第五章 揺動、出動(2)
公園での大立ち回りで数十人をオズヴァルドが一人で叩き伏せた、その日。
不届き物を残らず縛り上げ、麻袋に詰め込み、ピックアップトラックに山積みにしてリーザの宮に帰ったオズヴァルドは、謁見室を兼ねた応接室で跪いた。
「殿下、マリーナロメア近郊で祈祷隊などと名乗り暴力を担当していたものは、おおよそ捕らえました。事前に確認していたのが三十名、捕らえたのが二十八名」
「ご苦労。二名は?」
「非番だったのでしょう」
オズヴァルドのジョークに、リーザは、クスリと笑った。
「いずれも後ろ暗いことのないものはいないでしょう。適当に尋問して白状させて、何の罪でもいいので半年ほど拘禁するよう手配なさい」
「かしこまりました」
次の命令に、オズヴァルドは深く頭を下げる。
「……いいわ、オズヴァルド、直って」
と、リーザは急に、態度を親密なものに変える。
オズヴァルドは、『謁見』モードから『相談役』モードに切り替え、立ち上がって軽く礼をして見せた。
「ごめんなさいね、その、一方的な暴力になってしまったでしょう」
リーザは、少しうつむいてそう言う。
「暴力が俺の仕事ですから」
「そんなことはないわ。あなたの仕事は、本来は、王家を守り、臣民を守ること。――私の命令は、それに背かせているわ」
「そんなことはありません、リーザ殿下。ああいった連中は、結局、満たされない欲望を人のせいにして、欲望が悪いのだとかなんとかいって自分の才のなさを棚に上げて、うっぷんのはけ口として、背教だの裏切りだのをでっちあげているだけです。いずれは俺の守るべき同胞を傷つけるに決まっているのです」
オズヴァルドの分析は実に的を射ているが、それは、かつてオズヴァルド自身が感じていたことだからだ。
貴族家の一員として、なにをやっても才を発揮できない自分に直面したとき、才を尊ぶ社会が悪いのだ、という倒錯した感情をこじらせ、腕っぷし一つで貴族社会をめちゃめちゃにしてやろうというただその一心で、自分を苛め抜いた。もしリーザに目をかけられなければ、もしかすると今頃上司を殴り殺してどこかで犯罪組織にでも拾われていたかもしれない。そのくらいに、一時期の彼は荒んでいた。
だから、彼はリーザに深く感謝をしているし、リーザが愛する王国と臣民を、命を懸けて守ろうという、真の騎士に向けた一歩を歩み始めたのだ。
「……さて、ルカ閣下は、どう出ますかね。結局あの面倒な戦力が無ければ、アンティ・テゾーロなど怖くありませんわよね」
「恐れながら。俺にとっては、あの戦力など全く恐れるものではありません。しかし、彼らのその――仕組みというか、偉いやつら、逆らえないやつらが、教会にいることの方が恐ろしく感じます。俺たちの信じるものを、内から壊してしまうのでは、と」
「……なるほどね。さては、ルカ閣下の狙いは、そちらなのかもしれません。まあ、そうした刺激が、ああいった連中を動かしてディーンたちを警戒させてしまうのであれば、退治しておくに越したことはありませんが――」
そして、どうやら一杯食わされたと気づく。
ルカがアンティ・テゾーロを使うと聞けば、危険を感じたリーザがアンティ・テゾーロの危険分子を処分するだろう。
しかし、ルカとしては、そうした戦力が失われたことで、かえって堂々とアンティ・テゾーロにアプローチをかけられる。
戦力を失ったアンティ・テゾーロは、きっと、今後の組織力の衰えをリカバリするために、ルカでもなんにでも頼って、その策に乗るだろう。
まんまと踊らされている。
それもこれも、リーザ自身が、そうした直接的な手を打てないからだ。
自らの手を汚し誇りを傷つけるかもしれないことに対する恐れ。
それは抗いようもなく彼女を縛っており、結局は『犯罪予備軍の退治』という消極的な世直し活動で、ごまかしてしまう。
誰かを本気で不幸にするかもしれない手を、打てない。
それは、そうしたことを平気でできてしまう、どこか倫理観の壊れた無痛症の貴族社会に対する一種の恐れなのだろうな、と思うこともあり――
そして、その恐れの根底には、何の落ち度もない少女に熱湯を浴びせる、エミリア貴族の当たり前の日常という光景が、常に伴っていた。
***
エレナは、何日か家を空けなければならない、とディーンに告げた。
「約束して。絶対に誰にも会わないで。訪問者も無視するの。いい、ディーン?」
いつになく、焦った様子で、エレナはそう告げる。
「分かったよ、気を付ける。君も気を付けて。船が、取られるかもしれないんだろう?」
それは、どういうルートでエレナにもたらされた情報か分からなかったが、エレナの宇宙船に対し『持ち主』を名乗る人間が現れたというのだ。
今は、調査局近くの港湾に繋がれている。
エレナが言うには、それ自体はさほど大きな注目を浴びてない。
ただ繋がれ、ただ、怠惰な係員の目に時々触れるだけのことだ。
しかし、そこにどこかの詐欺師が目をつけたのだろう。
偽造した書類一式を持って、グランデカポルオーゴの交通局に引き渡しの手続きをしているらしい。
対抗措置を取らないと、本当に船を奪われてしまう可能性がある。
実のところ、あの係留された船がエレナの持ち物だと知るエミリア人は、ディーンしかいない。
そのディーンでさえ、それがエレナの持ち物だと証明することはほぼ不可能だ。
エレナは、『そんなときのための特別な対抗措置がある』と言うが、その内容は教えてもらえなかった。
ただ、詐欺師に対して裁判を起こすとかそういうものではないらしい。
どちらかというと、犯罪に属する部類のものだ。
だから、最初はついていくといったディーンに対し、エレナはそれだけは許容できない、と拒否した。
