第三章 記憶、記録(5)
そこからの手記には、ロレッタとの日常が記されていた。
アユムに救出され、とある場所で潜んで自活していたロレッタは、その生活力で博士のすさんだ生活を清潔なものに変えていった。
ロレッタの仲間たちも、博士の罪を一緒に背負う仲間となった。
博士は、彼女らとの交流を、徐々に楽しむようになった。
そしてエレナを失ってからしばらくたったある日、ロレッタが切り出したのだ。
『エレナのエクスニューロを引き継ぐ』
それは、ロレッタの人格を失いかねない重大な決断だと、博士は語っている。
そう、博士はすでに、ロレッタの人格に愛着を持ち始めていた。
だが、ロレッタは、博士の贖罪、債務返済のためにそれは必要なことだと強硬に言い張ったようだ。
やがて、脳手術が終わり、エレナとなったロレッタは、自らこう名乗ることを、博士に懇願した。
『エレナ・ロレッタ・エンダー』
……それは、エレナであり、ロレッタであり、エンダー博士の娘であることを意味した。
だから、この手記に、後から、小さな文字で付け加えたのだ。
『我が娘』と。
やがて、エレナ・ロレッタの勧めで学問の道に復帰し、人類の発展のために貢献する姿も、その手記には細かく書かれていた。それは、エレナ・ロレッタが、どんな言葉を自分にくれたか、という視点だった。
必要なのは、言葉。その言葉に乗せられた、心の交流。
親子をつなぐ、絆と、愛。
手記の後半は、絆と愛であふれていた。
――それを読む僕は、もう、耐えられなかった。
僕が捨ててしまったものが、そこに全部書いてあった。
その愛と絆の物語は、僕の失敗を、これでもか、というほどに、糾弾していた。
僕は失敗してしまった。
リーザの保身を罵り、彼女の言い訳さえ聞かずに立ち去った。
エレナを恐れ、裏切り、失意のうちに去らせてしまった。
なぜ、耳を傾けなかったのだろう。
僕には、それができたのに。
まだ余白の多い手記の、それでも裏表紙のすぐ手前のページに、決して変えぬという意思で、結論が、書いてあった。
『アユム・プレシアードは、無駄死にではなかった』
それがきっと、博士の――博士とロレッタの、受け取り手形だった。
僕は、自分がとるべき道を知った。
僕と、エレナが。
今きっと、エレナは、一人だ。
きっと、失われた科学の進歩を何とか人類の手に取り戻そうと、必死で動いているだろう。
でも、王家と教会という怪物には、たとえ魔人でも手が出せないだろう。
僕は、エレナを探さなきゃならない。
そして、エレナの連帯保証人にならなければならない。
――エレナを、探そう。
エレナに、会いたい。
***
ディーンにとって、何をどう考えても、優先順位は変わらなかった。
山のように積みあがった未処理のデータと、エレナ。
天秤にかけたとき、それは瞬時に傾いて、片方を床に落としてしまった。
結果、ディーンは、欠勤した。
あれを処理することは、人類に一ミリの貢献もしない。
そう割り切ると、なんとばかばかしいことをしていたものだ、と思う。
くすねてきた無人飛行ドローンは車のトランクに乗せたままだが、構うものか、これから、たっぷり役立ててやろう。
だから、エレナだ。
そう決意を新たにしたが、結局、彼にはまだ何も手がかりがない。
エレナはこの星のどこかにいる。
それは間違いがない。
なぜなら、彼女は密入国者だからだ。
どれだけの大金を積んでも、密かに出国することはできない。
――いや、一つだけ、彼女がこの星を去ることが出来る方法がある。
彼女が最初に乗って来た、不時着宇宙船。
何をどうやったものか、彼女はエミリア船籍の船で不時着した。
その船は、ソーラーパワーで水素推進剤を腹にため込めるタイプで、つまり、最終的には自走して宇宙に飛び立てるということだ。おそらく彼女は最後の密出国のために、あの船をどこかから拝借してきたのだろう。
