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  作者: 可燃物


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7/10

7

私小説:作者が経験した事柄を素材にして描かれた文章。

   あくまで改変ありのフィクションが前提とされる。


荒んでいた。


裁判を二件起こし、その結果は私が望んでいた最良の結果には繋がらず、心がすり減っただけ……とは言わないが、納得のいく結果にはならなかった。



転職を余儀なくされて、金銭的に余裕が無かった。


先生が貯めていたお金は全て家の購入資金と、訳の分からない理由によって過剰に施行された防音設備搭載の部屋のリフォームによって、消し飛んだ。



介護をしなければならない人間は、他人である私に申し訳ないとか、感謝するとか、そういった感情は見せずに小遣いをせびってきた。


通院のための送迎も、私がしていた。



要看護の人間が二人いる、時間に融通の効かない人間を雇ってくれる会社なんて無い。


アルバイトで食いつなぐのが、せいぜいになった。



先生の心が安定する気配は無く、主治医が処方する薬は増える一方だった。


そんな中、緊急搬送された先の病院で先生を看た医者が、先生のお薬手帳を見て「こんなに飲んでるんですか!?何を考えているんだ!?」と先生に詰め寄ったせいで、先生が薬を飲むことを拒否してしまった。



安定剤を飲まなくなったせいで、家鳴りに驚いてはパニックを起こし、近くにある棚、とくに本棚をよく倒した。


正気に戻るとさめざめと泣いて謝るものだから、居た堪れなくて、その度に倒れた棚を起こして、納められていた通りに本を戻した。



ほぼ毎日遁走を繰り返しては、夜通し先生と追いかけっこをする事になった。


保護した後は汚れた先生を風呂に入れて、裸足でアスファルトを走るせいでボロボロになった足の裏を消毒して、薬を塗って包帯を巻いて。


「ボクが寝るまで寝ないでね」と睡眠障害持ちの、しかも睡眠薬すら飲まない先生に言われ、睡眠時間は毎日三時間、あるかないか。



正直、よく生きていたなと思う。



若かったから、出来た事だと。



しかし極度の睡眠不足と、ストレスと肉体への負荷が掛かった期間が、余りにも長過ぎた。



先生の母親はマーカー値が良くなった途端、自分の好きな事がまた出来るようになったと言ってサッサと自分の家に戻り、癌を再発させて、……割と、アッサリと逝った。



貸すだけだと念を押して渡した金は、期待はしていなかったが、やはり一切戻って来なかった。


先生と長年一緒に暮らして、長男嫁の代わりに年単位で母親の介護もしたが、私は、他人だ。



葬儀の列には友人枠でしか立つ事は許されなかった。



救急車でも、病院でも、警察署でも。

なんなら先生の代わりに訴訟を起こそうとした裁判所でも言われた言葉が、繰り返される。



『ご家族以外は、ご遠慮下さい』



ただの紙切一枚による証明に、何の意味があるのか。


そんなものが、そんなに大切なのか。



私と先生の共に過ごした時間は、そんなものよりも無価値なものなのか。



先生を金ズルの便利屋としか思っていないような母親に、無関心な姉、幼少期、歳の離れた先生に散々暴力を奮ってきた兄。


