第五章 揺動、出動(3)
ディーンを拉致した連中の車は、安物だった。
当然高価な内燃機関車ではないし、モーター駆動車の中でも特に内装の粗末な安い車だ。
いつもは路面ノイズを楽しむディーンも、この車のシートの下から響いてくる安っぽいノイズには辟易した。
よく車を走らせるディーンには、目的地はすぐに分かった。
第二都市、モデナだろう。
途中で、グランデカポルオーゴに向かう道を逸れたので、すぐに分かった。
市内に入った車は、一度中心街を通り抜けて、市街と住宅地の間辺り、少し賑やかさが減る辺りに向けて進む。
やがて、小さな交差点から片側一車線の道に入り、何度か右左折を繰り返した末に、突然現れた、大きな森と一体化した敷地に入った。
通り過ぎたシンボルを見て、ディーンは唸るように言う。
「教会の中に根城を作っているのか、狡猾な奴らだな君らは」
その声を聞いたディーンの隣の男は、目を瞬かせてから、何とも言えない、悲しそうな表情になった。ディーンはその意味が分からない。
車が止まったのは、大聖堂の奥、いくつかの修道院や研修所が並んでいるエリア。
そこで降りるように言われ、ついていく。
目の前に、一つの集会所のようなものがある。
質素な扉の上には、二つのハートが重なった文様。
どこかで見たことがある。何派だったか、たしか、あのシンボルを掲げる宗派があったはずだ。
そんなことを思いながら、男たちについて扉をくぐり、いくつかの研修室が並んだ廊下の一番奥に招き入れられると、そこには、中年の男が何人か、座っていた。
何かの間違いではないか、と、何度も周囲を見回すが、間違いなく、そこは、修道院の賢者たちが控える部屋のはずだ。
「――リンゼイさん、どうぞ、おかけください」
ぼうっとしている間に、席を勧められていたらしい。はっとして、よく考えずに、木製の椅子に腰を下ろした。
「サン・リディオ派司祭、シルヴィオ・ベローネ様です」
そう言われて、それが、ディーンにとって雲の上のような宗教的リーダーだと知り、ディーンは慌てて椅子を降りて片膝をつき、祈りのポーズを取り入れた礼をする。
「大変失礼いたしました。ディーン・リンゼイと申します。その、今日は――」
そう言いながら、相手の言葉を待つ。
「……こちらこそ、突然のお招き、失礼をいたしました。さて、先日は、我々のものが、大変な失礼を」
「……?」
ディーンが首をかしげると、シルヴィオは、両脇の男に視線を送ってうなずき合うと、懐から、一枚のカードを出した。
そこに刻まれた意匠は、割れたダイヤに突き刺さるスペード。
「こ、れは……」
「一部の信徒は、このようなものを掲げて、あのようなことをすることがあるのです」
シルヴィオは、問われもせぬのにいきなり核心を口にする。
「必要なことなのです。災いの種を摘むのは誰か……誰かが、心を砕き、これをせねばならない。サン・リディオ神父は、心の災いを取り除くことを望まれました」
「ぼ、僕はその、サン・リディオ神父の教えには余り詳しくないですが――」
「もし、その教えに興味があれば、いつでも。ただ、私たちは、心の中の欲望の種――『宝物』との戦いに打ち勝つ必要があります。ダイヤを割るスペードは、その戦いのシンボルなのです。だから、彼らの行いを異端とするつもりもありませんし、弁明も致しません。リンゼイさん、あなたが持っているテゾーロは、あれは、きっと欲望の種なのです」
それは、あの鉱石のことか? エレナのことか?