その船で飛び立ったかというと、実は、それが否であることを、ディーンは知っていた。
あの船は、所有者不明の墜落機として、港湾に係留されている。
ディーンたちが勤める調査局から見える程度の位置に、それは置いてあり、少なくとも昨日までは、窓からそれが見えていた。ディーンの心がエレナの痕跡から眼をふさごうとして見えなくなっていたことを除けば。
だから、エレナは、まだ飛び立っていない。
もしかすると、エレナの魔人性は、そうしたもろもろの面倒さえ吹き飛ばすような不正の能力を含んでいるかもしれない。だが、それを言い出したら、エレナは宇宙のどこかに逃げていてもいいし平行宇宙のどこに逃げていたっておかしくない。だから、エレナがエミリアのどこかにいると信じることは、ディーンにとって自明であった。
そして、あの船こそ、出発点になると思っている。
エレナが唯一残したものだ。
職場の誰かに見つからないようにひっそりと港湾に向かったディーンは、その船に静かに近づいた。
気になって調べてみたが、一般的には、このタイプのソーラーパワーアシスト化学推進船は、推進剤の補充に半年はかかるのだそうだ。降りてくるだけでさほど推進剤を使っていなかったかもしれないと考えても、エレナが来てからの期間を考えると、まだ飛び立つのに十分な推進剤はたまっていないかもしれない。
近づくと、小さく低い唸るような音が聞こえる。おそらく、ソーラーパワーを使って海水を電気分解し、水素として貯留している、その処理音だろう。加えて、冷凍機の音。貯留素材は、十分に冷やせば液体水素そのものよりも多くの水素を同じ体積に詰め込める、とものの本に書いてあった。
じっと眺めていると、係官のような男が近づいてくる。
「この船に、何か、用か?」
警戒しているというよりも、持ち主が現れたか、という期待のこもった声。
怠惰な沿岸警備の仕事において、所有者不明の不時着船など、厄介ごとでしかない。
「知り合いの船に似てて」
ディーンは用意していた答えを口にした。
「知り合い? どこの誰だい?」
「……絶対口外するな」
「……? あ、ああ、分かったが」
「……リーザ・ベルナンディーナ・グッリェルミネッティ殿下だ」
「……は? 王女殿下?」
疑う彼に、相互認証のマークがついたリーザの連絡先を端末に表示して見せた。
係官の男は、小さく、ひぇ、というような声を漏らしてのけぞる。
「あ、あの、貴族様で」
「まあ、そんなところだ」
思った通りの勘違いをしてくれた。
「悪いが確かめたい。船を見ても?」
「は、はい、それはもう。しかし、失礼ながら、御尊名を」
身分を問う係官を、ディーンは、できるだけそれらしく見えるようにらみつけた。
「僕がこんな格好で来ている意味を、理解してもらえるかな」
「は、はっ、し、失礼いたしました!」
貴族の真似事などすることは一生あるまいと思っていたが、ディーンはそんなありえないことをしていた。
ある意味で、ルカに触れ王女に連れられて社交会に参加させられたことが役に立っている。
貴族が、平民に対してどのようにふるまうか。
ルカとの対峙と平民として参加したあのパーティで嫌と言うほど知った。
係官はすぐに事務所に戻り、折り畳みのはしごを持ってくる。簡易的なタラップだ。
「どうぞお気を付けを、落ちれば濡れます」
「その時は貴様の着替えを借りるさ」
自分でも笑いが漏れそうになるくらい尊大な態度を取りながら、ディーンはタラップを渡った。
非常ハッチは、やはり、ロックされていない。それは、非常ハッチだからだ。
「中を見せてもらう。ここで待っていろ」
「かしこまりました!」
係員を残して、ディーンは船に滑り込んだ。
***




