第四章 疑念、疑惑(3)
再び訪れた『敵』の姿を前に、リーザはしかめ面を隠そうともしなかった。
それは、リーザが彼を敵と認定していることをあからさまに示すためだったし、彼が、リーザが彼を敵だと思っているということに気づいているだろうという確信もあったからだ。
だから彼は、ひとまず『敵』として、彼女の前に、望みの通りの姿を見せることにした。
「見ていたよ、実に、君らしくない。なぜあのエレナという女にこだわる?」
「見ていましたか。実にあなたらしいですわね。その下種な趣味はいつになったらおやめに?」
しばし、二人の間に、静かな火花が散る。
沈黙を破ったのは、リーザだ。ソファのきしむ音とともに、リーザは横柄な態度をやや崩し、背筋を伸ばした。
「私はあの女にこだわってはいませんわ。ただ、気に入らないだけです」
「それは、あの、ディーンとかいう平民の横にいるからかい?」
その問い返しは、リーザの想定の中に無かった。
思わず声を詰まらせ、言い返すタイミングを見失う。
「ふふ、彼には、ファーストネームで呼ばせているようじゃないか。これは、スキャンダルだ」
「……なるほど、そのような見方もありますわね。これは私の失態です」
かろうじてそのように言い、思いのほか深く、こちらの事情を知っているルカに、狼狽を見せまいと、紅茶の注がれたカップを手に取る。
「……腹の探り合いはやめよう。君があの男にそんな感情を持っていないことなど百も承知だ。この私に対するのと同じようにね」
ルカが、ふと、表情を緩め、リーザは緊張を削がれる。
それが、ルカの人心操縦の外連味なのだと知っていても、ついその安心感に乗りたくなってしまい、慌てて心を引き締める。
「さあ、どうかしら? あなたに対するよりはよほど好感を持っていますけれど」
「そうだということにしておこう。君の本心が見えない以上はね。だが、私も、あのエレナという女が気になるのだ」
「私は気に入らないと言いましたが」
「私は、気に入ったのだよ。そう、私にとって、おそらく最高の獲物になるだろう」
獲物? ――と問い返しかけて、意味が分かった。
彼は、エレナの戦闘している様も見ていたのだろう。
リーザは、その結果だけを見て、確かに相当にやる女だと思ったが、その様を真っ向から見たルカは、その闘争本能をいたく刺激されているのだ。
リーザは小さくため息をつく。
「余計なことはなさらないでいただけますか? あなたがちょっかいをかけて、あの平民が鉱石をもってどこかに消えてしまったら、どうなさるのです」
「それは君の問題だ。――いや、猊下の問題か?」
「私の問題です」
その否定の言葉が早すぎて、もしかして、ルカに確信を与えてしまったかもしれない、とリーザは心中で怯える。
ルカは、特に表情を変えない。
しかし、何を考えているか分からないのは、昔からのことだ。
小さくため息をついて、リーザは続ける。
「私の邪魔をしないでくださいませんか? あなたは何か勘違いをなさっておいでです。あなたの前にいるのは、侯爵を超え、公爵さえも下に置く、エミリア王国の王族なのです。あなたの中のどのような理屈が、その身分をわきまえぬ不敬を許すのです?」
「……それは失礼した。だがリーザ、私は、君の役に立ちたいのだよ」
「結構です、と繰り返し言っていますが」
「それでも、だ」
そして、ルカは、たたずまいを直して、リーザの瞳を覗き込む。
「……あのエレナという女は、あれは、まずい」
リーザは、ぎくりとする。確かに、あれは、まさに不可触と言ってよい。
何か、尋常とは違う雰囲気を感じる。
確かに、並々ならぬ護身術を披露してくれたが――その背後に、もっと大きな何かがある気配を感じている。
「いや、あれを傑作だと笑う私がいることは否定しないさ、だがね、あれは、放っておいたら、この国を滅ぼしかねない、まずいものだ。貴族の論理にも、神の摂理にも、反する」
「……それも含めて、私が御するつもりですわ」
「御するも何も、あれの正体さえつかめていない。どうするのだ。ある日、あの女が、例えば――大マカウ国の大艦隊をこの国に呼び寄せるような女だったら」
「……そのようなものを呼び寄せないために、私どもは、必死に平穏を守っているのではありませんか」
「だからだ。よい、この際、君にこの私の伴侶となれとかなんとか、そういった君の嫌がる話はやめよう。だが、エミリアの平穏を守るために、私たちは最低限の協力ができるはずだ。大丈夫、いきなりあの女に刺客を放って消すといったことはしない。だが、あれの正体を知るための方法が、なにかあるはずだ」
そのように、真摯に問いかけられると、リーザも嫌だ嫌だとダダをこねているわけにもいかなくなってしまう。
どちらにせよ、リーザの大義は、エミリアの平穏を守ることなのだから。
「リーザ、しばらくの間だけでいい、この私が行うことを、静観していてくれ。そうすれば、私が手を打つ。少し、面倒な連中を動かすかもしれない」
「……アンティ・テゾーロの連中ですわね?」
「そこまでわかっているか」
「あの連中に触れれば、あなたもやけどをしますわよ?」
「私の心配かね? 光栄だよ」
口の端を釣り上げてにやにやと笑う美形の男に、リーザは思わず、彼の心配をする言葉を吐く前に時間を巻き戻したいと思う。
「あの女がなんなのか、私も知りたいのだ」
それは、リーザも心から知りたいことであった。
知らねば、戦うことも、守ることもできない。
知った後であれば、それこそルカとは敵味方となるかもしれない。
が、知ることさえなければ、ルカと敵対する意味があるかどうかさえ分からない。
「君がふと目を離した隙に、君のことを好いている次期侯爵が勝手なことをするだけだ。どうかね」
それは、この上なく甘い誘いだった。
リーザ自身が、エレナの正体を暴くべきなのだが、彼女はそれを考えるたびに、身がすくんでしまう。
それがなぜなのか、分からなかった。
ただ分からなく、分からないことが積みあがっているばかりで――
「どうぞ、お気遣いなく」
そのような答えを出してしまった。
「そうか、恩に着る」
それは、事実上、ルカの行動を容認したようなものだ。
事実、リーザはその誘惑に勝てなかった。
エレナに対する疑念の感情は、それに手出ししようとすると感じる恐怖は、それほどに大きかった。
せめて、正体を知ってさえいれば、まだ、敵としてか、友人としてか、エレナを御することも不可能ではないだろうに。
――ここでついよそ見をして、放っておけば、それが暴かれるかもしれない。
そう思うと、何もせず、しばらく目を閉じて待つ、それだけのことが、出来なくもないような気がしてしまった。
「しかし、そのような火遊びをする貴族がいるのであれば、私は、アンティ・テゾーロを潰さねばなりませんね」
結局、アンティ・テゾーロという『武力』をつかって何かを成そうとするのであれば、エレナが不幸を呼び寄せてしまうかもしれないことには変わりがない。
であれば、ルカが余計なことをする前に、それを潰してしまえばよい。
一瞬でそこまで考えたリーザの答え、そして、ルカへのけん制だったが。
「構わぬさ。アンティ・テゾーロの利用価値は、君の考えているようなものじゃないからね」
思わぬ答えに、リーザも目を瞬かせる。
別に潰されてもよい?
その意味が測りかねる。
だが、彼がアンティ・テゾーロを刺激するのであれば、動きは早い方がいい。
「ではそちらもお気遣いなく」
それから、嫌悪感を隠しもせず、目線も合わせぬ短いお茶会を二人はやり過ごし、やがてルカは静かな挨拶だけを残して、帰っていった。
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