優しい拒絶
ほどなくして、シンシャはランフォンを伴い、蓮瑛の部屋を訪れた。
蓮瑛は寝台ではなく、窓辺の椅子に腰掛けていた。シンシャを見るなり立ち上がろうとしたため、手で制する。
「そのままでよい。少し話をしに来ただけだ」
シンシャが向かいの椅子に座ると、蓮瑛は膝の上で両手を重ね、緊張した様子で背筋を伸ばした。
「体調はどうだ?」
「皆様によくしていただいております。もう部屋の中を歩くこともできます」
「そうか。だが、無理をする必要はない」
蓮瑛は一瞬だけ目を伏せた。
「私が陛下のお役に立ちたいと申し上げたことで、ご迷惑をおかけしたのでしょうか」
「いや。そうではない」
何故そう受け取るのか分からず、シンシャはわずかに眉を寄せた。
「今日は、貴女の今後について話しておこうと思ってきた」
その言葉に、蓮瑛の表情が強張った。
「その前に、一つ尋ねてもよいか?」
「はい」
「龍華国に家族はいるのか?」
蓮瑛はすぐには答えなかった。
「……瑞安に養父母がおります」
「養父母?」
「幼い頃に両親を亡くした私を、商家の方が引き取ってくださいました。衣食住だけでなく、読み書きや礼儀作法も教えていただきました」
「あなたが龍の巫女に選ばれた時は、何と?」
「とても喜んでくださいました」
蓮瑛の口元に、かすかな笑みが浮かんだ。
「私を育てた功績として、皇帝陛下から報奨も賜ったそうです。養父は、これほど名誉なことはないと申しておりました」
「……そうか」
娘が神龍に選ばれたことよりも、その報奨を喜んだように聞こえた。だが、蓮瑛自身は何の疑問も抱いていないらしい。
「皇宮に入ってからも、会っていたのか?」
「いいえ。一度も」
「便りは?」
「最初の頃に、報奨を賜ったという知らせが届きました。それきりです」
二年間、養女の身を案じる便りは一度もなかったらしい。
だが、蓮瑛は養父母を責める様子もなく、育ててもらった恩ばかりを口にしていた。
「今回の婚姻については、知らせたのか?」
「いいえ。私が龍の巫女でなくなったことも、まだご存じないと思います」
「では、龍華国へ戻れば養家へ帰るつもりか?」
蓮瑛の表情から、わずかな笑みが消えた。
「……分かりません」
帰りたいとは言わなかった。
「龍の巫女でなくなった私を、迎えてくださるかどうか……」
その言葉で、シンシャにもおおよその事情が見えた。少なくとも、龍華国へ帰せば済む話ではないらしい。
「分かった。では、あなたの今後について話そう」
蓮瑛の肩がわずかに強張った。
「龍華国は、貴女を私の妃として送り出した。だが、私はあの国が一方的に決めた婚姻を、そのまま受け入れるつもりはない」
蓮瑛が大きく目を見開いた。
「龍華国が何を命じたとしても、貴女が私の妃になる必要はない」
見る間に、蓮瑛の顔から血の気が引いていく。
「……蓮瑛殿?」
呼びかけると、蓮瑛は我に返ったように頭を下げた。
「……蓮瑛とお呼びください」
「分かった。では、蓮瑛と呼ぼう」
「……今のお話、承知いたしました」
声がかすかに震えていた。
「龍華国へ戻れと言っているのではない」
誤解させたのだと思い、シンシャはすぐに言葉を足した。
「貴女が望む限り、碧砂国にいて構わない。体調を取り戻した後も同じだ。住む場所も、生活に必要なものもこちらで用意しよう」
「妃でなくとも、ですか?」
「ああ。行き場がないからといって、不本意な婚姻を受け入れる必要はない」
蓮瑛は俯いたまま、しばらく何も言わなかった。
「……ありがとうございます」
ようやく返ってきた声は、ひどく頼りなかった。
婚姻を強いられないと知って安心したのだろう。そう考えたが、蓮瑛の表情は晴れない。
「何か気に掛かることがあるのか?」
「いいえ。陛下のお心遣いに、感謝しております」
そう答えて、蓮瑛は深く頭を下げた。これ以上尋ねても、疲れさせるだけだろう。
「今は身体を治すことだけを考えてくれ」
シンシャは席を立った。扉が閉まるまで、蓮瑛は顔を上げなかった。
部屋を出たシンシャは、小さく息を吐いた。
「これで、少しは安心できるだろう」
「……そうでしょうか」
隣を歩くランフォンの声は、なぜか歯切れが悪かった。
■■■
扉の向こうから足音が聞こえなくなっても、蓮瑛は顔を上げられなかった。
妃になる必要はない。
それはきっと、シンシャなりの優しさだった。龍華国の命令に従って、望まぬ女を妃にするつもりはない。それでも行く場所のない蓮瑛を憐れみ、この国に置いてくれるという。
何一つ、責められることはなかった。
それなのに胸が苦しいのは、シンシャの優しさに甘えて、期待してしまったからだ。
妃として迎えてもらえたなら、自分にも居場所ができると思っていた。いつかシンシャにも、ここにいてほしいと望んでもらえるのではないかと。
けれど、彼が蓮瑛に向けていたのは、行き場を失った者への慈悲だった。
それ以上を望むことなどできない。
シンシャの言葉はどこまでも優しかった。だからこそ蓮瑛は、妃として彼の傍にいたいとは言えなかった。




