第五章 揺動、出動(1)
■第五章 揺動、出動
彼らは、エミリア正教のサン・リディオ派と呼ばれる一派。
かつて――というほどの歴史はないが、百二十年ほど前に没したリディオ神父を崇拝する一派で、欲望と争いを世から一掃することを最高教義としている。
ゆえに、欲望の的となる、富、地位、性愛を極端に嫌い、すべての源となる『宝物』を何より嫌悪する。
サン・リディオ派の表向きのシンボルは、二つ並んで少しだけ重なり合ったハートマーク。
隣人と同じものを見て心を重ね合い、お互いを信頼し合うことを意味している。
しかし、裏のシンボルは、半分に割れたダイヤに、剣=スペードが逆向きに突き刺さっている。
その裏の派閥は、自らを『アンティ・テゾーロ』と呼んでいる。字義通り、『反宝物』である。
エミリア正教は、正しく、王家を支えてきた。
それは、超越的存在を前提としたロマンチシズムではない。
人々の気質の体現者として、である。
エミリア王国の歴史は、浅い。
元がジョークとして始まった王国であるから、その王家の権威も無きに等しかった。
ゆえに、彼らは、教会を作った。
王家に権威を与えるのは教会である、という短絡的な試みだ。
そのようにして、人工的な王権神授体制が作られたが、ジョークに参加した人々はそれが人造的な模倣品であることなど百も承知だった。百も承知で熱心に教会に通い、教えを受け、生活で実践した。
それが変わり始めたのは、世代を一つ二つ経たころである。
古代のキリスト教を基盤とした教えは人々の哲学的な支えとなり、ただ『隣人を信頼する』という点においてはきわめて優れた教えとなって人々を導き始めた。例えばそれは、端的に言えば出生率の向上だとか犯罪率の低減だとかいう指標として見えるようになる。
こうなると、教会には真の権威が生じるようになり、権威に紐づいて組織闘争が始まる。
中でも、リディオ神父は、欲望こそ隣人に向ける剣となろう、という信念を持ち、禁欲的な生活のみならず、欲望を刺激する宝物を嫌う傾向を形作っていった。
そして、裏の顔ができたのである。
ディーンの掘り出した鉱石は、まさしく『テゾーロ』であった。
得体が知れず、可能性を秘め、妖しく輝いている。
ただ可能性があるというだけで、人は群がる。
人が群がれば争いが起こる。
たったこれだけの三段論法で、彼らは、新種鉱石を異端認定できるのである。
彼らの拠点は、エミリアの各地にあるが、ここは、王都グランデカポルオーゴからも近い、第二王都とも呼ばれるモデナに置かれた主要な拠点の一つである。ディーンの住むマリーナロメアとグランデカポルオーゴのちょうど中間くらいにあり、どの交通手段を使っても両都市に一時間で行き来できる。
そこに、今現在、裏の派閥たるアンティ・テゾーロの幹部、シルヴィオ・ベローネ司祭と、幾人かの幹部、そして少しばかりの下部団体の『教えの体現者たち』がいる。彼らは、表向きはエミリア正教の青年祈祷隊などと呼ばれることがあるが、夜の闇が落ちてくれば、冷酷な異端狩りにいつでもなれる覚悟を秘めている。
「協力者から連絡が入った。彼らはどうやら、我々のメッセージを見たようだ」
シルヴィオは重々しく話し始める。
「それから、下賤のものには意味は分からぬであろうから、それなりのヒントをやるように、とのご助言もいただいた」
司祭という相当な高位にある聖職者が敬語を使う『協力者』が誰なのか、シルヴィオ未満の構成員には知らされていない。万一にでも漏れれば、シルヴィオは破滅する。
「近いうちに、招待状を送ろうと思う。あの異端の宝物を持ってくるように、と」
それに、一人の幹部が声を上げる。
「しかし司祭様、この件、決して手出しするなと猊下よりのご下知がありましたが」
「分かっておる。そのご下知の出どころが、第七位の王女殿下であることも」
「でしたらなおさら、今はお静かに」
その言葉に一応の理はあり、シルヴィオは、一度、思考をリセットする。
彼の中で、リーザ殿下、メアッツァ主教猊下、『協力者』、三人の政治勢力地図が描かれる。
その中で、『協力者』は、本来は猊下の強い意向を受けているはずだと気づく。
なにしろ、彼は猊下の姪孫に当たり、正教の教えの模範的体現者である。
それを、大叔父に当たる猊下が止めなかった――それに殿下が異を唱えなかった――やはり、答えは変わらない。
「おそらく、直接聞いたわけではないが、しばらく、猊下、殿下は、協力者殿の動きには目をつむってくださるということであろう。であらば、我々も、協力者殿の言う通りに、ことを運ばねばならぬ」
