第五章 揺動、出動(4)
「まあ、及第点というところか」
ルカは、モニターの中で繰り広げられた会話、そしてディーンの様子を見て、小さく鼻息を漏らす。
ルカの目的は、エレナを追い込むことである。
あの晩見てしまったエレナの異常さ。
おそらく、リーザが鉱石を入手することを困難にしているのは、あのエレナだけだ。
きっと、ディーンという流されやすい平民一人なら、何とでもなっただろう。
あの女こそが、リーザが目的を遂げるのを、邪魔している。
ルカは、純粋に、リーザの役に立ちたいと思っている。
リーザが何のためにあの鉱石を手にしようとしているか、彼は完全に理解しているつもりだ。
だから、本来、リーザが鉱石を手に入れてしまうことは、ルカにとっては、少々面白くないことになるだろうことも理解している。
それでも。
気高き血筋と美貌には、それに見合った肩書きと役目が必要だ。
リーザは、まだまだ、自身の価値を高めていく。
だからこそ、リーザを口説く楽しみも増すというものだ。
彼は、疑っていない。
いずれ、数々の貴族家が、リーザのオークションを始めるだろう。
三男で足りなければ、次男を、そして長男を出す。
男爵が脱落し、子爵や伯爵が蹴り落とされていく。
生き残るのは、侯爵家次期当主の、自分。
最も高い値をつけられる、自分しか、いない。
だから、安売りされては困るのだ。
彼は全能感に取りつかれている。
リーザが自分を高めれば高めるほど、自分の機会が増す、と信じている。
ゆえに、リーザは、エレナに勝たなければならない。
いっそ私が勝ってしまうか?
それも面白い。
だが、とどめは、リーザに譲ってやろう。
なに、あの女の正体など、せいぜい知れている。
物騒な二つ名が想起されるあの女は、どこぞの大国のエージェントといったところか。
何度か、その表情を見たが、どことなく、ぼんやりとした女だ。
確かに、あの格闘戦は見事だった。あのような技を持っているのであれば、単身敵国に潜入し、様々な工作を成すのにうってつけだろう。――に対して、あまりにギャップのある、優し気な風貌は、おそらく、ハニートラップのようなことこそが専門なのだろう。あの平民に仕掛けているように。
であれば、真の暴力、真の権力を、まざまざと見せてやればよい。
平和に見えるこの国に、そんなものはなかろう、とでも高をくくってきたか?
甘い。甘すぎる。
我々は、我々エミリア貴族は、宇宙で最も強大な権力を持っている。
エミリア貴族が平民の一人や二人の命を奪うことなど咎める者はいない。
自然、エミリア貴族の闘争は、熾烈なものとなる。
平民の命を掛け金とした血なまぐさいものになる。
自由と平等? 笑える。
支配者の権利を制限することに慣れた凡愚どもには、真の権力の偉大さと威風など、理解もできまい。
真の闘争など知りさえすまい。
それを目の当たりにし、失禁しながらすべて白状し許しを請うエレナの姿を幻視する。
愉快だ。
さて、ジーニーの予測では、明日の夜だったか、エレナが戻るのは。
どのような招待状を出そうか。
脅迫か、懐柔か……。
うむ、これは、混ぜ合わせるのが良いな。
あの男は、まさに信仰が揺らいでいる。エレナへの信頼も揺らいでいる。
そうだな、『アンティ・テゾーロという教えの暗部を憎むもの』、かつ、『無用の暴力を招く外来者におびえるもの』、そして、『リーザの友人』。
このような仕立てでいこうか。
私は、エレナにおびえて見せつつ、エレナを無用に刺激しようとしている正教の暗部からの脅迫を受けているとすればよい。逆らえず、君を脅迫するのだ、と。
正教の暗闇を覗いてしまった彼は、きっと私に同情するだろう。
リーザの友人である私に、何か手助けができるかもしれない、と誘いに乗るだろうな。
それは、エレナが帰る直前が良かろう。
彼は、エレナがすぐに帰ると、知らない。
だから、私の泣き言を聞くためにもう一度家を空けるくらいは、と油断する。信仰とエレナへの信頼が揺らいでいる以上、エレナにばれるリスクを嫌って、さっさと済まそうとする。
さて、ジーニー、どうかね?
