第三章 記憶、記録(1)
■第三章 記憶、記録
自らの不死性を維持するために多くの少女を犠牲にし、科学を守るために引き金を引くことをためらわない魔人エレナ。
自らの将来の地位を確固たるものにするために、強者におもねり科学と平民を犠牲にする王女リーザ。
僕はいったい、何を信じればいいのだろう。
どちらも、気軽に会話をすれば歳相応の――そうどちらかと言えば好ましい部類の――少女なのに。
彼女らは、それぞれの目的で僕を翻弄する。
僕に信じられるものがあるとすれば、それは、僕自身だけなのだ。
――けれど。
僕は確認した。
僕は、科学者だ。
科学を愚弄されたことに怒りを覚えた。それが、その証拠だ。
そしてその科学者とは、不死者や王族に翻弄されない、『人間』でなければならない。
今度こそ、永遠に不死者や王族に立ち入られない人生に、僕自身の人生に戻ろう。
***
ディーンは、かつてエレナと訪れたリゾートの高原を、再び訪れていた。
あの時とは空はうって変わった曇天で、あの時のような暖かい日差しが無かった。
小さな駅舎風の小屋のそばのベンチは空だったが、彼はそこに座って、大きく深呼吸をした。
エレナは、ディーンの前から去っていった。
それは、彼女が恐るべき魔人だったから。
全知の力を持ち、人類を見守るという使命に殉じ、圧倒的な戦闘テクニックで敵をなぎ倒す殺戮マシーンだったから。
だから彼女は、自ら去っていった。
それに恐怖の視線を送るディーンを残して。
やがて、ディーンの後見者であったリーザも、彼のもとを去っていった。
それは、裏切り者として。
ディーンがようやく気づき始めた科学の明かり――その象徴であった、ディーンの発見した鉱石を渡すと、彼女はそれを、エミリア正教の主教にあっさりと渡し、それを宇宙の深淵に封印することを助けた。
だからそれは、ディーンに対する裏切りなのだった。
彼が担当していた地質調査局の調査対象は『大きな力』で凍結され、今や彼は、一種の失職状態だ。
サラリーこそ出るが、それ以上のものは何も掘り起こせない。
――エレナだったらどうするだろう。
そんなことを考えることもある。
どうしても、彼女の姿が、脳裏から消えない。
エレナが家出少女としてやってきてから、楽しい日々だった。
はかない笑顔を浮かべながら、謹慎中のディーンに付き合ってくれた。
でもその思い出は、彼を苦しめるだけだった。
だから、彼は思い立ち、珍しい内燃機関式の愛車に乗り込んだ。
行く先は、思い出の地。
まだお互い恋人だとも思っていなかったけれど、いつかそんな関係になれたら、と、お互いに思うようになった、郊外のリゾート高原。
――そういう経緯で、かつて二人並んで座ったベンチに、座っていた。
もしかすると、ここにエレナが来るかもしれない。
そんな思いが無かったわけではないけれど。
これは、決別の儀式だった。
ベンチの前には、小さな公園が広がっている。
リゾート地では、このような公園はほとんど見向きもされないものだ。駐車場に車を止めたカップルは公園を横切って山なみを望むハイキングロードへと消えていく。
ただ、全く無人と言うわけでもない。高地の空気の美味しさを理解できない小さな子供が公園の遊具で遊びたがり、結局そこに丸ごと釘付けにされている家族連れもいる。だから、公園はそれなりに子供のはしゃぐ声で満たされている。
四季の変化が比較的乏しいエミリアでは、気温変化をトリガーとして繁殖する植物は少なく、勢い、いたるところが多年性の常緑植物で満たされている。視界のほとんどを緑が覆う光景は、例えば地球からの旅行者にはまぶしすぎるくらいだろう。だからこそリゾートとしての価値が高いと当初は評価されたのかもしれない。
足元の芝生はそんな気候に合わせて改良された品種らしく、常に同じくらいの気温と同じくらいの日照にさらされることでほぼ同じ草丈を維持するようだ。
よくよく観察してみると、伸びすぎた葉は倒れて枯れてしまうよう茎が弱くなっている。
伸びては倒れ枯れて養分となる。
そのサイクル、ダイナミクスを知らず、この芝を踏むものは年中同じ草丈を楽しむのだ。
科学も同じだ、とディーンは思う。
小さな発見や改良のダイナミクスが、一定の文化と文明を維持している。
その一断面だけを切って、人間の幸福に科学の発展は必要ない、と論じるのは、きっと誤りだ。
エレナにそれを命じたエンダー博士は、それを知っていたのだろうか。あるいは知らずにエレナの延命のためだけにそれを命じたのだろうか。
