第四章 疑念、疑惑(4)
敵が何者かを知らねばならぬ、と決意した数日後、ディーンはエレナを連れて、爆破されたマンションの前に戻ってきていた。
マンションのほかの住民も避難しているようで、警察の張り巡らせた進入禁止テープが全体をぐるぐる巻きにしている。
と言って、何か捜査をしている風ではない。
初日に処理のために住民を追い出し立ち入り禁止にしたが、それをそのまま放ってあるだけだ。
二人とも知らないが、マンションは丸ごと買い上げられ、それ以上の捜査を不要として、あとは建て直すだけ、という処置がとられている。
「ディーン、確認しておくけど、それは本当に知らなきゃならない?」
エレナが、ディーンの横顔を見つめながら言う。
「警察に任せておけばいいし、それで放置されるなら、それがこの国のやり方、ということだよ」
「そうだね。君の言う通りだと思う。この国のやり方。面倒なものには触れない。触れそうになるのなら、貴族が出てきて強権で処理する」
リーザの仕業ではない、ということは、おおよそ確信がある。
となれば、一体誰なのか、となると、おそらく、リーザ以外の貴族の誰かなのに違いない。
ディーンの鉱石を『面倒なもの』として処理しようとしているのも、きっと貴族なのだ。
「……僕は別に、悪を暴いて正義を執行しようなんて思ってないよ。ただ、知っておかないと、と思ってるだけ」
「でもあの人は、知らないほうがいいと言った」
「その通りだ。だから僕は、畏れ多くも王女殿下の配慮と助言に逆らおうとしている」
エレナは、黙って首を振る。
実のところ、エレナも、知らないほうがいい、と思っていた。
いや、エレナ自身は知らなければならない。
叩き潰そうなんて思わないが、最低限の自衛のために、知ることは絶対だ。
いずれエレナは、ディーンに秘密で、敵の正体を把握しておこうと思っていた。
でもそれが、ディーンの心をかき乱すものになるかもしれない、とも思っていたから。
知識は鋼鉄の知能でもかき集められるけれど、それを落とせる心は、あまりに弱い。
このあたりが潮時かもしれない、という思いが、湧き上がってくる。
別れは切ないが、恐怖や情愛に突き動かされる人の心は、余りに脆い。
それがディーンの心を砕いてしまう前に。
あとは私が一人で、全てを片付けるべきなのかもしれない。
「――エレナ、僕の心配をしてくれているのなら、大丈夫、何かあったら、ちゃんとリーザに相談する。でも、確かめさせてほしい」
終焉の日が、近いのかもしれない。
「……分かった。ディーンが納得できるように、私も手伝う」
そして、エレナは、前に出て、自ら警察の規制線をまたいで乗り越えた。
マンションの中は、あの時のまま、ただ、人気が無く、がらんとしている。
ディーンたちのいた三階まで階段で上がってみると、ディーンの部屋とその両隣に黒い焦げ跡が見える。
下の階から噴き出した炎は、あの後、両隣に延焼してしまったのだろうか。
余り積極的に手伝う気になれず、エレナは焦点を外して、現場に踏み込もうとしているディーンを眺めている。
あの後、原因を探るために、捜査員がたくさん入っているはずだ。
そう思っていたが、中を見てみると、意外なほど、焼け落ちたままになっている。
室内の簡易消火設備のおかげで、部屋の半分以上は全く被害が無く、炎の跡は不自然に玄関からリビングを経てバルコニーを這いまわっている。
おそらく、爆発性のものと、延焼性のものを準備していたのだ。
爆発は着火を目的とした最小限のもの、その後、ディーンたちが外に逃げ出そうとするのを見越して玄関やバルコニーを炎でふさぎ、一方、寝室辺りに隠してあるかもしれない『目的のもの』を焼いてしまわないように配慮した――あれを手に入れるという執念が、見て取れる。
慌てていてよく覚えていないが、玄関で、確かに足元に何か液体のものが撒かれていたような記憶が、よみがえる。
どうやら玄関で見た両隣の延焼の後は、そこに仕掛けられていた延焼物によるもので、両隣の室内は無事のように思える。
リビングと寝室を隔てる扉も真っ黒になっているが、燃え落ちているというほどでもなく、ノブに手をかけると、軋みながらも回りそうだ。
