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  作者: 可燃物


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5/10

5

私小説:作者が経験した事柄を素材にして描かれた文章。

   あくまで改変ありのフィクションが前提とされる。


今日が休日で良かったと言うべきなのだろう。


口には出さないが、非常に疲れた。



引越し先の権利書も含めた貴重品や見られたくない物を車に乗せ、その他の荷物も段ボールに詰める作業を手伝い、全ての荷物を運び出した。



搬入を終えて別れる時、弁当を買うついでに崩したお金で業者さんにお礼金を渡して別れた。


最初に渡していたら、気を使ってくれて、ゴキブリホイホイが段ボールに詰められるような事は無かったのかもしれない。



洗濯機等の大型家電の設置方法は後で調べるとして、まずは電気・ガス・水道の全ての切り替えを行うための電話をしなければならない。


先生の代わりにリュウジさんが前もってしておかなければならない手続きはしてくれていたようだ。


全て名義はそのまま、使用する住所が違うだけなので、その電話一本でつつがなく新居に灯りが点った。



サイキさんが先生の人格はまだ中で寝かせておいてくれると言うので、新居で留守番をして貰い、アパートに戻って掃除を済ます。



敷金礼金は確実に返って来ないが、印象を少しでも最悪から悪い程度に上げておきたい。



先生が暴れて開けた壁の穴の数々に、先生が縊首をし損ねて落ちた際に出来た床のへこみ。


飛び散った血のシミなんかも、さすがに誤魔化しは効かないけれど。



隠すように置かれた家具の一切が無いと、完全に事故物件の様相である。



それらの痕跡を消そうとするたびに、嫌な思い出が蘇る。



自死をほのめかして、私を意のままに操り言う事を聞かせようとしてくる事が、どれ程生温い事なのかを、嫌でも理解させられた。



薬のせいなのか、そういう気質なのか。


解離した人格が、主人格を守るための行動だと信じて疑っていないのか。



先生は一切躊躇わずに、刃物を引く。


時には抉り、時には突き立てる。



救急車を何度呼んだか分からない。


その度に救急隊員に言われた言葉に、どれ程心を抉られたか分からない。



おかげで刃物という刃物を全てタオルに包み、車の中に入れるようになってしまった。


検問があったら、一発でアウトだ。



料理のたびに、車にいちいち行かなくてはならないのも、かなり手間だった。


なにせ先生が家の鍵を開けっ放しにするのを酷く嫌がるので、数歩の距離の所にある駐車場への、極めて短距離走の往復の間ですら、鍵をその都度開け閉めしなければならなかった。



次に引っ越すのなら、鍵が掛けられる引き出しが欲しいと思っていた。



……あの古めかしい家では、難しいだろうな。



汚れは必死に落としはしたものの、壁の修復なんてそんなすぐに出来るものではない。


管理会社から請求された金額は、最初、七桁の数字で書かれていた。



ただ先日の事件もあって、管理会社が代わりリフォームが入る予定だからと、桁を一つ下げて貰えた。


当然、何十万と払った敷金礼金なんて返って来ない。



近々リフォームをすると言うのなら、金の請求をして来るなよと言いたいが、後ろめたい事が多過ぎるので、「近いうちに指定の口座に振込みます」と返事をした。



嫌な思い出も苦い思いも、山程詰まったアパートだったが、それでも何だかんだと五年近く住んだ場所だ。


部屋に一礼して、管理会社の人にも「お世話になりました」と告げ、鍵の返却を行った。



我が家という感覚は微塵も無いが、引越し先に戻ると、既に山になっていた幾つかの箱が潰されていた。



既にもう、夕方だ。


最低限必要な荷物だけ発掘して、夕飯は昨晩の残りで簡単に済ませても許されるだろうか。



なにせ私は明日、仕事なのだ。


相当な気疲れを起こしている今、通常の睡眠時間では足りないだろう。

早く寝たい。



「戻りました」


「あぁ、おかえり。

 もうどこにも出ないよね?

 あの子が出たがっているから、いい加減代わりたいのだけれど」


「大丈夫です。

 留守番ありがとうございました」



多重人格や解離性同一性障害の人を他に見た事が無いから、他の人達もこういうものなのかは知らないが、先生の中にいる、全く違う人格として形成されている、サイキさんのような別個の人と表面に出る人格が代わる時は、切り替えの作業が必要らしく、脱力をしてしまう。


そのため、ベッドに横になるか、座るかしなければならない。



先生の記憶を持ち、先生なのだろうなと感じる人格達の事を、テンション違いと私は称している。

怒って手がつけられなくなったり、ヒステリックになったり感情の乱高下が酷くなるためだ。



そうやって感情が振り切ってテンション違いになる場合は、人格の交代とは違い、スイッチが切り替わるように見える。


突然前触れなく代わるので、コントロールが一切出来ていないのだろうなと感じる。



だからたまに、先生は解離性同一性障害なのには違いないだろうけれど、サイキさんを含めた別の人格は、先生の演技なのではないかと思う時がある。



‘’アルジャーノンに花束を‘’で有名な、ダニエル・キイスが書いたノンフィクション小説である‘’二四人のビリー・ミリガン‘’とその続編である‘’ビリー・ミリガンと二三の棺‘’を、随分昔に読んだ事がある。