その嫁は義母の面倒事は全てこちらに押し付けたくせに、遺産の金額が少ないと文句を言っている。



幼い先生を陵辱し続けた父親とて、血の繋がりがあると言うだけで、とうの昔に離婚して出て行き、他人になっているクセに、元父親というだけで、家族のふりが出来る。



なのに先生が誰よりも求めてくれた私が、なぜ、他人として、その他大勢と同じ扱いを受けなければならないのか。



なぜ。



理由は簡単だ。


私達は、籍を入れていない。



同性婚が、日本では認められていないからだ。



どれだけ想っても、どれだけ同じ時間を過ごしても、現状、戸籍に私と先生は名前を連ねる事が許されない。



養子縁組の話は、一応した事がある。


しかし私は、先生に父親になって欲しい訳ではない。



上下の並びではなく、横に名を連ねたい。


だからその日が来るまで待つと、他でもない私が言ったのだ。



だから、救急車の同乗を拒否されようと、保護をしてくれた警察署に迎えに行く度に関係を聞かれ身分証明の提示を促されても、悔しさはあれど、甘んじて受け入れて来た。



しかし母親の葬儀、私が隣にいないと出られないとパニックをおこしかけている先生を、無理矢理従わせている家族を見ると、どうしても、疑問に思う。


先生を理解しようとしない連中が、なぜ私よりも先生との関係において、社会的に優遇されているのだろうか。



度し難い。



私が生きている人生において、先生と共に過ごす時間は、もうすぐ私の一生の半分になる。


私の半分は、先生で出来ているようなものだ。



そんな時に、こんな事が重なって、ふと、思ってしまったのだ。



私の人生は、このままで本当に良いのだろうか、と。



十五歳の時に先生の著書を読んで、余りの衝撃にファンレターを書き、返事を貰い、交流が始まった。



高校には行かずに先生の所へ行きたいと両親に、殺される覚悟で初めて反抗的な言葉と共に願った。


しかし世間体を気にした両親は高校さえ卒業したら、あとは好きにして良い。

つまり進学して高校だけは出ろと条件をつけてきた。



中卒だった先生からも「僕には出来なかった事だから、僕の分まで高校生活を楽しんで」と言われてしまった。

そのため、我慢して進学をした。



バイトを禁止する代わりに、テストで良い成績を修めれば小遣いが貰えるからと、必死に勉強をしてずっと上位の成績をキープして、長期休暇のたびに県外に住む先生の元へと足繁く通った。



そして高校卒業と共に家を出て先生と暮らし初めてから、十年以上の月日が経過した。


もうじきに私の人生の半分は、先生で構成されることになるのだ。



……なのに、私の手元にあるものは、なんだろう。



家族は捨てたようなもので、まれに来るLINEによるメッセージのやり取りしかしていない。


実家に帰省したのなんて、成人式の時と、祖父母が亡くなった時くらいなものだ。



ろくな仕事には就けず、貯金もない。



大きいだけが取り柄の古い住みにくい家。



私が好きになった先生の、片鱗しかもう見て取る事の出来ない、ワガママで自分勝手な理不尽の化身のような、先生の姿形をしたナニカ。



先生がいうことばかりをこなし、自分の意思を介入させないようにしてきたら、恨み言以外の自分の考えがほぼ欠落してしまった、人間として終わっている私しか、ココにはいない。



