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箱の外側で、君は死んでいる  作者: みぎみみ


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55/61

第55話 いちばん都合のいい結末です


 郡司とは四谷の同じ部屋で会った。


 ブラインドはいつもどおり下りていた。長机に椅子が四脚。彼はいつもどおりコーヒーを頼んで、いつもどおり一口も飲まなかった。


「第三隔離実験室に、入れてください」


 僕がそう言うと、彼は初めて、顔を上げるのに時間をかけた。


「理由を伺えますか」


「中にいれば、外の記録が届きません」


「はい」


「届かなければ、僕にとって彼女の死は決まりません」


 郡司はコーヒーカップの縁を、右手の指でなぞった。


 左手は鞄の上に置かれたままだった。


「出てこられないことは、ご存じですね」


「知っています」


「食料も、水も、置けません。あの部屋に物を持ち込めば、外部との相関が発生します」


「知っています」


「では、あなたは中で亡くなります」


「決まりません」


 僕は言った。


「誰かが開けるまでは」


    ※


 郡司はしばらく黙っていた。


 彼が黙るのを見るのは二度目だった。


「高梨さん」


「はい」


「これは、私にとって、いちばん都合のいい結末です」


 彼は正直に言った。


「あなたは、この三年間で唯一、少数派の事実を持ったまま動き回っている人間です。私はあなたを整合できずにいます。あなたが自分から、外と情報のやりとりをしない場所へ入ってくださるなら」


 彼は指を止めた。


「私の仕事は、終わります」


「わかっています」


「わかっていて、頼むのですね」


「頼みます」


    ※


 郡司は鞄を開けた。


 中から、あの白い紙を出した。


 ——事実整合に関する同意書


 三か月前に、卓袱台に置いていったのと、同じ書式のものだった。


「署名していただきます」


「合わせるという意味ですか」


「違います」


 彼は僕のほうへ紙を滑らせた。


「二枚目をご覧ください」


 僕はめくった。


 ——本人の申し出により、事象の整合を、隔離環境への自発的移行によって行うものとする。


 ——移行後、当該事象に係る記録は、外部において確定した内容をもって整合済とみなす。


 ——移行者の生死は、開扉時まで確定しないものとして扱う。


 三行目に、僕は指を置いた。


「これ、あなたが書いたんですか」


「昨日、書きました」


 郡司は言った。


「役所の文書に、こういう一行を入れたのは私が初めてです」


    ※


 僕はペンを取った。


 取って、署名の前に、一つだけ訊いた。


「郡司さん」


「はい」


「あの部屋は、誰が管理しますか」


「事象整合室です」


 彼は即答した。


「移行と同時に、第三隔離実験室は封鎖されます。機構の管理から外れて私どもの管理になります。以後、開扉には整合室長の決裁が要ります」


「室長は」


「私です」


 僕はペンを持つ手を止めた。


「あなたが、開けないと約束してくれるんですか」


「約束はしません」


 郡司は言った。


「約束は、記録になります。記録は複製されます」


 彼は僕の目を見た。


「私は何も書かずに、開けません」


    ※


 僕は署名した。


 高梨透、と書いた。


 三年ぶりに、自分の名前を、まっすぐ書いた。


 郡司はそれを受け取って封筒に入れた。


「日にちは」


「一月三十一日でいかがですか」


「かまいません」


「午後二時に、正門でお待ちしています」


 彼は立ち上がった。


 立ち上がって鞄を提げた。


 そして、ドアの前で振り返った。


「高梨さん」


「はい」


「ひとつだけ、申し上げてよろしいですか」


 僕は頷いた。


 郡司は少し言葉を探した。


 この人が言葉を探すのを、僕は初めて見た。


「私は二つある事実を憎んでいます」


「聞きました」


「ですが」


 彼は左手を、鞄の持ち手から離した。


「あなたが、そちら側へ行かれるのは憎んでいません」


    ※


 部屋を出て四谷の坂を降りた。


 この前は雨だった。この日は晴れていた。


 坂の途中で僕は振り返った。


 看板の出ていないビルの四階に、ブラインドの下りた窓がひとつあった。


 その向こうに、あの人がいる。


 三十秒で十九人が死ぬのを見た人が、いる。


 僕は頭を下げた。


 見えていないことは、知っていた。


 それでも、下げた。


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