どちらともとれる物言い、それ以前に、ディーンが敵視していた相手が、ディーンが祈りをささげる教えに深くかかわっていたことの混乱で、何も考えられない。
だが、確かに、鉱石を得て、エレナと暮らすようになって、ディーンの敬虔さは、少し留守にしているように思えたのは確かだ。
鉱石と、エレナを、独占しようとする、自分自身の心の動きを、意識してしまう。
それこそが、隣人との信頼を説くエミリア正教の教えに反しているのではないか――
「大変な混乱にあることは、察します。ですが、どうか、善き隣人としての、あなた自身と向き合ってください。あなたのそばにいる女性は、決してあなたのためにならない」
その言葉で、ディーンを惑わす『テゾーロ』は、エレナであると確定した。
「決別しろとは言いません。ですが、あるがままを見て、あるがままに教えにすがってください。あなたは一人ではありません。一人で、あの女性をかばい続ける必要はないのです」
エレナのあるがまま?
そう問われて、ディーンは結局、エレナのことを何も知らないことに、愕然とする。
空から落ちてきて。
明らかに不法行為の果てと思われる無署名クレジットを振りかざし。
鉱石を呼び寄せ、そこに群がるエミリア正教の教徒たちをなぎ倒した。
エレナは、本当に、神の教えに背く存在ではないのか?
笑顔で、不正行為に不正行為で反撃すると出ていったエレナ。
それは本当に、あってよいものなのだろうか?
それを言えば、それを笑顔で見送った僕は、もはや、背教者になってしまっていないか――
「どうぞ、胸の内であれば、いくらでも聞けます、ここでリンゼイさんをお救いすることも、我々の使命です」
「……僕は、あの、彼女のことを、何も知らないんです。ただ、その」
どうして彼女をそばに置くのだろう?
それは、ディーンの知的好奇心を刺激する彼女が、この上なくかけがえがないと思ったから。
でも。
「……すみません、本当に、なぜだか分からないんです、彼女を、手元に置いておきたい。きっとそれは、あなたのおっしゃる欲望の種なのです」
震えながら、ディーンは懺悔する。
「……よく、告解なさいました。しかし、全ての欲が悪いものではありません。私どもは、そう考えています。一部の血の気の多い者たちこそ、こうしたシンボルを掲げて、テゾーロを狩り集めようとしておりますが、私は、そうした欲望の種も、神の御名のもと、祝福をすべきと考えております」
アンティ・テゾーロのシンボルをトントンと指ではじきながら、シルヴィオが言う。
「祝福を……」
だから、彼らは、それを狙うのか、という思いがある。
端的に言えば、誰かが懐に秘した知恵は、それ自身が欲望の種だ。
だから、それを丁寧に取り出し、祝福という名の、次の段階に導く。
それが、サン・リディオ派の、教義の実践なのだろう。
しかし、それは本当に正当化されるのだろうか。
誰かが何かを得たら、それは、無償で、隣人に共有されなければならないのだろうか。
それもまた違うように思う。
にも関わらず、彼らは、祝福のために、それを個人の手からむしり取ろうとしている、ように思えてしまう。
そのように考えるのも、エレナの悪影響だろうか?
悪影響?
エレナが、悪?
考えただけで、それは全く間違っている、と思う。
エレナは僕のすべてだ、などという熱い感情があるわけではない。
けれど、エレナは、それまでディーンが知らなかったいろいろなものを、ディーンにもたらした。
彼の知らなかった、あたらしい幸せの形が、見えるような気がしてきた。
それを真っ向から、否定できない。したくない。
それが、教義に悖るのだとすると、教義に誤りがある――まさか。まさかそんなはずが。
混乱しているうちに、今日はお疲れでしょうから、と席を立たされていたことに気が付く。
そして帰りの車の中で考える。
――そう言えば、僕をおびき出すためにエレナの部屋の窓を割った。
それは、隣人への愛だろうか?
僕には、隣人への暴力にしか思えない。
優し気な司教の言葉の裏には、疑いようのない暴力が潜んでいて。
今まさに、混乱から立ち直るために祈りをささげたい相手が、そこにもう元通りの姿でおわさないことに、ディーンはさらに混乱を深めていった。
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