第三章 記憶、記録(2)
鉱石を、探そう。
それは、ディーンがマリーナロメアの町に戻って、最初に思ったことだ。
全ての鍵は、鉱石が握っているはずだった。
それは彼の倒錯した思いに違いなく、たかが鉱石の一つが彼の科学者人生を肯定するわけがない。彼自身がそう理解している。
それでも、彼は、それを出発点としようと思った。
もう一度鉱石を探すと言っても、やはりそれは極めて難しい作業だ。
彼に立ちはだかっていた壁は、この上なくシンプルなのに、強固だった。
『オルテンシア海における海洋底掘削事業を無期限に停止する』
たったこの一行の通達だけが彼を阻んでいて、理由も条件も付さないその通達は、破るのは困難を極めた。
加えて、掘削事業は停止されているが、分析すべき試料は数多く、整理しなければならないデータは星の数ほどあった。これまで、無気力に、ただのポーズとして深海底を掘り続けていたゆえに、『無駄な仕事』だけはいくらでもあった。
ディーンが、あの鉱石を新たに掘り起こすための策謀をめぐらす余暇は無きに等しかった。
そんな多忙を極める生活の中で、寸暇を惜しんで論文を書いた。
それはとても短い――論文というのもおこがましい、学生のレポートに近いものだった。
ただ、できうる限りで写真を撮り、カタログとの照合を済ませておいたので、その短い論文は、彼がかつて見つけた鉱石が新種であることを十分に語っていた。
書き終えたとき、『この短い論文が人類史を変える』と、気分が高揚した。そのように自己暗示した。
これさえ提出すれば、さらに大きな遠くの『影響力』が、採掘事業の停止を覆す、と信じた。
調査局で論文提出の手続きを始めたとき、すぐにそれは差し止められた。
研究責任者でありディーンの実質の上司であるヒョードル・マクフライは、印刷した論文のコピーを右手にひらひらと掲げてこう言った。
「オルテンシア海での調査は無期限停止。分かってるのか?」
「調査の停止と論文の発表は別物です」
ディーンはとっさに応える。
「オルテンシアで見つかったものに関する事実の公表もそれに含む。当たり前のことだ」
……当たり前であるものか。と、ディーンは心の中で毒づきながら、
「ですが、これは本当に新種なんです、以前の一行官報も取り消しになりました、だったらやはり」
「面倒を持ち込むな。分かるか? ただでさえにらまれてる」
「……誰にです」
「知らん。だが、事業停止はそのサインだ。余計なことをするな」
そして、マクフライは声のトーンを下げ、
「……誰がそのトリガーを引いたかも、俺は知ってる。だが、今は放っておいてやる。仕事に戻れ」
それは事実上、上司からディーンへの、最後通牒に近かった。
***
学生時代の友人に連絡を取った。
大学で教鞭をとりながら、一応は、という枕詞付きで、地質学の学会に所属している友人、レオナルド・ピーターソン。
まず、彼が発見した新鉱石の話を包み隠さず話した。エレナの存在を除いて。
レオナルドは、一応は、という枕詞付きの科学者ではあったので、それなりの興味を示した。
論文の原稿を送った後、レオナルドは『興味深い』という感想を返してきた。
現物を見たいという言葉があったが、少し言葉を濁しながらもそれが何らかの権力機構の不思議な作用で失われてしまったことを素直に話した。
そこでレオナルドがややしり込みするような態度を見せたことを見抜くべきだったかもしれない。
それでも、ディーンは、情熱的に、新鉱石を発表しその価値を宇宙に問うべきだと語った。
その時点で、おそらくレオナルドは真相に気づいていただろう。
が、ともかく、話を聞いてくれることにはなった。
待ち合わせたのは、以前、ディーンが訪れた、王宮近くの喫茶店だ。彼にとって、エミリアの首都でなじみがある店は、せいぜいその程度だったからだ。
現れたレオナルドと、旧友としての挨拶をかわし、本題に入る。
「ここに書いてあることは分かったが、実際、見て、どう思った」
レオナルドが切り出す。
「不思議、としか表現できなかった。なにか、上下や方位を自分で認識しているように光沢が変わる」
「ただの光の加減ということはないか?」
「あらゆる方向からあらゆる波長の光を当てて、単なる構造色ではないことも間違いなかった」
「磁場の反応は? 方位に反応するというのは、単に磁場への反応の見間違いのことが多い」
