第41話 奪った三年を、返しに行く
部屋に帰ったのは昼前だった。
二人とも、何も食べていなかった。榛名はもともと食べなくても平気だ。僕は鍋の残りをそのまま食べた。冷たいままで食べた。
「透」
卓袱台の向かいに、彼女は座っていた。
「条件、言っていい?」
「言え」
「もう、人には会わないで」
僕は箸を止めた。
「紙は、いいよ。データも、まあ、いい。でも、人はだめ」
榛名はまっすぐ僕を見ていた。
「人からは、取らないで」
※
「わかった」
僕は言った。
「もうひとつ、いい?」
「なんだ」
「七尾ちゃんに、電話して」
僕は顔を上げた。
「なんて」
「ほんとのことを言って」
榛名は両手を膝の上に置いた。
「あの子が見たお葬式は、ほんとにあったよって」
※
僕はしばらく動けなかった。
言えば、どうなるかは分かる。
七尾さんはまた泣けるようになる。三年分の泣く場所が、彼女に戻る。戻れば、複製が戻る。
戻れば、榛名は、また持てなくなる。
「わかってるのか」
「わかってる」
「湯呑み、持てなくなる」
「うん」
「襖も、開けられなくなる」
「うん」
彼女は頷いた。
三回、同じ顔で頷いた。
「透。わたし、七尾ちゃんの泣ける場所で湯呑み持ちたくない」
※
僕は携帯を出した。
着信履歴から、深夜の番号を選んだ。
三回目の呼び出しで出た。
「……はい」
声が疲れていた。仕事中だったかもしれない。
「高梨です」
「透さん」
「昨日は、すみませんでした」
「いえ、わたしのほうが」
僕は卓袱台の木目を見た。
見ながら、言葉を組み立てた。
嘘はつかない。それはまだ守れる。
「七尾さん。この前お見せした記録のことですが」
「はい」
「あれは本物です。二系統あるのも、本当です」
「はい」
「ただ」
僕は息を吸った。
「あなたが行かれたお葬式は、本当にありました」
電話の向こうが静かになった。
「あなたが泣いた三年は、間違いではありません。あれはあなたのものです」
「……」
「僕が、余計なものをお見せしました。すみませんでした」
※
しばらく、返事がなかった。
やがて七尾さんが言った。
「透さん」
「はい」
「いま、泣いていいですか」
「はい」
電話の向こうで息を吸う音がした。
それから、彼女は泣いた。
三年ぶんの泣き方だった。声を殺していなかった。職場の休憩室か、どこかの階段か、そういう場所で遠慮なく泣いていた。
僕は切らなかった。
最後まで聞いていた。
※
電話を切って顔を上げた。
榛名は卓袱台の向かいに座っていた。
座って湯呑みに手を伸ばしていた。
指がかかった。
持ち上がらなかった。
「戻ったね」
彼女は言った。
僕は頷いた。
「うん」
「思ったより早いね」
「早いな」
榛名は指を湯呑みから離した。
離した手を、卓袱台の上に置いた。
「透」
「うん」
「わたし、いま、けっこう嬉しい」
僕は彼女の手を見ていた。
「湯呑み、持てなくなったのに」
「うん」
彼女は笑った。
その笑い方が四年前と同じだった。屈託がなかった。
僕は初めて、その笑い方に腹が立たなかった。