もう、三十路だと言うのに。



子供の頃に見上げた三十路と言えば、オッサンの代名詞で、落ち着いていて成熟しており、家庭を持つ大人だった。



対して私は、なんて無様なのだろう。


私は、どこで道を間違えたのだろう。



そんなことを、ろくに眠れず、ろくに回らない頭で考えたせいなのか。

そもそもろくに頭が回っていないから、そんなことを考えたのか。



文字通り、世界から色が消えた。


徐々に色味が消えていき、灰色の世界になっていった。



色の識別が出来なくなるほど、脳の動きが鈍っていたのだろう。



辛うじてルーティンとなっている職場の往復と、家事はこなせた。


転職先は工場内の勤務が基本だったため、難しい事を考えなくても仕事をこなせる。

身体に染み付いた作業さえこなせれば、問題ない。



だからこそ、無駄に陰鬱な事ばかりが頭の中を巡ってしまったのだろう。



まともな状態では無かった。



今振り返れば、そう思える。



当時の記憶が曖昧なのも、頭が動いていなかったために、自分の身に起きた事が、記憶出来なかったためだと思う。


同時にショックな事が起きたため、思い出したら辛いから、曖昧にボヤけて霞んだ朧気な記憶しか、出力出来ないのだと思う。



先生が鬱と診断され仕事が出来なって以降、先生の収入はほぼ無いも同然。



掃除をさせればフローリングの溝の汚れを爪楊枝で取ろうとし、洗剤によって手をボロボロにする。


料理を作ろうとすれば全ての調味料を計り、全ての材料の大きさを揃えて切らなければ気が済まず、気に食わないとちゃぶ台返しの如く全てをぶちまける。


洗濯をさせれば丁寧過ぎて、色物やタオル類を全て別に洗うため水道代と洗剤代が非常にかさむ。

干し方にも拘りがあり、パンツと靴下は同じ物干しに留めないとか、ハンガーは襟ぐりが伸びるから下からいれなきゃダメだとか、とにかく時間がかかった。


とうぜん気に食わない事があると、洗う所からから全てやり直す。



そんな人に家事全般をさせられるわけがない。



私が一人で生活を支えなければ、共倒れになるというプレッシャーの中に常にさらされていた。


頼れる人は周りにいない。



成人前からそんな思考にあったせいか、私は誰にも助けを求めてはいけないと、常に張られていた緊張の糸が、ある日、プッツリと切れた。



そして私は、自死に至った。


こうして執筆しているので当然のように、未遂に終わった事だが。



キッカケはいつもの先生のセリフだった。


「愛していると言いながら、どうせいつかキミも、ボクを捨てるんだ」


「今ここで死ねば、その日を迎えずに済む」



いつも通りだったのならば「私は貴方を捨てたりなんてしません」「私は貴方を愛しています」と幾つも言葉を重ねて、殴られても蹴られても、時には手に持った刃物で傷付けられても、抱き締めて先生が落ち着くのを待った。



しかしその時の私には、そこまでの余裕がある無かった。



限界、だったのだ。



無償の愛を提供し続ける事に対してではない。


見返りを求めず、ただ尽くし続けるための原動力となる、先生からの愛情が、枯渇した。



初めて先生に対して声を荒らげ、何故私がこれ程尽くしているのに、何故理解をしてくれないのだと、堰き止めていた感情が溢れて来た。



自分の人生の半分以上を先生に捧げ、先生の望むままに生き、理不尽も不条理も受け入れ、無理難題を突き付けられても自分の持ち得る全力でこなし続け、どんな無体を強いられても享受してきた。



全てが先生のためだった。

先生に喜んで貰いたかいがためだった。



そうすればいつか‘’先生‘’が戻って来てくれると、信じていたが故の行動だった。



なのに、それでも。

私は先生の生き続ける理由には、なれなかった。



自殺未遂をされて手当をするたびに、「その時その日の一瞬を生きるためにやってしまう行動なのだ」と言われても、私には、その心理が理解出来なかった。



酷い侮辱だと思った。


どれだけ私をすり減らしても、削り取っても、先生は私では満たされない。



先生が恐れる‘’いつか‘’なんて日は来ないのだと、事実と異なるように捉えられないよう言葉を気を付けて選んで来ても、私は嘘を吐く人間なのだと認識され続けてしまう。



自尊心をへし折るような事を散々して人を辱め、毎日どれだけ私が先生に心を砕き尽くしているのか、この二十年近い歳月ををかけても、まだ分からないのかと、絶望させられた。



どれだけ職場の人と仲良くなろうと、先生が嫌がるから、先生以外の人と休日に会うことをしなくなった。


口約束だけでは不安だと言うから、「鎖ででも繋ぐ?」と冗談で言った。

頷かれたので、墓穴を掘った自覚に項垂れながらも、休日には遂行した。


鍵を先生に預け、トイレに行けるだけの長さの重たい鎖で繋がれ、肩と首が痛んだ。


終いには寝ている間にコッソリと鍵を外してしまうかもしれないと難癖を付けられたために、全裸で過ごす羽目になった。



さすがに引っ越してからは、隙間風が酷いので全裸は無くなったが、代わりに車の鍵は先生が管理する事となった。


前住んでいた所とは違い、市の中心部から外れているため、どこかに出掛けるならば、車が必須だからだ。



泣き叫んで失神までする事となった、人には言えない場所にピアスも開けられた。


耳もそうだったのだが、ピアスホールが固定されずにそのまま膿が酷くなり、血もずっと出続け、もげる一歩手前までいった。



書ききれない程に、先生と出会って以降の私自身を、先生に捧げてきた。



先生が自死をしようとするたびに止め、懸命に応急処置を施し、時には自分がケガを負うことになっても、落ち着くまで抱きしめて落ち着かせたのは、先生を失いたくないからだ。



