第三章 記憶、記録(6)
ディーンが乗り込むと、エレナの船の船室は、きれいに整理されていた。
いつか、エレナが荷物を取りに来た、と言っていたが、その時に整理したのだろうか。
少なくとも、不時着直後の散らかった部屋ではない。
操縦室の後扉を開けると、居住モジュールが左右に二つ並んでいる。
片側は、ベッドと簡易のデスク以外、何も置いていない。長い間誰も使っていないようだ。
もう片側は、生活の痕跡がある。
そちらがエレナの私室だろうと辺りをつけ、ディーンはノブを回して侵入した。
「エレナ」
もしかすると、と思い声に出して呼びかけてみる。
しん、という静寂だけが返答だった。
「いないのか。いたら返事を」
しかし、やはり返事はない。
数歩踏み出す。
足に何かくしゃりとしたものが当たる。
何かの紙を丸めたものだ。
軽く広げてみると、どこかで買い物をしたレシートだ。
ひとまず関係ない、とポケットに突っ込む。
「エレナ、どこだ」
返事などあるはずないと分かっていながらも、声をかけながら、次にベッドの上を改める。
きれいに伸ばされたシーツは、使っていた形跡がない。
オートプレッサー付きなら昨晩寝ていても今はこのくらいにきれいにされていてもおかしくないから、これはいなかったという証明にはならない。
シーツの中、枕の下などに手を入れて、何かないか念入りに探してみるが、生活の痕跡はまるでない。
続けて、デスクに目を向けた。
ここには、彼女が読んでいたであろう本がいくつか、デスク備え付けの小さな本棚に並んでいる。無重力でも飛んでいかないように、バインダー式になっている本棚だ。
丁寧に取り出して表裏を確認してみるが、特に異常はない。
デスクの上には、筆記具とメモ帳が置いてある。
実のところ、ディーンは最初にこれを見たいと思っていた。
が、これを確認することが、彼にとって最も困難な試練だった。
――もし、何も手がかりがなかったら。
その恐怖は、それを確認することを、無意識に後回しにしていた。
軽く深呼吸してから、ディーンはメモ帳を取った。
だいぶ古くから使っているようで、メモ帳の半ばくらいまで、何事かで埋められていた。
パラパラとめくっていると、最後に近い位置に、『エミリア』という文字が見えた。
『次は、エミリア、海洋調査局に、希望』
というシンプルなメッセージ。
これは僕のことだ。
彼女は、魔人の力で希望を見ていた。
最後のページには、丁寧な字でいくつかのことが書いてあった。
『いつもと同じ別れ』
『今回、希望は失われた』
『久しぶりの失敗』
『やり直したい』
「やり直せる、エレナ。僕はそのために君を探してるんだ」
『信仰。教会。狂信者。そして傲慢な貴族。今度は気を付ける』
「……なんて星なんだ、このエミリアという場所は」
ディーンは悔し涙があふれそうになる。あいつらが、エレナを。僕を。
『マリアナ川のほとりで待とう。私とアユムの思い出』
……アユム?
アユム・プレシアードのことか?
四百年も前に、悪趣味な賭けの対象として死んだ、アユム?