そうしたやり取りの中で、エレナがやろうとしていることが犯罪まがいのことで、ディーンを連れているとそれは問題を余計に大きくしかねない、そこまで理解したディーンが、折れた形だ。
「――その、なんというか、余り無茶をするなよ。慣れてるのかもしれないが」
「うん、まあそうね、似たようなことは何度でもあったから。大丈夫、痛い目を見るのは詐欺師だけ。信用を失って二度と似たような詐欺は働けなくなるよ。それとも、そんな詐欺師にも、慈悲をくれてやった方がいい?」
そんなことを小首をかしげながら言うものだから、ディーンは思わず、吹き出した。
「はは、いや、徹底的にやってやれ。君の対抗措置とやらに、なんとなく、想像がついた」
多分、同じことをし返すのだろう。偽造書類、偽造記録、そう言うものを一そろい作り、交通局を含む役所に徹底的に欺瞞情報をまき散らし、あるいは、欺瞞ではない、詐欺師の犯歴さえ暴くのかもしれない。その様は痛快であろうが、確かに、エミリア国籍を持ったディーンがついていって足の着くような真似はすべきではないだろう。
その笑顔のまま、ディーンは、エレナを見送った。
まだ、スペードとダイヤの暗号は、解けそうもないのだが。
***
このままここでのんびりしていると、運動不足になってしまいそうだ。
そんなことを考えながら、ディーンが謹慎中の平日の午前を過ごしているときだ。
大きな、ガラスが何枚も一度に割れたような音に、びくりと顔を上げる。
その音は、確かに、隣のエレナの部屋から聞こえてきた。
もしかすると、例の連中が、エレナを襲ったのか。
ディーンは慌てて玄関を飛び出した。
エレナが留守なのは分かっている。エレナの身の上の心配はないことも分かっている。
けれど、エレナがここに運び込んだ荷物には、きっと彼女にとって愛着のあるものもあるだろう。
そんなものがめちゃくちゃにされるかもしれない、と思うと、思わず飛び出していた。
エレナがいないことは分かっているので無遠慮に玄関扉を開けようとするが、鍵がかかっている。
窓ガラスが割れた音だから、やはり、外から侵入しようとしているのかもしれない。
この臨時の住居には、バルコニーがない。外向きには窓が二つあるばかりだが、屋上からロープでも垂らして侵入しようというのだろうか。
ここまで派手な音を出すなら、玄関から入ればよいようなものを。
妙な目的に使わないでね、と念押しされて預けられた合鍵がある。
それを持ってきて中を改めるべきか、――いや、警察を呼ぼう。
そう思ってディーンが振り返りながらデバイスをポケットから取り出したとき。
彼の前に、三人の男がいる。
全員が、いつか見た、黒いコートをまとっている。
とっさに逃げようとしたが、三方を塞がれていて、逃げようがない。
「ディーン・リンゼイさん? 申し訳ない、少しだけ話をさせてもらえませんか」
一人の若者が口を開いた。その口調は、とても例の暴力集団の一人とは思えない、丁寧なものだった。
「僕が、君たちと話す理由はない」
相手が丁寧なことに少し勇気づけられたディーンは、会話を拒否する。――が。
「せめて、理由を聞いてから、考えてみませんか」
目の前の男が取り出したのは、二枚のカード。
スペードの1、そして、ダイヤの1。
「……知りたいのでしょう? 信用してください。決して手荒なことはしません。いえ、手荒なことをすると、私の立場が危うい。たかが平民の私を吹き飛ばせるような筋の方から、あなたの安全を確保するように言いつかっているのです」
……リーザか。
とすれば、これはリーザの手のもの?
……とも、思えない。
おそらく、リーザはこの『スペードとダイヤ』の集団のことを知っていて、上からきっちり圧力をかけているのだろう。
彼を吹き飛ばす筋とは、多分、リーザのことで、それでも、何らかの理由をもって接触してきた。
「私たちはしょせんメッセンジャーです。今日ここに来たのも、ただ上に言われたからそうしているだけ」
「そして僕を連れ帰った先で、その『上の者』が、僕をなぶり殺しにするのだろう?」
「決して。誰だって自分の命は惜しい。私たちの上の者も、そうです。今は、リンゼイさん、穏便に、あなたの協力を得るべきだと考えているのです」
と言われても、ディーンとしては、とても信じることが出来ない。
「――私が失敗したら、もっと面倒な連中が来ます。例えば、神経警棒を振り回すような、そんな連中です」
それは、ある意味で脅迫に近かった。
今この状況でも、三人に組みつかれれば、ひ弱なディーンなど簡単に車に押し込められて拉致されてしまうだろう。
それ以上に面倒な連中を呼ぶとなれば、さすがのディーンもひるむ。
「分かった。話だけは聞こう。だが、一応忠告しておく。僕のこのデバイスには、ある高位の貴族の、相互承認された連絡先が入っていて――」
言いながらデバイスを素早く操作し、リーザの連絡先を呼び出すと、位置の定期報告のスイッチを入れる。
「――見た通り、今から、僕の位置は、その貴族に常に通知される。君たちが恐れている相手とは違うかもしれないが、間違いなく、平民の君たちを吹き飛ばせるお方だ」
指で隠していたが、連絡先を呼び出したとき、家名の『グッリェルミネッティ』だけがちらりと見えただろう。王家以外が名乗ることを決して許されない家名。
相手の顔色がこわばったのを見て、ディーンは見られたと確信する。わざとそうしたのだから。
「さあ、案内してくれ。そして、なぜ、僕らを放っておいてくれないのか、洗いざらい聞かせてもらおう」
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