――そうか、及第点か。
***
エレナがいないと、僕はこんなに弱いのか。
ディーンは打ちひしがれている。
昨日、教会からの接触があった。
明らかに、エレナの不在を知ったつり出しだった。
そして今日だ。
高位の貴族――よりによって、アリオスティ家のものを名乗る人物からの接触があった。
エミリア七候の一角。
決して揺らがぬ、三公七候、それは王家にも匹敵する最高権力者。
その接触に、エレナがいたら、どう判断していただろうか。
分からない。
もしかするとエレナであれば、意にも介さず無視したかもしれない。
だが、それに危うさを感じるようにもなっている。
彼女は、あまりにエミリアの秩序を乱してきた。リーザの注意を引き、教会の警戒を呼び、そして、侯爵家にまで目をつけられている。
僕の手に余る『テゾーロ』なのではないだろうか。
「リンゼイ。実のところ、私は、脅迫されている」
導かれて乗った高級車の中で、彼――ルカ・アリオスティ次期侯爵閣下は、先ほどの話を繰り返し始める。
「……私も、君たちのことは、気にしていた。リーザ王女殿下が気にされている。それだけで十分な理由だった」
彼は、たっぷりの弾力性を持たせた後部座席に身を沈め、ひじ掛けの上に神経質そうに指を打ち付けている。
窓は真っ黒で、外の景色も聞こえなければ、走行音さえほとんど聞こえない。静けさの中で、彼は続ける。
「君が、教会の召喚を受けたことも、すぐに知ったが、――それが、よりによって、アンティ・テゾーロだったとは。ああ、君はいくらか勘違いをしているだろうから教えておこう。彼らは表向きはサン・リディオ派、その中の過激派がアンティ・テゾーロ。それは間違いないが、君が呼び出されたあの一派は、サン・リディオ派の主流ではない、まさに一握りの過激派、そちらに属する者たちだよ」
ディーンはすっかり騙されていた。
あれが、あの優し気な空間こそが、過激派そのものだったとは。
「君が懐柔を受け付けないと知った彼らは、――リーザ殿下の友人である、この私を脅迫することにしたようだ。この私も、貴族社会を生きるものだ、後ろ暗いことの一つや二つはある。そうしたことと、私が次期当主であること、私の大叔父が正教の主教猊下であること、その意味を考えろ、とね」
ディーンが驚いたことに、この、ルカ・アリオスティ閣下は、エミリア正教の主教猊下の姪孫――親族でもあった。
「君に手荒なことをするつもりなら、とっくに済ませている。だから、穏便に話をしたい。約束する――ここからは車で話すことでもあるまい。安全な屋敷で、話をしたい」
この車さえ、監視下に置いているかもしれない、と、ルカ殿下は怯えている。
ディーンは、敵の強大さに、生きた心地がしない。
もしかするとこのまま閣下の庇護下に入る方が良いのかもしれないが――その時、エレナはどうなるのだろう。
これまでの会話で、エレナのことが一言も出なかったことが、逆に不安をあおる。
車はしばらく走り、郊外に向かう。マリーナロメアの近郊に、ルカ閣下の小さな荘園があるのらしい。
この大陸の大半は王家の直轄領なのだが、貴族の多くがこの大陸内に小さな荘園を持つことを許されている。
小さな、と言っても、ディーンからすれば驚くほどの広さ――丘に立って見渡した時の地平線までが領地――なのではあるのだが、そんなことを知らないディーンには、何かちょっとした庭付きの別荘なのかな、という程度で考えている。
だから、領境の関門を通ってからさらに車が十分以上走ってようやくルカ閣下の屋敷の前に止まったことに、ディーンは驚いていたし、これほどの権力を持つ人でさえ恐れを抱く正教の闇の深さに慄いていた。
通されたのは、開けた庭の一角に設けられた、屋根付きのオープンな場所。ガゼボや東屋と呼ばれるような場所だ。
下手に壁に囲まれているよりこの方がよほど安全なのだよ、と、ルカ閣下は笑って言う。
確かに、この場所の会話を盗み聞きしようとすれば、どこかで姿を見られてしまうだろう。周囲に隠れる場所はない。
太陽はもう低い位置にまで落ちつつあり、空はゆっくりとオレンジ色に近づいている。
今日は少し暑いくらいだった気温も、落ち着いて、外で夕涼みをするのがちょうどよいくらいだ。
そこに通されたディーンは、しばらく、放置された。
こういうものはある意味で貴族家のしきたりに近いもので、いきなり来客に本題を切り出す前に、お茶と菓子で寛いでもらうものなのらしい。
さらに夕闇が近づき、テーブルとソファの並ぶその一角にほんのりと明かりが灯される。
お互いの表情の詳細まで見えないような時間帯を選ぶことも、貴族同士の駆け引きの一つなのかもしれない、などと愚にもつかぬことを考える。
やがて、ルカ閣下が現れた。
さすがに大貴族、立派な体躯の護衛を十人はひきつれている。その護衛たちは、会合場からきっちり三十メートルのところで立ち止まって周囲に均等に並び、ルカ閣下だけが悠々とディーンの前にやってきた。
ディーンは、ソファから降り、膝をついて、高位貴族に対する礼をとる。
「……楽にしたまえ。座って。さて、早速本題に入りたい」
そう言われ、ディーンは失礼な態度にならないだろうか、と小さな仕草を気にしながら、ソファに腰を下ろす。
「連中が私に要求したことは二つ。一つは、君の持っている新種の鉱石を、リーザ殿下に提出させること」
「……彼らや、閣下に、ではなくて、ですか?」
「そうだ。彼らは、リーザ殿下に恩を売りたいらしい。面倒な話だが、サン・リディオ派も一枚岩ではないし、正教の組織も一枚岩ではない。猊下との誼を深めたいリーザ殿下、リーザ殿下を通して正教内での立場を向上させたいサン・リディオ派、功績を立ててサン・リディオ派の実質の主流となりたいアンティ・テゾーロ。まあ、そう言う構造だ。彼らが鉱石を力づくで奪っても、彼ら自身の立場には繋がらない。最初の事件の折に、リーザ殿下が釘を刺したからな。このうえ彼らが鉱石を持ってのこのこと出ていけば、リーザ殿下の不興を買う」
ディーンは、なるほど、とうなずく。
「そして二つ目、これはより重要な要求だ。――君のそばにいる女性に関することだ」
「エレナを? 一体どういうわけですか」
そのように問い返しながらも、アンティ・テゾーロの連中が、エレナを異端と見ていたことを思い出す。
「……という割には、何か心当たりがあるな」
「は、はい、その、彼らのところで、エレナ――その女性です――彼女が、異端であるという趣旨のことを」
「そうか。私には、単刀直入に、言われたよ。『エレナを殺せ』とな」
殺せ?
