青い水の都
「蓮瑛様。王都が見えてきましたよ」
そう声を掛けたのは、王都から蓮瑛を迎えに来た世話役のメイホアだった。
窓の外を見たくて少し身を乗り出す。馬車は岩山の中腹を走っており、眼下には砂色の城壁に囲まれた王都が広がっていた。その中で真っ先に目を引いたのは、陽光を映す青い水面だった。
「あれが、この国で一番のオアシスです。王都はあの水を囲むように造られたのですよ」
メイホアは誇らしげに説明した。
「そして、あちらが王宮でございます」
彼女の差し示した先に、白い宮殿が見えた。
あそこにシンシャがいるのだと思うと、蓮瑛は無意識に膝の上で両手を握り締めていた。
城門をくぐると、これまで見たことのない異国の風景に蓮瑛は目を見開いた。
大通りには人々が行き交い、店先には色鮮やかな絨毯や精巧な工芸品が売られている。荷を積んだ駱駝や驢馬がゆっくりと通りを進み、その脇を子ども達が楽しそうに駆け抜けていった。
王家の紋章を掲げた馬車が通りへ入ると、子ども達が元気よく手を振った。それにつられるように大人達も穏やかな笑みを浮かべて、軽く会釈を送る。
「陛下は、皆様に慕われていらっしゃいますのね」
「ええ。陛下はよく街へ出て、民と言葉を交わされますから」
蓮瑛は、笑顔で馬車を見送る人々を不思議な思いで眺めたのだった。
馬車は王宮の中庭でゆっくりと止まった。メイホアが扉を開ける。
「到着いたしました、蓮瑛様」
蓮瑛が外へ降りると、白い石畳の先にはランフォンがいた。
「ようこそお越しくださいました、蓮瑛様」
静かに一礼したランフォンに、蓮瑛も慌てて礼を返す。
「長旅でお疲れでしょう。お部屋をご用意しております」
「……ありがとうございます」
「まずはお部屋へご案内いたします」
丁寧な出迎えをありがたいとは思ったけれど、蓮瑛は落ち着かなかった。
無意識に、辺りへ視線を巡らせる。
「陛下からも、今は何より体を休めるようにとお言葉を預かっております」
「陛下が……」
「本日は政務のため、こちらにはお越しになりません。どうぞご容赦ください」
「……そう、ですか」
胸の奥がほんの少し沈んだ。
(――お忙しい御方なのだから、当然だ)
それでも、どこか会えるものだと思っていた自分がいたことに気づき、蓮瑛は俯いた。
「それでは、お部屋に参りましょう!」
メイホアの明るい声に、蓮瑛は思わず瞬きをする。
「きっとお気に召しますよ。お部屋からオアシスも見えるんです!」
ニコニコと自分のことのように嬉しそうにするメイホアの様子に、つられるように蓮瑛の口元にも笑みが浮かんだ。
「……はい、楽しみです」
ランフォンに案内された部屋は、王宮の奥にある静かな一室だった。
白い壁には色鮮やかな織物が飾られ、窓辺には風を通す薄布が掛けられている。そして、そこから先ほどのオアシスが一望できた。
「本当に、よく見えるのですね」
蓮瑛が窓辺へ近づくと、青い水面が陽光を受けて輝いていた。水辺を囲む緑には色とりどりの花も見える。
「お気に召しましたか?」
期待に満ちた顔で尋ねるメイホアに、蓮瑛は小さく頷いた。
「はい。とても美しいです」
「良かったです!」
メイホアは満足そうに笑うと、部屋の中を次々に案内した。衣装棚には蓮瑛のために用意された衣が収められ、卓の上には水差しと果物が置かれている。これほどのものを自分が使ってもよいのかと不安になったが、メイホアはすべて蓮瑛のために用意されたものだと言った。
「何か不足がございましたら、遠慮なくお申し付けください」
後ろに控えていたランフォンは、静かに一礼した。
ほどなくして現れた医師の診察を受け、よく休むように念を押された。
長旅の疲れもあり、蓮瑛は言われた通り寝台に入った。けれど、目を閉じてもなかなか眠ることはできない。
(明日になれば、陛下に会えるのだろうか)
しかし、翌日になっても、シンシャは姿を見せなかった。その翌日も同じだった。
王宮へ来てから三日が過ぎる頃には、蓮瑛も部屋の外を歩けるまでに回復していた。食事も休息も十分に与えられ、メイホアは細やかに世話をしてくれている。何一つ不自由はなかった。
けれど、シンシャとは一度も会えていない。
(私に、お気に召さないことがあったのかもしれない……)
砦で初めて会った時、蓮瑛は床に這いつくばっていた。頬はこけ、まともに立ち上がることさえできなかった。一国の妃に迎えるには、あまりに見苦しい姿であったろう。優しく受け入れてくれたけれど、本当は失望していたのかもしれない。
それとも、役目を果たせない龍の巫女だと、既に知られてしまったのだろうか。
『お前のような役立たずでも、砂漠の国ならば使い道もあるでしょう』
忘れようとしていた声が蘇る。蓮瑛は咄嗟に耳を塞いだ。けれど、頭の中に響く声は消えなかった。