ソコに書かれていた文章を思い起こして先生と比較した時、間違いなく別人なのだろうなという、結論に達してしまうのだが。



まぁ、先生もソレを読んだ事があるのなら、演技をする事も可能なのかもしれないけれど。



ただ演技とするには、それぞれの人格の話す時のクセが余りにも違い過ぎるんだよね。



特に先生は、どのテンションの中にいようと、一人きりになる事を避ける。


一人でいるとパニックを起こしてしまうのだ。

裸足で遁走を何度繰り返したか、分からない。



表情筋の使い方も変わる。


……まぁ、それはテンション違いでも同じ事が言えるけれど。



英語のように、地方によって発音が全然違うのなら言葉の使い方で見分けられるかもしれないけれど、私が分かるのなんて、せいぜい語彙力の幅が狭まるか広がるか。


あとはイントネーションや語尾の違い程度だ。



声の調子を変える事は、女性がよく電話をする時にワントーン高くさせるし、声優なんかは全然元の声と違う声音を出せる。


声では別の人格が実際にいる証明にはならない。



脳波でも見られれば、証明出来るのだろうけれど……



私は真実を明かしたいのではない。


だから正直、どっちでも良い。

そんな瑣末な事、どうでも良い。



先生が演じていたとするなら、その茶番に付き合って、信頼を勝ち取るためのツールとして利用すれば良いだけだと思っている。


散々人に裏切られて来たから、本心を探られるのが嫌で、別の人格を自分の前に置いてワンクッション挟みたいのだと思える。



自分じゃないから、裏切られたとしても、自分は傷付かなくて済むからね。



サイキさん達は、そんな防波堤のような存在なのだろう。


だから事実別の人格なのか、先生が演じているのかは、この際関係ない。


与えられている役割は、同じだもの。



本人不在時に、本人をこけ下ろすような事を言ったり、否定するような行動に移したりしなければ、それだけで裏切らないと思わせる、一つの材料になる。



実際、他の人格よりもよく表面に出てくるサイキさんの方が、先生よりも人当たりが良く、理知的で人から好意を抱かれやすい性格をしている。


先生ではなくサイキさんが良いと言って、過去お付き合いがあった人を手酷い制裁を下した事があると言われた事すらある。



先生の事を愛していて、先生ファーストな発言を私にはよくしてくるので、アレが先生の演技だとしたら、なかなかにナルシストで笑えてくる。



先生を傷付けて来た、歴代の彼氏も彼女も、旦那も妻も、親も友人も何もかもを嫌悪している様子は、なかなかに鳥肌ものだ。


潰れたゴキブリでも見るような、蔑んだ目でその遍歴を語るのだから。



「お前はそうなってくれるなよ」という言葉が、裏に隠れているのだろう。


私は先生が珍しく、自分から望んだ人間だそうだから。



「ん……おはよう」


「おそようございます、セツさん。

 もう、引越し先に着いていますよ。

 広い家で、驚きました」



幾度か瞼を痙攣させた後、先生が表面に出てくる。


怒りの感情は、中にいる間に落ち着いたようだ。



良かった。

中古物件とは言え、新居に越して一日目で扉や壁を破壊されたら、溜まったもんじゃない。



「……あ!

 もうお家の中全部見ちゃった!?」


「いえ……

 引越し業者さんが荷物を運び入れる場所を見るために、この部屋と隣、あと台所とトイレ、奥の……あそこは何なんでしょうね?

 二畳半くらいの押し入れ?は見ました」



無駄に細かく言うが、先生は嘘を嫌う。


謀ろうと意図をしなくても、事実と異なる事を言ったら、ソレは全て嘘で裏切りだと判断する。



ホワイト・ライだろうと、関係ない。


自分を慮って傷付けないために吐くなら、例え優しいものだろうと一般的には罪にならなかろうと、自分には凶器にしかならない。


だから傷付けないために嘘を吐くくらいなら、傷付けてでも真実を言えと、何度も繰り返し言われている。



それこそ、耳にタコが出来るレベルで。



「二階は見た!?」


「いいえ。

 そもそも、階段がどこにあるのかすら分かりません」


「ココ!」


テンション高めに意気揚々と、先生が指をさしたのは、隣の部屋に続く木扉だ。



四枚並ぶその、一番右の扉を開いたら、こじんまりとした四畳半ほどの畳張りの部屋だった。


荷物を保管する場所には適さないと判断し、再び扉を閉めておいた。


自分もゆっくり見ていないのに、引越し業者にアチコチ先に見られたくなかったからだ。



先生はトテテと小走りで一番左の扉に駆け寄る。


その木扉をスライドさせると、階段が現れた。



「忍者屋敷!?」


「そう!

 面白いでしょ!?

 あとね、コッチも!」



言って手を引かれて右の木扉を開いて奥へと進む。


更に襖を開け、また開き……一体何部屋あるんだ、この家?



