第47話 何百枚の紙が、一枚を指していた
一月に入って、僕は、もう一度、棚卸しの表を作り直した。
三度目だった。
一度目は数えるために作った。二度目は減らすために作った。
三度目は負けを確認するために作った。
※
一、報道 五件
→ 二件が再公開。三件は残存。実質、変化なし。
二、機構内部記録
→ 封緘。手が出ない。
三、行政
→ 家族以外、動かせない。
四、金融
→ 支払い済み。取り消しは家族のみ。
五、SNS 二百三十七件
→ 増えた。二百五十一件。
六、人の記憶
→ 接触禁止(本人の条件)。
七、面談記録
→ 二百十一部。回収不能。
八、望月佐和子
→ 触れない。
僕は鉛筆を置いた。
全部の項目に、手が届かないと書いてあった。
※
それでも、僕は、もう一度、頭から読み直した。
三年間やってきた読み方でだ。
一回目は意味を追う。二回目は文字だけを見る。
二回目に、見つけた。
※
死亡届には、死亡診断書が要る。
死亡診断書には、死亡の年月日時分を書く欄がある。
医師が現場に着いたのは一五時〇九分だ。医師はその時点で死亡を確認した。
だが死亡診断書に書かれた時刻は、一四時四一分だった。
二十八分、前だ。
医師はその二十八分前の現場にいない。
いない人間がなぜ時刻を書けるのか。
※
僕は郡司に見せられた記録の写しを、もう一度広げた。
右の束。死亡のほうの記録。
その最後のページに、備考欄があった。
——発見時刻及び発見時の状況については、外部観測者記録(沢渡詩織)による。
僕の手が止まった。
僕は事故調査報告書の要旨も持っていた。国会図書館で写した。
その第二章の冒頭に、同じ一文があった。
——本章の経過は、外部観測者記録(沢渡詩織)に基づく。
機構の人事記録にも、同じ引用があった。
保険会社に出された事故証明にも、同じ引用があった。
※
僕は床に紙を並べた。
六畳の畳が全部埋まった。
並べて上から見た。
全部の紙が一枚の紙を指していた。
新聞は事故調査報告を引いている。事故調査報告は外部観測者記録を引いている。行政の書類は死亡診断書を引いている。死亡診断書は外部観測者記録を引いている。保険は事故証明を引いている。事故証明は外部観測者記録を引いている。
枝が何百とある。
根は一本だった。
※
僕は畳の上に座り込んだ。
これは校正者なら誰でも知っていることだ。
本の中で、同じ誤りが何十箇所も出てくることがある。全部を直そうとすると、際限がない。だがたいてい元は一箇所だ。著者が最初に一度だけ書き間違えて、あとは自分でそれをコピーしている。
根を直せば、枝は全部、自動的に揃う。
逆も、そうだ。
根が確認できないものになれば。
枝は全部、引用元不明になる。
※
僕はノートを開いた。
三度目の棚卸しの表の、いちばん下に、新しい行を書いた。
——外部観測者記録(沢渡詩織) 一件
その横に、赤鉛筆で書いた。
——トル
書いてから、僕は長いことそれを見ていた。
二文字だった。
二文字で、何百枚の紙が、根拠を失う。
※
「透」
部屋の隅から、声がした。
榛名だった。この日、彼女は二回消えて二回戻ってきていた。
「なにしてるの」
「見つけた」
「なにを」
僕は畳の上の紙を見渡した。
白い紙が六畳いっぱいに敷き詰められていた。
「一枚だけだった」
僕は言った。
「たった一枚で全部が決まってた」
榛名は動かない輪郭でこちらを見ていた。
しばらくして彼女は言った。
「その一枚、書いた人は」
僕は答えなかった。
答えなくても、彼女は知っている。




