第6話 新聞に、彼女の名前があった
夜、榛名が眠ったあとで僕は検索をした。
「国立情報基礎研究機構 事故」
三年前の記事が五件出てきた。五件しかなかった。
——相模原の研究施設で実験装置の事故、1人死亡
——17日午後、相模原市緑区の国立情報基礎研究機構で、実験装置の故障による事故があり、実験に協力していた同機構の非常勤職員・望月榛名さん(24)が死亡した。同機構は装置内で急激な減圧が生じたとみて調査を進めている。
僕はその名前を三回読んだ。
三回読んでも、字は変わらなかった。
※
二件目の記事は一週間後のものだった。事故調査委員会の設置を伝える短いもので、そこに機構側の担当者の名前があった。
——実験責任者・沢渡詩織主任研究員(28)
沢渡詩織。
その名前で指が止まった。
知っている。会ったことがある。共同研究の打ち合わせで何度か同じ部屋にいた。背が高くて、姿勢がよくて、人の話を最後まで聞いてから喋る人だった。
僕は覚えている。
覚えているということは、僕はあの施設に通っていたということだ。それは記憶と合っている。二年通った。合っている。
合っていないのは十月十七日だけだ。
※
三件目に、僕の名前があった。
地方紙の続報だった。事故調査の経過を伝える記事の、末尾。
——なお同機構は、事故当時、実験室外にいた共同研究者の大学院生(23)についても事情を聴取したとしている。
大学院生。二十三歳。共同研究者。
三年前の僕は二十三だった。
僕はブラウザを閉じた。閉じてから、もう一度開いて、同じ記事をもう一度読んだ。二度目も同じことが書いてあった。
僕は机の引き出しからノートを出して書いた。
——三年前十月十七日、僕は大学の研究室にいた(記憶)。
——同日、僕は相模原の施設にいた(レシート・新聞)。
——不一致。
ここまではいつもの書式で書けた。
その下に、僕は初めて、いつもと違うことを書いた。
——どちらかが誤りではない可能性を検討すること。
書いた瞬間に、手のひらが汗ばんだ。
院を辞めてから三年、一度も使っていなかった頭の一部が、勝手に動きはじめた音がした。
※
朝、榛名が起きてきた。
寝癖がいつもより派手で右側が完全に立っている。彼女は何も言わずに台所へ行って、鍋の蓋を開けて火をつけた。
僕は卓袱台の前に座ったまま、その背中を見ていた。
訊くなら、いましかない。訊かなければ、たぶん永久に訊けない。
「榛名」
「んー」
「三年前の、十月十七日」
鍋の中で汁が小さく鳴った。
彼女は振り向かなかった。
「その日、何してた」
しばらく、火の音だけがしていた。
青い火が鍋の底を舐めている。彼女はお玉を持ったまま、動かなかった。
「透と、鍋食べてた」
僕は息を吸った。
「うちで」
「うん。うちで。白菜が高くて半分しか買えなかった日」
僕はその日を覚えていない。
覚えていないのに、白菜が高かったことを、なぜか知っている気がした。
「そのあとは」
「寝た」
「その次の日は」
彼女がお玉を鍋に置いた。かつん、と音がした。
「その次の日の話は、しないで」
背中越しの声だった。
僕は彼女の後頭部を見た。寝癖の立っている右側を見た。顔は見えなかった。
見えなくてよかったと思った自分が、いやだった。