「協力者殿は、テゾーロの入手をお望みで?」
「いいや、違う。あれは、もし手に入れられれば、我らで祝福してよいとの許可を得られた。だが、今は、無理に手に入れずともよいし、無理に手に入れようとして、あの背教者たちを害することになるのも望ましくない、とのおおせだ」
その『協力者』は、あの平民を害することが誰か――彼が歓心を買いたいと思っている誰か――の機嫌を損ねてしまうことを、気にしているらしいのである。
「……まだ私も確信がないが、あの背教者の護衛についている女、あれが、テゾーロにも匹敵する異物であると、お考えのようだ」
「なるほど、手を出して雲隠れされてもよくない。であらば、今後の流れは」
「我々が、神の教えの体現者であることを、あの青年は知らぬ。知らぬからこそ、神をも畏れぬ冒涜に踏み込もうとしておる。神の御名において、我々がテゾーロを篤く保護し祝福するのだという導きさえあれば、背徳に走る道からの回心もなろう。さすれば、あの異端の女も、彼から離れ、協力者殿が処置してくださる」
「殿下はどちらにご興味が?」
「殿下は一貫してテゾーロを追っている。立場上相容れぬ我らと殿下では競争にはなろうが――どちらが手に入れようとも、それはよかろう。穏便に殿下が回収できるなら、それに越したことはない。我々は、暴力機関ではないのだ」
その言葉に、幹部一同、何度かうなずきの仕草で応える。
「協力者殿が、よい日時を見繕ってくれるので、その際に、『招待状』を届けよう。祈祷隊のものは、いつでも動けるものを、四、五人ほど、確保しておいてくれ」
末席に座っている祈祷隊と呼ばれた青年は、かしこまりました、と深く頭を下げた。
***
「では、散って伏せろ。逃げるやつだけ相手にしろ。俺が言うまで手を出すな」
オズヴァルド・セラーティ騎士補は、作戦に参加した他の騎士補たちに告げる。
彼は、エミリア王国に仕える騎士補で、生まれは下位貴族だが、正式な騎士でないため、貴族籍も持たない。
下位貴族では、継承の見込みのなくなった子は貴族籍を離れて平民として生きることが多い。なぜなら、貴族家から王国への人頭税は成人した当主以外の貴族籍の数に比例し、その金額は一人当たり平民が三人が楽に暮らせるほどだからだ。大貴族なら多くの継承権のスペアと縁組の商品を維持できるが、木っ端貴族にはその負担はあまりに大きい。これはひとえに、貴族籍に居座って血税を貪るものを増やしすぎず大貴族の富の再分配を図るためのシステムだったが、そこで口減らしに遭うものにとってはなんと不公平なシステムだと憤懣を募らせることになる。
そこで半ば救済措置として置かれたのが、騎士補という身分だ。平民でも実力か推薦があれば容易になれる職業。端的に言ってしまえば兵卒の一種ではあるのだが、食わせられなくなった貴族の子弟が籍を置くことを想定されて作られたもので、ここで功績を挙げれば、騎士になる道もある。騎士となれば一代ではあるが貴族として遇せられる。これは、本人の出世欲を満たすばかりでなく、貴族である実家の体面を保つ意味も大きいし、場合によっては養子入りや婿入りの形で爵位持ちの貴族家に入り、実家の政治力の強化に役立てるのだから、貴族出身の騎士補は誰もが正騎士を目指す。
そんな中で、彼、オズヴァルドは、その腕っぷしでのし上がる騎士候補の一人だ。
国家間の紛争は宇宙艦隊による決戦が主となり、もはや歩兵の出番はない。自然と、騎士補であっても、宇宙艦隊への配属が花形と見なされる。エミリアはまだ正式な宇宙艦隊を持っていないが、それでも『国防の要』として宇宙の警備に就くことは一つの憧れであり、逆に、オズヴァルドのように地上で力を発揮する兵卒を『千年遅れの戦士』と下に見る向きもある。
しかし。
オズヴァルドには、戦術コンピュータを扱う才能がなかった。
オズヴァルドには、官僚組織である警備艦内の秩序だった戦闘行動をこなす落ち着きがなかった。
オズヴァルドには、冷たいレーザーで敵を薙ぎ払う凍えた心が無かった。
彼の武威は、憤怒と正義を筋力に変え返り血を浴びながら反逆者を後悔という名の地獄に叩き落として踏みつぶす――すなわち、ただ地上にあって発揮できるものでしかなかったのだ。
ゆえに彼は、地上の治安維持部隊に所属し、行事の警護などのパッとしない業務をこなしながら、しかし、自分の目指す姿に向けて、ひたすらに自分を鍛えていた。
それがリーザの目に留まったのは、ただの偶然であり、幸運でしかなかった。