まさか。
「ダメだ、エレナ、ダメだ。いっちゃダメだ。生きて一緒に探すんだ、君の希望を」
ディーンの心を焦燥感が襲う。
希望を失ったエレナが、早まったことをしようとしている。
いてもたってもいられず、彼は、そのメモを端末にスキャンして、宇宙船を飛び出した。
***
息を切らせながら駐車場に止めた車に乗り込んだ。
そしてエンジンを始動させ、パーキングブレーキを解除したところで――どこに向かうのか、分からなかった。
彼は慌てて端末を取り出し、丹念に手がかりを探した。
殴り書きのメモも急いでコグニティブエージェントでデジタル化し、思考エージェントで丁寧に類推される場所を推論したが、何もわからなかった。
エージェントは、マリアナ川の手がかりから、首都近郊を流れるマリッティマ川という似た名前の川を示している。明らかにそうではないだろう。
諦めそうになって脱力したとき、ポケットの中に何かがあるのに気付いた。
さっき丸めてポケットに入れたレシート。
広げてみると、どこかの雑貨店かホームセンターか、そんなところだ。
――が、その日付は、つい最近。明らかに、ディーンとエレナが別れた後の日付だった。
鼓動が速くなる。
生きている。
間違いなく生きている。
それに、これから死にゆこうとするものが、こんな買い物をするものか。
その小さな推論は、焦燥で焦げ付いていたディーンの思考を、再びなめらかに滑らせ始めた。
レシートに記載されていた内容は、帆布やストーブや防水器具、携行食などなど。
まるでキャンプに出掛ける前夜だ。
ディーンはそれを見て、あまりの安堵に、小さな笑いを漏らした。
「こんな時にキャンプか、エレナ」
僕はなんと馬鹿なことを。
人類を頼まれた全知の魔人が、たかが僕という希望を失った程度で自死など選ぶものか。
自らの焦りの思考を思い返し、さらに笑いが浮かんでくる。
一方、この買い物のラインナップが示すことは、エレナが何かの危険を感じて、人目につかないところでサバイバルをしようとしているということでもある。
見つけることは困難になるだろう。
「でも、見つけるよ、エレナ」
そして、次の手がかりは、この雑貨店だ。
多少人見知りの癖のあるディーンだが、そんなことは言っていられない。聞き込みでもなんでもして、手がかりをつかむ。
それしかないのだから。
かけなおしていたパーキングブレーキを解除すると、彼は車を前に押し出した。
が、その時だった。
彼の車の前に、二人の男が立ちふさがる。
まずい、誰かの駐車スペースだったか。
そんなことを思いながら、ディーンは一旦車を止め、窓から顔を出した。
「申し訳ない、君たちの駐車スペースだったかな」
声をかけると、男二人は顔を見合わせ、少し首をかしげてから、ディーンのほうに向きなおった。
「ディーン・リンゼイ。そうだな? エレナという女を探している。協力してほしい」
言われた瞬間、ディーンはパーキングブレーキを解き放ち、アクセルを床まで踏み込んだ。
うわ、という声とともに二人の男は転がるように車をよける。
その間を、甲高い音を立てながらディーンの車が突き抜ける。
「まずいまずいまずい……なんてことだ、くそ」
ディーンはつぶやく。
エレナを探してるやつらがいる。
そして、ディーンのことも知っている。
――アンティ・テゾーロの連中だ。
間違いない。
彼らの信仰と狂信に触れて、分かったことがある。
彼らにとって、あの新種の鉱石は、異端だった。
だから、僕から奪い取って処分しなければならなかった。
であれば、それを阻止し続けたエレナは――おそらく、信仰上の悪魔だ。
リーザやルカがエレナを悪魔と呼んだのとは別の意味で、純粋な悪とみなしているのだ。
僕を襲おうという気はなくとも、『悪魔に魅入られた僕』には興味があるはずだ。
そして彼らは、悪魔に戦いを、聖戦を挑む。
その為に、エレナの行方を必死に探っていたのだ。
そして、エレナの手がかりを探して網を張っているところに、僕が飛び込んできた。
当然結びつける。
僕が何かを知っているかもしれない、と。
ダメだ。とっさに逃げてしまったことで、僕が何かを知っていると印象付けてしまった。
車を隠そう。
車で行動していると思われているなら、そのうちに、徒歩でできることもある。
珍しい内燃機関車なんかで出歩くんじゃなかった。
とっさに様々な思考をめぐらせたディーンは、いくつかの赤信号を突っ切り、二つほど海沿いの街を隔てた小さな駅舎を持つ駅前の、立体式の駐車場に車を入れる。扉を閉めてしまえばしばらく見つかることはあるまい。
それから彼は、最低限の身の回りのものを持ち出し、周りに注意しながら、駅に向かった。
***




