第三章 記憶、記録(7)
サンジェミニという、繁華街の街に、その店はあった。
エレナの残したレシートが示していた店について、ディーンはもう一度確認する。
過激派の手がどこまで伸びているか分からないため、慎重に、情報端末などの位置情報送信機能を念入りにカットしてそこに向かう。
駅を降り地上に出てから、そこまでは数分の道のりだった。
コンセプトとしてはショッピングモールだが、どちらかというと公園のような雰囲気の敷地だ。
その中に、エレナがいろいろと買い込んだ中規模のホームセンターのような店がある。
入ってみると、アウトドア品が充実している雑貨店、という雰囲気だった。アウトドア品に押されるようにして種類の少ない生活品が並んでいるような店内だった。
エレナのことを憶えてないか、店員に聞いてみようと思ったが、よくよく考えると、ディーンはエレナの写真など容姿を説明できるものを一つも持っていなかった。
「人を探してるんだ。ここに立ち寄った後、行方不明で。ここのレシートだけがある。キャンプの準備をしたみたいだ。もしかすると遭難かもしれないから、手掛かりがないかと」
と、ディーンは説明したが、あながちまるきりの嘘でもないと気づく。確かに、エレナは遭難している。
「この日か……誰だったかな、おい、ヨアヒム、お前この日いたか?」
さすがに遭難と聞いて協力を惜しまない。店員はヨアヒムという別の店員を呼んだ。
ヨアヒムはレシートを覗き込み、うなずく。
「ああ、俺がいた。どんな?」
「黒い、こげ茶の短い髪、瞳はブラウン。細身で身長はたぶん百六十五。Tシャツとパンツの姿をしていることが多い」
「美人か?」
「美人だ」
「じゃあ覚えてる。食べ物の場所を聞かれた」
「その時ほかに何か持っていなかったか?」
「バックパックを背負ってたな。何を入れていたかは知らん。ああそれから。ナイフを念入りに試していたな」
「ナイフを?」
もしかすると、戦闘があると予感していたのか。
「ああ、あそこだ。ナイフの試供品と、試し切り用の小枝や板きれや丸太なんてのがある」
見ると、ちょっとしたキャンプ地を模したスペースにいくつか試供品があり、そんな中に、数種類のナイフもあった。焚火の模型のそばには、確かに試し切り用の傷だらけの丸太などが転がっている。
「慣れた手つきで小枝を切り刻んでたからよく覚えてる」
それを聞いて、ディーンは手元のレシートにもう一度目を落とす。
ナイフは、買ってない。
「しばらくここでナイフで遊んでから、他の物を買って出ていったな。覚えてるのはそれだけだ」
「ありがとう、助かった」
ディーンは店員に礼を言ってから、ナイフの試し切りの模擬キャンプ地に踏み込む。
試し切り用の小枝の束と、板と、丸太が置いてある。
誰もが切れ味を試すために小枝を使っているようで、丸太は比較的無傷だ。こちらはどちらかというとペグ打ち込み用ハンマーの試し用の土台で、ペグに見立てた釘が何本か刺さっている。
ここで、エレナは、買う気もないナイフを使っていた。
そんなタイプじゃない。
必要なものはしっかり試してから買うだろうし、必要でないものは触りもしない。
彼女はそんな人だ。
それは、彼女の行動に何か意味を見出したいというディーンの願いでもあったかもしれない。
ディーンは、釘の刺さった丸太を軽く傾け、そして、釘がいくつか刺さっているのとは反対側、まだほとんどまっさらな面を覗き込んだ。
果たして、そこには、ディーンにしか分からないメッセージがあった。
『私・は・ロレッタ』
たったの三単語。
これに意味があると知るのは、この宇宙ではきっと、ディーンだけ。
「……僕宛てのメッセージ」
声に出してつぶやくと、それは途端に真実となった。