官僚組織に属した騎士補には、活躍の場はほとんどない。一方、貴族付きの騎士補となれば、付いた貴族次第ではいくらでも活躍の仕様がある。
事実、リーザに拾われた形のオズヴァルドは、リーザが他の貴族との政治的交換条件として請けた『積極的警備行動』で目覚ましい成果を上げ、他の貴族からも知られるようになっている。
そして今回は、リーザ自身の要請による『積極的警備行動』である。
うやむやの言い方をしがちではあるが、積極的警備行動とは、要するに、犯罪を犯す前の市民に対する弾圧である。
国際法上は決して褒められた行動ではないが、貴族社会であるエミリアでは、平民の権利より、貴族の論理が優先される。
様々な兆候から、将来的に犯罪に繋がる行動をとっているものは、あらかじめ取り締まられる。そうすることで、実際の被害者を出さないのだ、というのが貴族の用いる詭弁であり、事実として、犯罪の件数に比して実際の被害者は少ない傾向が強い。
オズヴァルドの命じられた任務は、『アンティ・テゾーロの戦力のそぎ落とし』である。
特に、過激な思想に根から染まった下部の過激な一派を釣り出し殲滅し、比較的穏当な一派の力を強めることで、ディーンやエレナへの手出しの危険性を避けようというものだ。ルカが実際にアンティ・テゾーロを使うと聞いてしまった以上、そうした消極的な防御を取るしかない。
リーザは、マンション爆破を仕掛け港湾でディーンたちを追い詰めたものが、アンティ・テゾーロだと最初から知っていた。彼らが蠢動を始めたことも、掴んでいた。主教猊下を通じて、宗教者たちの激発を抑えるべく努力はしていたが、結局、それを止められず、ディーンたちを窮地に追い込んだ。
もしここでルカが無用な刺激を与え、それがまたディーンたちを追いこむことになれば――。
それを避けるためにも、『積極的警備行動』を取るしかなかったのだ。
この作戦で、オズヴァルドは、『ディーンの敵』を演じることにした。
ディーンの持っている鉱石の欠片を盗み出し、どこかに隠し持って、いずれしかるべき時に、国内か、外国の研究機関に提供して、大儲けしようとしている男がいる。――という設定で、噂を撒いた。丁寧に、オズヴァルドの風体――濃い茶の短い髪と青い瞳、えらのはったがっしりとした顔、普通の人の倍はあるかと見える肩幅、百九十センチメートルに近い巨躯――の説明までつけて。
しばらくすると、ディーンの仮の居宅の近くを、怪しい男たちが見張るようになる。
オズヴァルドは彼らに時々、へまをしたように見せかけて姿を見せる。
そうしたことを二回繰り返し、オズヴァルドが逃走用の車を近くの公園のパーキングに決まって停めていることも突き止めさせてから、最後の行動に出る。
オズヴァルドの部下としてつけられたのは、わずか三人。その三人を、三つある公園の出口近くに伏せる。
そうしておいてから、オズヴァルドはいつもの車で堂々と公園のパーキングに入り、これ見よがしに神経警棒を取り出して、何度か動作確認をしている風を見せる。
監視していた誰かが慌ててどこかに走って行ったのが見え、小さく口の端を上げる。
それから、オズヴァルドはそれまで見せたことのない速さで跳躍するように走り、ディーンたちの仮住まいのマンションに飛び込んだ。当然、それを監視していた者たちも慌てるが、彼らが急いで包囲網を狭めようとするときにはすでにオズヴァルドは『懐に何かを抱えて』マンションを飛び出してきたところだった。
遠くから、逃走地点を押さえろ! という声が聞こえて、完全に作戦通りになったことに安心したオズヴァルドは、しかし走るスピードを緩めず、公園にたどり着く。
もちろんそこにはすでに五人の過激派の戦闘員がいる。
こんなバカげた罠にかかるほどの知能――もしルカ次期侯爵が何か動こうとすれば、歓心を買おうと勝手なことをするに違いあるまい。
少なくともそんな余計なことを考える下衆を一掃する必要がある。
リーザ殿下がそんな風に言っていたな、と思いながら、オズヴァルドは驚いた表情を作って見せた。
「それを渡せ。それは、あってはならぬもの。手荒な真似はしたくない」
そう言いつつ、彼らは全員が警棒で武装している。神経警棒による一撃を一度だけ耐えるとされているスタンウェーブディフューザと呼ばれる首輪をしているものもいる。神経警棒による神経刺激が脳に向かって駆けあがるのをそこで吸収して止めるもので、神経警棒の昏倒効果を一度だけ無効化できるのだ。その男が一撃を受け、神経警棒のチャージが済まないうちに袋叩きにしようという腹だろう。
最初から戦いに来ているのだ、痛い目に遭うことも覚悟だろう?
