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箱の外側で、君は死んでいる  作者: みぎみみ


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52/61

第52話 目を細くして、もう一度読む


 榛名は翌朝に戻ってきた。


 台所の入口に立っていた。輪郭は止まったままだった。


「おはよ」


「おかえり」


「どっか行ってた?」


「どこも」


 僕は嘘をつかなかった。


 小平へ行った。階段の一段目に足をかけた。上がらなかった。


 それは行ったとは言わない。


    ※


 その日、僕は、一日じゅう卓袱台の前に座っていた。


 紙は押し入れに戻していた。ノートも入れたままだった。


 何もない卓袱台の上を、ずっと見ていた。


 三年前の二年間、僕はこうやって座っていたのだと、榛名は言った。電気もつけずに、二時間とか三時間とか。


 いま、それをやっている。


    ※


 夕方になって、僕は、自分が何をしているのかに気づいた。


 一回目の読みをやっている。


 意味を追う読み方だ。


 どうすれば助かるか。何をすれば勝てるか。誰に頼めばいいか。三年間、僕はそれしかやっていない。


 だがこの仕事には、二回目がある。


 二回目は意味を追わない。


 文字だけを見る。


 文章を読まないようにして文字を読む。


 岸田さんはそれを「目を細くする」と言う。細くすると、意味がぼやけて形だけが残る。


 僕は目を閉じた。


 閉じて、頭のなかのページを、頭から、もう一度めくった。


    ※


 一。事実は観測されるまで決まらない。


 二。見ただけでは足りない。記録され、照合され、複製されて初めて客観的な事実になる。


 三。複製の多い事実が勝つ。


 四。一度決まった事実は、覆せない。ただし、まだ照合されていない事実は、両方とも生きている。


 五。外と情報をやりとりしない場所の内側では、事実は決まらない。


 六。人は自分の観測を取り消せない。


    ※


 僕は三のところで、いつも止まっていた。


 三年、そこで止まっていた。


 複製の多いほうが勝つ。だから、多いほうを減らす。減らせないから、負ける。


 意味を追うと、そう読める。


 だが文字だけを見ると、三には、こう書いてある。


 ——複製の多い事実が勝つ。


 勝つ、とは書いてある。


 誰に対して勝つのかは、書いていない。


    ※


 僕は目を開けた。


 卓袱台の上を見た。何もなかった。


 複製は誰かに届いて、初めて意味を持つ。


 新聞が二百万部刷られても、無人島には届かない。


 届かないところには、多数派は存在しない。


 僕は立ち上がった。


 立ち上がって押し入れを開けた。


 三年前の修論の草稿を、引っぱり出した。


 最後のページを開いた。


 定規を当てて引いた線の上に、三年前の僕の字があった。


 ——窓がある以上、外の観測者は「見てしまう」。


 ——ゆえに、開扉判断は、見た者以外が行うこと。


 その、二行上。


 ——内部に人を置く場合、外部観測者は事後に開扉しないこと。


 ——開けた時点で決まる。


    ※


 僕はそのページを、両手で持った。


 開けた時点で決まる。


 逆から読む。


 開けなければ、決まらない。


 誰にとって。


 外の観測者にとってではない。


 外の観測者はもう決めている。三年前に決めた。何百枚もの紙がそれを複製している。


 決まっていないのは内側だけだ。


 内側にいる者にとってだけ、それはまだ決まっていない。


    ※


 僕は紙を置いた。


 置いた手が震えていた。


 三年間、僕は、世界が榛名を殺すことを止めようとしてきた。


 止められなかった。止められるはずがない。世界はもう決めている。


 だが僕がやるべきだったのはそこではなかった。


 世界が決めることは、止められない。


 止められるのはその決定が、僕に届くことだ。


 届かなければ、僕にとってそれは決まっていない。


 僕にとって決まっていなければ、彼女は、僕にとって生きている。


    ※


「透?」


 榛名がこちらを見ていた。


「どうしたの。顔、変だよ」


 僕は両手を膝についた。


 ついて、しばらく、そのまま動かなかった。


「間違えてた」


「なにを」


「戦う相手を」


 僕は顔を上げた。


「僕は世界と戦おうとしてた」


 彼女は首をかしげた。


「違うの?」


「違う」


 僕は言った。


「世界は、勝手に決めればいい」


    ※


「僕が、受け取らなければいい」


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