第37話 わからないと言われると、泣けない
電話が鳴ったのは深夜の一時過ぎだった。
知らない番号だった。出るかどうか迷って三回目の呼び出しで出た。
「……透さん、ですか」
七尾さんだった。
声が少し崩れていた。飲んでいるのが分かった。
「はい」
「ごめんなさい、こんな時間に。番号、名刺の」
「大丈夫です」
僕は卓袱台の前に座り直した。
部屋の隅で榛名が寝ていた。寝ていたはずだった。
※
「あの、あれから、ずっと考えてて」
七尾さんの声は途切れがちだった。
「わたし、機構に電話したんです。総務の人が出て、記録が二つあるのは本当ですって言われて」
「はい」
「それで、市役所にも電話しました。そしたら、うちには死亡の記録しかありませんって言われて」
彼女はそこで少し笑った。
笑い方が乾いていた。
「どっちなんですか」
僕は目を閉じた。
「わかりません」
「わかりませんって」
「本当に、わからないんです」
電話の向こうで氷が鳴る音がした。
※
「透さん」
「はい」
「わたし、今日、あの子の店に行ったんです」
「店」
「高校のときによく行った、うどん屋さん。榛名、きつねうどんばっかり頼むんですよ。他のメニュー、たぶん一回も食べたことない」
僕はレシートを思い出した。
きつねうどん、二つ。
「それで、いつもみたいに、二人分頼んで、片方は食べないで置いといて」
彼女の声が揺れた。
「そしたら、店の人が言うんですよ。お連れさま、来られないんですかって」
「……はい」
「わたし、なんて答えたと思います?」
僕は答えなかった。
「わからないんです、って言ったんです」
七尾さんはそこで初めて泣いた。
※
「透さん」
「はい」
「三年間、わたし、あの子が死んだと思ってました」
「はい」
「死んだと思ってたから、泣けたんです」
僕の指が卓袱台の縁を掴んだ。
「わからないって言われると、泣けないんですよ」
彼女は鼻をすすった。
「泣いていいのか、待っていいのか、分からないから。どっちの顔をしてればいいのか、分からないから」
「すみません」
「謝らないでください」
彼女は言った。
「謝られると、余計に分からなくなる」
※
電話はそれから十分ほど続いた。
最後のほうはほとんど言葉になっていなかった。彼女は自分の話をして、榛名の話をして、高校の文化祭の話をして、それから、また同じことを訊いた。
「生きてるんですか」
「わかりません」
「わかりませんか」
「はい」
「そうですか」
通話が切れた。
僕は携帯をしばらく耳から離さなかった。
※
顔を上げると、榛名が立っていた。
部屋の入口に、立っていた。
寝ていなかった。たぶん最初から起きていた。
「透」
僕は携帯を置いた。
「いまの、誰」
僕は答えなかった。
答えなくても、彼女には分かっている。
「七尾ちゃん?」
僕は頷いた。
榛名はそこから動かなかった。
動かないまま、僕を見ていた。
部屋の明かりは点けていなかった。台所の換気扇の上の、小さい豆電球だけが点いていた。
その光で、彼女の輪郭が、はっきり見えた。
三日前より、ずっと、はっきりしていた。
「ねえ」
榛名が言った。
声が低かった。
この四年間で、一度も聞いたことのない声だった。
「あなた、なにしてるの」