そして、その意味を理解したと確信したディーンは、上等そうなナイフを一つ買って、店を出た。
***
連絡は、彼らの本拠地、モデナの修道院にまですぐ届いた。
あの悪魔――エレナの行方を捜して張っていた網に、例の青年がかかったのだ。
「司祭様、悪魔の行方について」
静かに入ってきて膝をついた小柄な男が報告を始める。
「悪魔の居場所が分かったか」
「分かるやもしれません」
小柄の男の言葉に、司祭は身を乗り出す。
「悪魔の船を見張っていたものより、連絡が。以前悪魔とともにいた男」
「ああ、けがれた『テゾーロ』を地下から掘り起こしたものだ」
「あれが、何やら船に乗り込み、それから出てきたと。もしや悪魔の行方を知るやも、と声をかけたところ、手のものを突き飛ばして逃げた。間違いなく、つながっておりまする」
司祭はそれを聞き、眼を光らせる。
「決して逃すな。テゾーロの男はまだよい。だが、悪魔だけは、決して逃すな。祝福を与えねばならん」
「はっ」
「あのものの血は、汚れておる。あの時我らの子らを苛んだ――あれは数多の生き血を吸ったものの所業だ。法や制では裁けぬ。神による祝福こそ、悪魔に必要だ。放り置けば、さらに多くのものの血が流れる」
司祭のその言葉は、実のところ、真だろう。
これまで、多くのものの血を贖い生き延びてきたエレナは、おそらくこれからも、血を吸い続ける。
「リーザ殿下の近くに潜り込ませておったものによれば、蛮族の国で不死の女傑などと呼ばれていたという。まさに摂理に反する在り様だ。……分かるな?」
「は、それはもう。あの悪魔は、決して許されざる罪を犯しております」
「数々の神の使徒たちが、悪魔の手にかかって来たであろう……決して許されない存在ゆえに、それを捨て置けなかったであろう……その無念、我ら、アンティ・テゾーロこそ、我ら、エミリア正教こそ、晴らさねばならん。何万という同胞の仇である。決して、逃すな」
わずか数人がエレナに蹴散らされたことから、なんという飛躍かと思われるが、小柄な男はそこに一片の疑いも持たない。なぜなら、あの悪魔はあってはならない存在であり、神に祝福されたものであれば、たとえ勝てぬと分かっていても挑まざるを得ないだろうことは、間違いがないからだ。だからあの悪魔は、何万という同胞の命を吸って生きているに違いないのだ。
「必ずや。必ずや、同胞たちの無念、晴らして見せます」
「頼む。どうか、頼む」
最後の懇願のような声を受け、小柄の男は目頭を熱くしながら深く頭を下げて、辞した。
司祭はそれを見送りながら、奥歯をかみしめる。
「決して、逃さぬ」
***
雑貨屋を出たディーンは、ひとまず落ち着けるところで腰を下ろすことにした。
しかし、過激派がいつ襲ってくるかも分からない。
逃げ道を確保するためにも、周囲が開けた公園の、大きな芝生広場の一角で、ベンチを見つけた。
そして、『きっと必要になるもの』として無意識に車から持ち出していた、エンダー博士の手記。
その中で、ディーンが密かに『ロレッタ記』と呼んでいる分冊の一つを取り出す。
それは、エンダー博士と、娘・ロレッタの物語。
『私・は・ロレッタ』
それは、エレナがディーンに送った、暗号の鍵だった。
ロレッタの記憶こそが鍵なのだ。
興奮に汗ばむ手で、次々とページをめくる。
自らの失敗を突き付けられいたたまれなくなり読めなかったページも、丁寧にめくっていく。
探すべきは、『アユム』、それから『マリアナ川のほとり』。
やがて、それはふいに現れた。
昼過ぎには始めていた探索が、もう夕刻に近づいている。