先生が居なくなったらどうやって生きていけば良いのか。

想像する事すら嫌なのに。


まるで現実味のない想定過ぎて、微塵もそんなビジョンが思い浮かばないのに。



それなのにも関わらず、先生は私が先生を置いてどこぞへ‘’逃げる‘’とすら言ったのだ。



逃げる?


それは、先生が私にとって有害だと、私が判断すると思ったという事か?


私にとって、先生が悪で、居心地の悪い場所であると?



確かに先生といると、大変だ。


精神的に不安定だし、ワガママだし、偏食な上拒食症だし、不眠症のクセに自分が寝るまで私に寝るなとか無茶を言うし、拘りが強いし、グレーな判断を好まないし、非常に面倒臭い人なのは、間違いない。



だけどそれらの、人によってはマイナスにしかならない数々の事が瑣末に思える位に、先生を愛しているのだ。


他では替えがきかないくらいに、先生しか私には見えていない。



ずっとそう、伝えてきた。


寝る前には必ず「今日も一日、愛させてくれてありがとうございました。明日も宜しくお願いします」そう言ってベッドに入る。



言葉で伝えないと不安になるからと、照れ臭いけれど先生が少しでも安心してくれるのならと言い始めた言葉掛けは、いつしかそれが習慣になった。


おざなりに、適当に言った事など、ただの一度たりともない。



中学、高校の子供が、環境や家族を含めた自分の全てを捨ててまで、赤の他人の家に飛び込む、ある種の無謀さの原動力が、何なのかが本当に分からないのか?



なのに先生の身体で、先生の口から、この目の前のナニカは私を罵るのだ。


「お前なんて要らない」と。



大抵の生物は半身を失ったら生きていけない。


つまり先生を失うということは、私が私で無くなると言う事と同時に、私が死んで亡くなるも同然の事だ。



酷い過呼吸を起こした私を見て、先生――恐らく、先生のテンション違い、他者を酷く傷付けその反応を見て自分の存在を認識しようとする、厄介な人格だったのだと思う。



先生の姿形をしたその人は「わざとらしい演技は辞めろ」「そうやって同情をひくのか」「お前よりボクの方が辛いのに」そう私を更になじった。



なじる声が途切れて、倒れたのか、膝をついたのか。


大きな音が聞こえた数秒の後に、サイキさんが「済まない、出るのが遅くなった」と、息が上手く吸えなくなっていた私の背をさすった。



「あの子の本心じゃない。気にする事はない」そう励まし……なのだろうか。


取り繕うような言葉をいくつもかけてくれたが、私の中を支配していたのは、「今ここで死ねば、その日を迎えずに済む」と言っていた、先生の言葉だ。



こんな時でも、先生に支配されているのだ。

我ながら、呆れてしまう。



「いいよ、もう……

 いつか、先生が戻って来てくれるって

 いつか、俺の苦労が報われるって

 いつか、いつか……


 その時を期待して、裏切られ続けるのに、もう、疲れた……


 いいよ。

 もう、頑張るの、俺が疲れた」



上手く言葉に出来ていたかは、分からない。



それでも、私の言葉を受けて、落ち着かせようとしているサイキさんの目を覗き込んだ時に、私が言わんとしている事は伝わっていたのだと思う。



「私が先生に捧げてきた二十年、全て、無駄で、無価値なものだったんだ」


「でも、私が先生に遺せるものがあるのなら、今、私がここで死ねば、私の先生への愛は、一生のものだったと、証明出来る」



言って私はサイキさんの腕を振り払い、二階の窓から飛び降りた。


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