まさか。
いくらなんでも、そんなことを、教会の人間が?
いくら、彼らにとって相容れない存在だとしても、僕にとっての欲望の種、テゾーロだったとしても。
それが、人間一人の命を消していい理由とは思えない。
なにより、ディーンにとってかけがえのないあの女性が、二度と微笑まないなど、許せそうになかった。
いつの間にか、握り締めた拳が、ぶるぶると震えている。
「私にはその力がある。この私を平民殺人の咎で裁く法はない。リンゼイ、分かるね? だから、リーザ殿下の手を汚さず君の守りを取り除き孤立無援に追い込み、やがてリーザ殿下に頼らざるを得なくする――そのために、私に手を下せと言ってきた」
「い、いくら何でも、横暴ではありませんか。それに、エレナは、外国の人です。きっと国際問題になります」
「そうだ。だから私とて、はいそうですかとは聞けなかった。だから、君にすがっているのだ。エレナを、逃がしてやってくれ」
それは、貴族が決して見せるはずのない、平民に対する懇願であった。
頭こそ下げないが、ディーンが決してみることの無かったはずの姿。
リーザだけで十分だ、と思っていたところに、畳みかけられたディーンは、自分の価値が全く分からなくなって混乱してしまう。
――しかし。
それでも、彼は、どうしても譲りたくなかった。
それがなぜなのか、何度も考えるし、何度も答えを出してきたが。
改めて考えても、やっぱり無理だった。
エレナと離れるなど。
「……申し訳ありません閣下。その、そのことだけは、どうしても」
「……私が頭を下げてもか」
「僕は、彼女と一緒にいたいのです」
ディーンが軽く頭を下げる寸前、ルカ殿下の顔が、妙な形に歪んだのが見えた。
「――そうか。では、仕方あるまい。衛兵! この男を拘束せよ」
突然声色の変わった相手に、ディーンはさらなる混乱に陥った。
すぐに駆け付けた三人の衛兵が、ディーンの周りをきっちりと固めてしまう。
「か、閣下、これでは約束が違うでは――」
「約束? 約束とは、人間同士の間で交わすものだろう? 貴様のような下賤の平民風情が人間のつもりか」
その豹変ぶりに――いや、本来の貴族らしい姿に、ディーンは、やっぱり僕は失敗してしまったんだ、と悟る。
エレナがいなくなった途端にこれだ。
ここで僕が捕まって、僕の命を盾にエレナに何を迫るだろう。
いや、エレナはそのまま逃げてくれた方がいい。
あの鉱石の場所はエレナも知っている。
そっと持って逃げてくれれば――
「ああ、そうか、貴様にも教えておいてやろう。あの女、エレナは、もうすぐそこまで来ているよ。あの女が帰宅する寸前を狙って貴様を拉致したからな。あえて手がかりを残して置いた。私の演技はどうだったね? 我ながら、なかなかのものだったと思うが――ああ、安心しろ、私の目的は、別にあの女の命などではない。リーザがあの女の正体を知りたがっていてね、まあここで貴様の命と引き換えにたっぷりしゃべってもらうことにしようと思っているのだよ。しゃべってもらう過程でそれなりの苦痛を与えることになろうが、命まではとらんから、そのあとは好きに過ごせ。あの鉱石など、私には小指の先ほどの興味もない。好きにリーザと駆け引きごっこを楽しむといい。正体のばれた女をかばいながらな!」
早口でまくし立てたルカは、大きな声で笑った。
太陽が山の端に沈み、辺りを夜の闇が覆い始める。
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