『エレナ・ロレッタが娘となって久しく。私はロレッタの記憶を少しでも残しておきたく、彼女の記憶を次々に紐解いてきた。知らぬ間にウィザードとなり、戦場で人を殺し――凄惨な記憶を、私はあえて問うてきた。それはここまでこの日誌に書いてきたとおりだ。しかし、どうしても最後まで問うことが出来ない記憶があった。それは、アユム・プレシアードの記憶。ロレッタを救い心を通わせ、しかし、結局帰ってこなかった恩人。私が殺した、恩人』
『ロレッタとアユムの交流は、わずかだった。ロレッタを救い出したアユムは、騎士団の戦う女神、シャーロットに守られ、大陸南岸に逃れた。そこでしばし過ごす間、お互いの身の上を語ったと言う』
期せずして、シャーロットがエレナと同じような二つ名を持つことを知る。あるいは、エレナはいつか、シャーロットと同一視されつつあったのかも知れない。
『一人の補給兵とシャーロットが、ロレッタたちの安全のために危険を冒して船を取りに行ったとき、ロレッタたちを守っていたのがアユムだった』
『アユムは気持ちのいい少女だったという。おそらくロレッタより年下で、しかし、英雄たちを率いるリーダーで、カリスマだった。何度も引き裂かれそうになったシャーロットとその恋人を、守っていたという。私が直感した通り、アユムこそ、彼らのすべてであり、彼らのためならば命を投げ打つことをためらわない少女だったのだろう。だから、私はとっさに彼女の命を賭けの対象としたのだろうが、結果として――』
『ふいに思い出し、涙を落とした私をロレッタは――』
ここはいい。めくる手が震えている。
『私は核心の質問をした。アユムの最後の思い出は、と。ロレッタは言った。並んで夕日を見た、と。自分たちを救ったアユムたちが、これから自分たちを守りながら南の島に旅立つ。これからもよろしく、と握手をした』
『その直後、事態は悪化した。全知の魔人シャーロットが、南の島で、ロレッタたちを殺そうと待ち伏せしているものがいると知った。言うまでもなく、我が友、フェリペだ。確かに彼はそのつもりで幾重にも罠を仕掛けてあった。フェリペを倒さねば、彼らの、そしてロレッタの安全はないと知った。だから、そこが、ロレッタとアユムが再会を約束して別れた地』
『ロレッタは待ち続けた。ずっと待ち続けて、帰って来たのは、セシリアという少女と補給兵だけだった。アユムの痕跡は、セシリアが形見として持っていた、アユムの愛用していた突撃銃の撃針だけだった。ロレッタは、悲嘆にくれたという』
『だから、ロレッタとアユムの最後の記憶は、二人の永遠の別れだった。それはどこだったのかと聞いた』
『ロレッタは答えた。マリアナ川のほとり。別れの地、と』
マリアナ川のほとり。アユムとの思い出。
それは、きっとこの手記を頼りに自分を探しに来るであろうと信じた、エレナからのメッセージだ。
そこで待っていると。
別れの地――そこで待っていると、彼女はそう言っている。
どうして忘れていたんだろう。
僕らは、あそこで別れた。
あのとき僕は半ば自暴自棄に車を走らせエレナを翻弄し、あの場所で車を止め、エレナに、正体を知ったことを告げた。
そこでエレナは、何も弁明せず、扉を開けて、雨の中、静かに去って行き、僕はそれを見送ろうともせず、アクセルを踏み込んだ。
僕らが、お互いの決別を確信した、オルタ・レーシング・ルナパルク。
――それが、エレナが僕に与えた課題の、答え。
空が茜色に染まり始めている。
広い公園から見えている夕陽は、マリアナの太陽とは別の太陽であるはずなのに、かつてロレッタ――エレナが、かけがえのない友人と並んで見た夕陽のような気がして。
ディーンは静かに『ロレッタ記』を鞄にしまうと、立ち上がり、駅に足を向けた。
もう、足取りに迷いはない。
***