だが、エレナがそれに従い、宇宙のあちこちでそれを守る戦いを続ける限り、人類は幸福を維持し続けられるに違いない。
一方で、ディーンは、『人間として』、科学に立ち向かうことを決心している。
今ある幸福を維持するために必死で駆け続ける、小さな科学者たちの一員として。
小さな科学者として、芝生の一本として、彼は、誠実に向き合おうと、決めていた。
宇宙を支配する巨大な魔人ではなく、あるいは、惑星を差配する王者でもなく。
そうして思索を続け、彼の中の高原の風景が、しっかりと描き変わるのを確認してから、彼はベンチを立ち、帰路についた。
***
モデナの街。サン・リディオ派の修道院の奥底。
そこは、同宗派の指導者の集まる場所であると同時に、『宝物』を極端に忌避する過激派、アンティ・テゾーロの本拠でもある。
修道院にはいくつかの祈りの部屋と、寝泊まりのための宿泊所があるだけの、木造の質素な建物だ。
余計な装飾もなく、無垢の木材がむき出しで、一見山小屋のようでもある。その屋根に輝く十字架だけが、そこが宗教施設と見せていた。
彼らアンティ・テゾーロにとって、『テゾーロ』は悪であり、奪い壊し焼却せねばならなかった。
何度か、強引な手段でそれを奪おうともしたが、それを邪魔してきたのは、よりによって主教猊下の庇護を求める、リーザ王女である。
彼らとて、その関係は理解している。
主教猊下は、同じくエミリア正教の教えの守護者として、この惑星から争いの種が生まれることを望まない。
エミリア正教の忠実な信徒にして信仰の体現者であることを示し、主教猊下の片腕となろうとするリーザの政治的思惑が、それを支える。
では奪ってしまえばよいではないか。
と思うのだが、ここに彼らの思い違いがあった。主教猊下は『そもそも生まれてはならない』が動機であり、『すでに生まれたものを破却すべき』というアンティ・テゾーロの考え方とはわずかなずれがあるのだ。しかし、アンティ・テゾーロの面々は、そのわずかなずれに気付かず、強引な謀略を進めようとし、結果として、リーザから釘を刺された。
彼らのフラストレーションは、自然、高まる。
結局、リーザはあの平民を懐柔し、テゾーロを手に納め、猊下に献上した。
自らの手でテゾーロを破却したかったアンティ・テゾーロの思惑を飛び越えて。
アンティ・テゾーロは、だからこそ、鬱屈した思いを抱えている。
まさに主教猊下の思し召しを酌んでテゾーロを奪い滅しようとしていたのに、それは自分たちの手では果たされなかった。
自尊心の問題として、彼らはそれを挽回しなければならなかった。
――ゆえに。
「悪魔はどこへいった。まだ分からんか」
彼らは、エレナを悪魔と呼び、それを血眼になって探していた。
あのテゾーロを掘り出した背教者などどうでもよい。
彼らの計画を暴力的に阻止して見せた悪魔こそ、テゾーロを超える純粋悪である。
「はい、司祭様。あれ以来、町には現れていないようです」
司祭と呼ばれた男、シルヴィオ・ベローネは、白髪の混じり始めた、がっしりとした体格。ほうれい線が深く、暗いグリーンの瞳はまるで深淵のようである。
「目立つ格好でもないしな……ディーンと言ったか、アレを襲えば現れると思うか?」
司祭と呼ばれた男は、対面の小柄な男に質問を重ねた。
「それは無かろうかと存じます。もはやテゾーロはあの男の手にありません」
「……であろうな」
彼らの価値観の中心は、当然テゾーロである。
悪魔=エレナが守っていたのは、当然テゾーロである。
悪魔はテゾーロの誘惑で人々を惑わすのだから。
「だが、悪魔が新たなテゾーロを手にすることだけは阻止せねばならん。悪魔の行く先を読む必要がある」
「であれば……そうですね、やはり、調査局でしょうか」
「うむ、もちろん、背教者がテゾーロを水揚げしたあの港は重要だ。だが、それだけで済むとも思えぬ」
「他の海」
「海だけに限らぬ。ともすれば、どこかの研究所に悪魔の知恵を入れてテゾーロを生み出すことさえ。うむ、カレッジだ」
「考えるだけで身震いいたします。しかし、その可能性は確かにおっしゃる通りかと。各地のカレッジの青年祈祷隊に手配書を回す準備をしておきます。手配書のために写真を撮っておかなかったことが悔やまれます」
「特徴を伝えてすべて報告するよう、支部に伝えておけ」
「かしこまりました」
小柄の男は、深く頭を下げて、すぐに出て行った。
「悪魔は、吊るさねばならん」
そのひとりごとは、ひとりごとゆえに、彼の強い信念を表していた。
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