「確かめた。磁場にはほどほどに反応する。磁界の中に置いておくと、方位への反応はほとんどなくなった。問題は『ほとんど』だという点だ。ゼロにならなかった」
「そして、上下方向への反応と合わせると、重力、あるいは重力ポテンシャルそのものに反応しているかもしれない、ということだな?」
「そうだ。要するに、砂時計みたいに上下を入れ替えると電子の流れが変わるってことだ。もしかすると全く未知の微細構造があるかもしれない。その中に、液状の結晶、要するに液晶に似た構造が自然に形成されているかもしれない。自然の反応でそんなものが生まれることはちょっと信じがたい。僕らが全く想像しなかった新しい鉱物形成のメカニズムが見つかるかもしれない」
「それは興味深い、確かに、興味深いな」
しばし、レオナルドは、論文を見つめながら思案する。
「……だったら、俺は手を引く」
突然の宣言に、ディーンは虚をつかれた思いになる。
「ど、どうして」
「厄介なものだからだ。外国の学者が押し寄せる。悠久の思索の庭園として設計された俺らの大学は、イナゴの群れに食い荒らされちまう。……おそらくな、お前の鉱石を葬ったのは、そういう連中の仕業さ。だから、俺は手を引く。俺も、静かな庭園を愛する一人だ」
その反応を、ディーンはどこかで予想していたのだろう。
それ以上食い下がる姿勢を見せることはなく、
「……そうか。聞いてくれてありがとう。今度は、こういうの抜きで一杯やろう」
「そうだな。また連絡くれ」
そう言葉を交わし、失意を隠しながら喫茶店を出るのが精いっぱいだった。
***
新種鉱石の価値を認めさせ、オルテンシア海の呪縛を解く、という戦略は、あっさりと失敗に終わった。
ある意味で、新種鉱石に価値があるからこそ、あの海が呪われているのだということを確認しただけだった。
だからディーンは次の考えを実行に移すことにした。
「新種鉱石については、もうこだわりません。ただ、毒性が気になっています」
「……毒性だと?」
「もう手元にないので何も分かりません、ですが、明らかに内部に何か流動的な構造があって……水溶性かもしれないし、コロイドとなって周辺海域に広がっているかもしれません。海産物の安全性については水産計画局の仕事でしょうが、毒物が広がっているかもしれないんです。何か、知らせてやる方法はないでしょうか」
ディーンのその言葉に、マクフライは唸る。
「……俺たちが……お前が余計なことをしたということを知らせずに、か?」
「……はい」
そこはしおらしく、罪悪感に押しつぶされそうな青年を演じて、彼は小声で肯定した。
「知らせるのは難しいことは分かっています。でも、僕らだってあそこで獲れた魚を食べてます。何か調査を……せめて、毒性の有無だけでも」
そして、自らの、あるいは、運命共同体として住民全員の不安を代表する声を上げる。
「分かった。その点だけは上に掛け合ってやる。ただ、あまり話は大きくできんから、期待するな」
その日のマクフライの会話はこれで終わった。きっと、彼自身も、自身の健康への影響として認識しただろう。
それから数日、次々に積み増される書類……データの山と格闘する日々を過ごしながら、続報を待った。
もし毒性の有無が懸案となったのであれば、一時的に凍結が解除され、最小限の掘削が許可されるだろう。
そう思っていた。
その日、夕方にどこかから帰庁したマクフライは、小さな手招きでディーンを無人の会議室に呼んだ。
「緘口令だ。お前の懸念も自分の健康についても、一切口外するな。まあ、気づいたお前は幸運だ、あの海で獲れた魚を自分で避けることが出来る。俺もそうしよう。それとなく、知り合いには知らせてやるよ。漏れ出していたとしても、そのうち何事もなかったことが分かる」
「……しかし、ほかの人たちに」
「些細なことだ。大丈夫、黙っててやる。何か起きてもお前の責任じゃない。俺が保証する。守ってやる。だから、胸にしまっておけ」
と、意外な形で、結果が出た。
毒物を放出してしまったかもしれないというディーンの罪の意識(の演技)を、マクフライは同情的に優しく包み込み、守ることを宣言したのだった。
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