66:奴隷商の影
朝の村は、いつにも増して生命力に溢れていた。
新区画では、移住してきたばかりの子供たちが無邪気に追いかけっこをし、新米の農夫たちがエルダの厳しい指導の下で土を耕している。
立ち上る湯気、焼きたてのパンの香り、そして響き渡る活気ある声。
まさに、カイゼルが描き、村人全員で色をつけた「明るい幸せ」そのものの光景だ。
だが、その陽光を切り裂くように、不快な「影」が村の境界線に落ちた。
「おーっと、ストップだ! 今日の空気、なんだか少しだけ脂っこい気がしないか? せっかくの爽やかな朝が台無しだぜ!」
カイゼルが広場の中央で、いつものように底抜けに明るい声を響かせた。
だが、その視線は鋭く、門の外に止まった一台の馬車を射抜いている。
エルダが音もなく隣に立ち、槍の柄を握りしめた。
「……護衛の数が不自然だ。表に四人、影に二人。商人の振る舞いではないな」
「ははっ! さすがは軍曹殿、目敏いねえ。マリナ、お前さんの鼻にはどう映る?」
マリナが扇子をパチンと閉じ、冷徹な瞳を細める。
「……鼻が曲がりそうだわ。あれは商人の皮を被った『人買い』よ。……奴隷商。それも、質の悪いね」
空気が一瞬で凍りつく。だが、村人たちはパニックにならない。
農夫は鍬を握り直し、見張りは静かに銃の遊底を確認する。
カイゼルが敷いた「仕組み」は、不測の事態においても村を冷静な一つの生命体として機能させていた。
門前。
馬車から降りてきたのは、贅沢な服を着た太った男だった。口元には下卑た笑みを浮かべている。
「これはこれは! 辺境の掃き溜めが、いつの間にか金貨の匂いがする立派な拠点に化けたものですな!」
「ははっ! いらっしゃい! 褒めても何も出ねえぜ、おじさん。で、その物騒な護衛を引き連れて、何の御用だ?」
カイゼルが軽快なステップで前に出る。
「商談ですよ。この村には労働力が足りないと聞きましてね。最高に扱いやすい『商品』を仕入れてまいりました」
男が馬車の荷台を叩くと、中からガタガタと鎖の音が響いた。
開かれた扉の奥にいたのは、怯えた瞳の子供、衰弱した若い女、そして絶望に顔を伏せる男たち。
沈黙。村人たちの視線が、男を、そして鎖を刺す。
「安くしておきますよ。言うことを聞かなければ、叩けばいい。……実に効率的だ」
「……効率、ねえ」
カイゼルの声から、陽気さが一滴だけ零れ落ちた。
「おじさん。残念だが、お前の持ってきた『商品』、うちの市場じゃ価値はゼロだぜ。……いや、マイナスだ」
男が眉をひそめる。「何だと……?」
「俺の設計図に『人を鎖で繋ぐ』なんて項目は載せてねえんだよ。そんなもんを持ち込まれたら、村の空気が汚れちまうだろ?」
エルダが一歩踏み出す。それだけで、護衛たちが反射的に武器を抜こうとした。
「……動くな。死にたければ別だが」
エルダの放つ圧倒的な圧が、その場の空気を物理的に押し潰す。
「交渉終了ね」
マリナが冷ややかに言い放つ。
「ここで商売ができると思った時点で、あなたは情報を読み間違えた。……この村は、人を消費する場所じゃない。人を『生み出す』場所なのよ」
男が脂汗を浮かべ、後退りする。
「な、何を……! 私は正式なギルドの認可を持って……」
「ははっ! その紙切れ、俺の鼻をかむのにも使えねえよ! ――全員、降ろせ」
カイゼルの声は静かだった。だが、それは全属性の魔力を束ねた、抗いがたい「王」の命令だった。
護衛たちが、エルダの殺気とカイゼルの威圧に屈し、震えながら鎖を解く。
馬車から力なく降りてくる人々。リナと医療班が即座に駆け寄り、温かいスープと毛布を差し出す。
「……たすけて」
小さな子供がカイゼルの服を掴んだ。
「ははっ、もう大丈夫だぜ! ここは、お前を縛る鎖よりも、お前を温めるスープの方が多い場所だからな!」
カイゼルは子供の頭を優しく撫で、奴隷商の男を真っ直ぐに見据えた。
「金は払わねえ。これは取引じゃなく、俺たちのルールに従わせただけだ。……返してほしければ、軍隊でも連れてくるんだな。エルダがまとめて相手してやるからよ!」
「……損な商売だ。王都の旦那衆が黙っていないぞ」
男は捨て台詞を残し、逃げるように馬車で去っていった。
夜。
村には、新しく救われた人々の安堵の溜息が流れていた。
温かい食事を摂り、清潔なベッドで眠る。ただそれだけのことが、この村では「当たり前」の権利として保障されている。
「……甘いな、カイゼル。あいつらはまた来るぞ」
エルダが、暗闇に消えた馬車の轍を見つめる。
「ははっ! 来れば返り討ちにするだけだ。……だがな、エルダ。買わない、売らせない。それを貫き通すことが、一番の攻撃になるんだぜ」
マリナが笑いながら杯を傾ける。
「ええ。この村が『人を高く活かす』モデルになれば、奴隷なんていう非効率なシステムは勝手に廃れるわ。……カイゼルの言う通り、これは最高の『商売』になるわよ」
カイゼルは、灯りが増えた村の景色を眺めながら、不敵に笑った。
「人は、残る場所を選ぶ。俺の仕事は、ここを世界で一番『残りたくなる場所』にすることだ。……鎖なんていらねえ。美味いメシと、明日が楽しみな仕組み。それだけで、人は動くんだよ!」
陽気な笑い声が、夜の静寂を明るく照らす。
守るべきものが増え、責任は重くなる。だが、その分だけ、この村の輝きは強くなっていく。
止まらない物語は、新しい仲間という名の「魂」を乗せて、さらなる広大で光り輝く未来へと加速し続けていた。
「さあ、明日は新人たちに新しい靴をプレゼントしてやるとするか! 未来は、俺たちの手のひらの中で最高に踊ってるぜ!」