この広さを一人で掃除しなければならないのかと思うと、改めてゾッとする。


そんな事、全く考えもしていないのであろう無邪気にしている先生は、家の最南端に辿り着き「ココの部屋もいいでしょ」と笑った。



……書斎だ。


小窓からは、裏庭に植えてある椿か山茶花が見える。


庭石も立派で、視線をズラすと枯れた紫陽花も見えた。

サルスベリの木に、紅葉もある。



とても、風流な人が前に住んでいたのだろう。



この書斎があるから、先生がこの物件を選んだのだとしたのなら、とても、嬉しい。



今は病気のせいで何も書けてはいないけれど、まだ、復帰をするつもりがあるという事だろうから。



私が憧れた先生に、また会える。

その可能性がある事が、ただただ嬉しい。



私の感動なんて知らぬ存ぜぬな先生は、グイグイ手を引き、行き止まりになっているはずの書斎の、奥まった所にある木扉をスライドさせた。



「うわ……」


扉を開けば縁側に繋がっており、窓から家の見取り図に書いてあった、蔵が見えた。


コレも築一五〇年以上とかいうのだろうか。


なかなかに立派で、古ぼけた外装だ。

鬼瓦も立派だし、かなりの金持ちが暮らしていたのだろう。



その縁側からは、ツツジや松の木、紅葉のような樹木の他に、水仙や、カキツバタか菖蒲が見えた。



「そっちじゃない。

 頭、気を付けてね」


グイと引っ張られた先には、えらい勾配のある階段がそびえ立っていた。


今の建築基準法では、確実に違法だと言われるだろう。

登る感覚は、ほぼ直角だ。



忍者屋敷だと言ったけれど、本当にそんな感じの雰囲気である。


二つある階段は両方とも木戸で隠されているし、横幅が全然ない。

太ったら確実に二階へは上がれなくなるだろう。



「二階はお手伝いさんとか、奉公に来てた人とかが住んでたのかな?

 部屋はあるけど畳も入ってないし床も酷かったから、フローリング貼り直したの」



階段を上り切った先にある、非常に背の低い扉をしゃがんでくぐると、一階の居間の上を通っていた、太く立派な梁と同じ太さの木が、頭上のアチコチを通っている。


遠目で見た時も太いと思ったが、手が届く位置にあると、その太さを実感出来る。

多分、私が両手で抱えても余る程に太い。



「これは……ブランコでも設置出来そうなくらい立派な梁ですね」


「それ楽しそう!

 いつか作って」


「……善処します」



そんな会話をしながら、押し入れが幾つも並ぶ空間を通り過ぎ、何故かある階段を数段降りて廊下を歩く。


その先に、荷物が山積みになっているフローリング張りのあの大部屋に続いているであろう階段があった。



グルっと一周して来たのか。

変な家だ。



「ココが寝室ね」


リビングになるであろう部屋から階段を上がって、すぐの所が寝室に指定された。



泥棒が入って来たら怖いと一階に住むのを嫌がっていたので、確かにこの部屋くらいしか寝室に出来る部屋はないだろう。


二階の他の空間は、物置用なのだろうと思う、押し入れと開けた空間だけな上、場所によっては天井が恐ろしく低かった。


屋根の形で高さが変わるため、部屋の端に行けば行く程、天井が低い。



ベッドを置くとしたら壁際になる。

他の空間で過ごせと言われたら、私の身長では、寝惚けていたらウッカリ天井に頭をめり込ませかねない。



他の部屋と違って、カーテンが既に掛けられているのか、先生の趣味でそもそも窓がない部屋なのか。


招き入れられた部屋は、真っ暗だった。



目が慣れるまで、どこに照明をつけるスイッチがあるのかすら分からない。



「先生、明かりは……うわっ」


両手を前に出しながら手探りで明かりをつけようとしたら、何かに躓いた。


まさか既に段ボールが運び込まれているとは思わなかった。

サイキさんは、何も言っていなかったよな。



スネを強かに打ち付けたために、なかなかに痛いのだが、転んだ先にはベッドかあったようだ。


顔面はそこそこ痛いが、マットレスのおかげで床にキスをするより随分軽傷で済んだ。



しかし、おかしい。


今までは折り畳みのシングルベッドを今まで使っていたのだ。


人格が別人だろうと、外身は同じ先生だ。

先生の非力な身体では、アレを二階に運ぶなんて、無理だ。



「あのベッドはいつだったか、手錠で繋いだ時に、キミが暴れて歪ませちゃったでしょ?

 だから、頑丈で広いヤツを新しく買ったんだ。

 この部屋は窓もないし、防音にリフォームしてあるから、泣き叫んだとしても、またお隣さんに通報されるなんて心配もいらないよ。

 どう?

 嬉しい?」


「……先生?」


顔が、引き攣る。

途端に嫌な汗が大量に背中を流れている気がする。



「まずは、鎖に繋がないとね。

 お休みの日はそうするって、約束だもの」


今朝外されたものとは違う、何メートルあるかも分からない、ジャラジャラとけたたましい音を立てている鎖を持ち上げて、先生は不敵に笑った。


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