その扉を手前に引こうとして――そう、確かに、その扉を何度か手前に引いた形跡が、見える。
余り現場の捜査をしたようには見えないのに、ほとんど火の手の入らなかった寝室に出入りしているものがいる。
「……エレナ、どうだろう、開けたらまずいかな」
ディーンは斜め後ろで見ているエレナに尋ねる。
もしかすると、襲撃者が中に潜んで、ここに帰ってくるディーンを待ち伏せしているかもしれない。
考えすぎかもしれないが、敵の執念を考えると、ありえない話ではない。
「物音は、しないね」
エレナは耳を澄ませてからそう言い、かがんで、扉の下の隙間を覗いたり、軽くドアに耳を当ててみたりしている。右耳がすすで汚れている。
「多分、大丈夫」
「そうか、じゃあ開ける。何かあったら、頼む」
言いながら、ノブを回し、意を決して、ゆっくりと扉を引いた。
中は、窓から差し込む陽光に照らされた埃が舞う、静かな部屋だ。
直前に誰かがいたような空気の乱れも、見えない。
その中を注意深く観察していたエレナが、
「うん、大丈夫みたい。誰もいない」
そう言ったので、その直感を信じて、ディーンは部屋に踏み込んだ。
あの時、慌てて身の回り品を集めたときのまま、クローゼットは空きっぱなしで、ベッドサイドのチェストも、引き出した出たままになっている。
しっかり閉めてくれば、その後、何者かが家探ししたのかくらいは分かったかもな、と思うが、今さら言っても仕方がない。
そんな風に、床から順に敵の形跡を探していたものだから、あまりに目立つ『それ』を見たとき、ディーンは、思わず、うわっ、と声を出してしまっていた。
一番奥、化粧台を兼ねた小さな作り付けのデスクの上に、何か棒状のものが立っている。
いや、棒状のもの、と思わずごまかしかけたが、それは、鍔のない小さなナイフだ。
形状はペーパーナイフに近く、ミニチュアの剣と言ってもよいような形状。
周囲に注意しながら近づいていく。
そのナイフは、一枚の紙を、テーブルに縫い付けていた。
「……ひし形? なんのことだ?」
紙にかかれていたのは、赤いペンで書きなぐったような、ひし形。その真ん中に、ナイフが付き立っている。
「……待ってくれよ、意味が分からない。エレナ、分かるか?」
エレナは、黙って首を振る。
「一体僕はどこにいるんだ。これは、確かに僕へのメッセージ、脅迫だ。もしここにきて僕がこれを目にしたら、余りの恐怖に敵に降伏してしまうような、そんなメッセージだ。彼らがわざわざこんなものを残す理由は、それしかない。にもかかわらず――僕にはこの組み合わせの意味が、全く分からない。どういうことだ? どこかで何かを間違えたのか?」
エレナに聞かせるとも、独り言を言うともなく、思ったことをつぶやき続ける。
「……地図か? いや、だったらもう少しマシなものを残す。ただのひし形だ。……線対称。点対称。百八十度回転対称。なんだこれは」
自分に必ず分かるはずのメッセージだと思っているがゆえに、ディーンの頭はどんどん混乱を深めていく。
「……ダイヤ?」
そうつぶやいたのは、エレナだ。
「カードゲームの?」
「うん、そうすると、この剣は、スペードじゃないかな」
「ダイヤとスペード? ちょっと待ってくれよ、そんな子供じみた謎解きごっこならよそでやってくれ」
肩を落としながら、ディーンは大きくため息をつく。
「……ここで考えても仕方がない。奴らに僕らのがここに来たことを教えるのはしゃくだが、一度持って帰って考えよう」
それを動かすことは敵にヒントを与えることになるかもしれない、と思いつつ、敵の周到な動きを見ていれば、今の避難住宅などとっくに敵には筒抜けだろう。今さら、行動のヒントの一つくらいで変わるものでもなさそうな気がした。それよりも、この手がかりを、安全な場所で分析したいと思う。
「発信機のようなものはついてなさそう。念のためだけど、私が持とうか?」
エレナが申し出て、
「……そうだな、何かあったとき、正直、君の方がまともに対処できそうな気がする」
とディーンが認め、その二つの手がかりを、ディーンはエレナに手渡して、二人は寝室を後にした。




