだろうが、市街地の道路でバイクから逃げ切れるビジョンが浮かばない。
「考えろ。僕に知る力は無いかも知れないが、考える力では、負けないはずだ」
路地や交差点はバイクの独壇場だ。
山道は? もちろん勝てるわけがない。
ハイウェイに出て一気に突き放すか。
普通のバイクならそれで勝負ありだろうが、あの高回転チューン型相手では、相当に時間がかかるだろう。ともすれば、燃料残量の勝負になりかねない。
よく走り回った近場のいろいろな道を思い返す。
思い切り飛ばせるワインディングロード、傾斜の変化が錯覚でわかりにくくなっている隠れた難所、恐怖体験でしかなかった名物の逆バンク……。
ふと、ある場所のことを思い出し、それから一つのひらめきを得る。
「デバイス・ローラ! トランクを開けろ」
その声に答えたローラと呼ばれた彼の情報端末は車の情報リンクを経由してトランクを開けた。
「デバイス・ローラ、飛行ドローンがある、リンクできるか」
「問題ありません」
中性的な声で応答。
それを聞いたディーンは、次の行動に移る。
人目のあるところを維持していた経路を、郊外に向ける。向かう先は、時折簡易に走りを楽しむために向かう峠道。
徐々に民家が減り、両側に灌木の林が広がり始めたかと思うと、大きく蛇行して登り傾斜に変わる。
ちらりと後ろを確認すると、やはり二台、変わらずついてくる。
シフトを落としてアクセルを踏み込むと車は甲高い音を立てて加速し、バイクとの距離が開く。慌てたように速度を上げてバイクがついてくるのが見える。
その様子を見ながら、曲がりくねった道をさらに上っていく。
この先に目的の場所がある。
やがて、道はやや平坦になり、大きなカーブを曲がるとその先に地平線が見えるほどの直線道路が見えてくる。
シフトを上げてからゆっくりアクセルを緩め、最後に静かにクラッチを抜いた。
ここが、錯覚で登りに見える下り勾配。さらに、延々と続くように見える直線はこの先の勾配の急変化で見えなくなっているだけで、実態は直線などではない。
その峠を越えた瞬間に、灯火を全て落とし、
「デバイス・ローラ! ドローン発進! 後方に赤色二灯点灯!」
ディーンのコマンドに応え、甲高い音を立てながら四組のローターを回転させ、小型無人機が飛び立ち、ビュンと音を立てて前方に飛んでいく。
後ろから来たバイクの回転音が急上昇した。
そう、明らかに、峠を越えたディーンが急加速して逃げようとしていると勘違いしたのだ。
と同時に、シフトを一番下に繋いでアクセルを床まで踏み込みクラッチを繋ぐと同時に急ハンドル。
後輪は空転し車体は悲鳴を上げながら横向きになる。
ディーンの車が遥か先にあると思って速度を上げていたバイクは、突然横向きになって目の前に現れた車両に慌てふためき、それぞれ左右に大きく舵を切って避けるが――
その先は、勾配が急変化して見通しの悪い突然の左カーブになっている。
昼間に注意深く標識を見ていれば分かるだろうが――
ドローンはその先の空中――道が続いていると錯覚させる位置にホバリングしている。
道がまっすぐと誤認したままのバイクはバランスを崩したまま激しくガードレールに衝突し、沈黙した。
***
バイクをだまし討ちにしすぐに車を逆に向けたディーンは、峠道をそのまま街に戻らず、途中で脇道に入った。舗装状況のよくないその道はかつては忌避した道だが、街を回り込んでルナパルクに向かえる道の一つだと覚えていた。
速度を落とし、早鐘を打つ胸と浅い息をなんとか整える。
バイクのライダーは怪我をしただろうか。
命に関わる怪我をしたかも知れない。
思うと、手足の先がこわばる。
人を殺してしまったかも知れない。
けれど、そうしなければならなかった。
敵だから命を奪っても良いわけじゃない。
それよりも、エレナを奪われてはならないという気持ちが強かった。
事後現場の上空を飛んで戻ってこようとするドローンの映像が入り、カーコンピュータのモニタにそれが映る。
原則として有視界飛行用のドローンは、視界外に出ると自律的にコントローラーのところに戻ろうとする。
まずい、ドローンを追われるとこの道に入ったことがばれる。隠さなければ。
そう思っていったん車を停めて見たとき、ちょうどモニターの中で、ライダーの一人が足をかばいながらもう一人を起こしているところだった。
――よかった。
ほっと一息つく。
指先の感覚が戻ってくる。
「デバイス・ローラ。飛行ドローンとのリンクを切れ」
「飛行無人機安全保護規則に違反します。正しく収容してください」
デバイスは正しく法令遵守の基準によりディーンの要請を却下した。やむなく、不時着措置を取る。地面に着いてから、リンクを切った。ヒントを与えたかも知れない、と気が急く。しかし時間は稼げたはずだ、と、気持ちを切り替え、再び車を出した。
星が瞬き始めている。
山の脇道は深い森の中をくねくねと縫うように走っていて、なかなかスピードを出せない。
視界も悪く、ハンドルを握る手に汗をかく。
この調子では一時間はかかるだろう。
走りながら、ぼんやりと考える。
「エレナが……銃を撃つとき、こんな気持ちなのかな」
声に出して思考する。
「そんなことをしたいわけじゃないのに、もっと大切なものがあるから」
そして、あの時の、返り血を浴びながらキョトンとしたエレナの表情を思い出す。
「殺さずに止められた、と――きっと、ほっとしてたんだろう。危なかった、助かった、と。もしさっきの僕が、あのライダーが無事なのを知って胸を撫で下ろしたそのときに、お前は大変なことをした、と突然言われたら、僕もキョトンとするだろうな。いや見ろよ、ライダーは無事さ、と」
心の内で、エレナにひどいことをしてしまったという罪悪感が膨らんでいく。
「……エレナに、謝ろう。でも、それは後でいい。まず伝えなきゃならないのは――」
それはなんだろう。
わかっているはずなのに上手く言葉にならなくて、もどかしい。
愛してる、だとか、君が必要だ、だとか、そんなことを言うのは容易い。そう言って女性を口説いたことも一度や二度じゃ無い。
でも、そうじゃない。
これだけは、そうじゃないと、自信を持って言える。
「そうだった。もう決めてたんだ」
小さく呟いてハンドルを握り直し、暗闇の森の中を走り続けた。
***