心の中でつぶやきながら、オズヴァルドは、戦いの興奮に口が三日月形に変化していくのを抑えられない。
オズヴァルドは、何も言い返さず、躍りかかった。まずは、そのディフューザをつけた男。
男は余裕の表情でオズヴァルドの神経警棒を受けようと警棒で防御の構えを見せるが――
オズヴァルドは振り上げた神経警棒をそのまま投げ捨て、鼻っ柱にこれでもかという拳の一撃を叩き込んだ。
呼応して彼を叩こうとしていた周囲の男たちは異常事態に一瞬硬直するが、すぐに警棒を振り上げる。
しかし、オズヴァルドはその男に肉薄すると、振り上げた警棒を握る手首をそのまま下から押し上げ、その男にも顔面に並みのストレートよりも強烈なジャブの一撃。
さらに振り向きざまに、振り下ろした警棒をこともあろうか二の腕で直接受けて見せ、それがオズヴァルドになんの痛痒も与えていないことを見せつけてから、前蹴りで膝を砕く。
続けて、連続して振り下ろされる警棒を、二度、三度、と素手で叩き落とすと、一人の手首をつかんで引き寄せ、勢いのまま首筋をつかんで空中に吊るすと、もう一人の男の頭に、その頭を叩きつけた。
さらに応援が駆け付けたが、彼らが、周りに倒れる五人を見てひるむ。ビビるな、責め立てろ! という叱責の言葉に突き動かされてさらに六人が次々と飛びかかっては、叩き伏せられていく。
まさに、蹂躙劇と言うしかなかった。
突き、蹴り、投げ飛ばし、腕を叩き折り、足をへし折る。
みぞおちを突かれた男は胃液を吐き出しながら悶え、こめかみを蹴られた男は白目をむいて泡を吹く。そうした被害者の数が、十を超え、二十を超えても、オズヴァルドの動きは鈍らなかった。
――殿下とともに、エレナという女の動きを見た。素早い動き。的確な読み。有効打を当てるのに苦心はするだろうが、持久戦に持ち込めば勝てぬ相手ではなかろう。
既にオズヴァルドの興味は、目の前の軟弱な敵兵には、ない。
それは、エレナと言う特級の異物への興味。
確かに、殿下に対して、あれは危険なものだ、という進言はした。
一対一で勝てるか、分からない、とも言った。
オズヴァルドが怖れるエレナの特性は、速さと正確性だ。
自分の攻撃すべてが空振りし、急所を的確に攻められ続けると、鍛えぬいたオズヴァルドさえ、怪しいかもしれない。
だから、そこに、力とスタミナという要素を加え、勝負を五分に持っていく必要がある。
それでも、もし隠している実力があれば、負ける可能性も濃厚にある。
――あの女は、多分、本気を出していない。
その戦慄の思考に、しかし、オズヴァルドはやはり頬が上がるのを押さえられなかった。
地上最強を目指す彼の、新たな目標ができたのだから。
考えているうちに、倒れ伏した男の数は、二十八になっていた。
グローブをしていたものの、殴っていた拳は何か所も擦り剝けている。それでも、鍛え抜き拳ダコの出来た彼の指関節は、まだまだ戦えそうだった。
ピィ、という音が聞こえる。出口を見張っていた仲間からの信号だ。
誰かが逃げ出そうとしている。
おそらく、声を上げて指揮していた男だ。
音のした方に駆けると、確かに逃げ出そうとしている奴がいる。二人。
オズヴァルドはその距離を確かめ、さすがに走って追いつくのは難しいか、と首を振り――
懐から二丁の神経銃を取り出して両手に握ると、連続してトリガーを引いた。
狙われた男たちは、あっさりと倒れ伏した。
実は、オズヴァルドは神経銃を含めた銃器の取り扱いのほうが得意なのだ――ということを、彼らは結局知ることが無かった。
***




