第35話 三年泣いてたのは、何だったんですか
SNSの二百三十七件のうち、名前と顔が分かるのは十九件だった。
そのうち、いまも動いているアカウントは、六件。
いちばん多く書き込んでいたのが、七尾という人だった。
命日ごとに、三年間、必ず書いていた。
——榛名、また十月が来ました
——二年です。まだ夢に出てきます
——三年経ちました。まだ受け入れられません
高校の同級生だった。プロフィールに勤め先が書いてあった。池袋の、大きな眼鏡屋だった。
※
僕はその店に行った。
閉店間際に入って、彼女がレジに立つのを待った。名札で分かった。七尾。下の名前は知らない。
「すみません、少しお時間を」
僕が望月榛名の名前を出すと、彼女の目が丸くなった。
「え、榛名の」
「はい」
「もしかして透さん?」
僕はそこで初めて息が詰まった。
「知ってるんですか」
「知ってます。あの子、ずっと言ってたから。院生の彼氏がいるって」
七尾さんはレジの中で両手を胸の前に持ってきた。
「会いたかった。ほんとに。お葬式のとき、探したんですよ。でも、いなくて」
僕はいた。
いちばん後ろの、廊下に近い席にいた。
いたのに、誰の記憶にも残っていない。
※
店の裏の、休憩室で話した。
自販機のコーヒーを二つ買って一つ渡した。彼女は両手で持った。持ち方が榛名と同じだった。
僕はファイルを出した。
出す前に、一度だけ、迷った。
この人は三年間、命日に書き込んできた人だ。
僕がやることはその三年に、線を引くことだ。
僕はファイルを開いた。
※
「これ、なんですか」
「機構の記録です。二系統あります」
僕は宮田さんに話したのと同じ順番で話した。
同じ順番で話すと、同じところで相手の指が止まる。人間はそういうふうにできている。
七尾さんは二つの表を、長いこと見ていた。
見ながら、コーヒーを一口も飲まなかった。
「じゃあ」
彼女の声は掠れていた。
「じゃあ、榛名は」
「わかりません」
「わからないってどういうことですか」
「記録が二つあります。どちらも正式なものです。それ以上のことは、僕にも」
「わたし」
彼女は机に手をついた。
「わたし、三年、泣いてたんですけど」
僕は彼女の手の甲を見た。
「毎年、十月十七日に休みを取って。一人で、あの子の好きだった店に行って。それで、書き込んで」
彼女の肩が震えはじめた。
「あれ、なんだったんですか」
※
僕は答えられなかった。
答えなかったのではない。答えられなかった。
彼女は両手で顔を覆った。
覆ったまま、しばらく動かなかった。
「ごめんなさい」
僕が言うと、彼女は首を振った。
「謝らないでください」
顔を上げた。
目が赤かった。
「わたし、いま、いちばん最悪なこと考えてます」
「なんですか」
「もし榛名が生きてるなら」
彼女はコーヒーの缶を握った。
「なんで、わたしのところに来ないんだろうって」
※
池袋の駅まで僕は歩いた。
地下道が長かった。人が多かった。全員がそれぞれの事実を持って歩いていた。ぶつからないように歩いていた。
部屋に帰ると、榛名が起きていた。
「おかえり」
「ただいま」
「どこ行ってたの」
「仕事」
二つ目の嘘だった。
榛名は卓袱台の前に座っていた。
座って湯呑みを両手で包んでいた。
持てるようになっている。
三日前は指がかかっただけだった。
僕はその手を見ながら、七尾さんの震えた肩を思い出した。
一人分の三年が湯呑みひとつになった。
僕はそれを、安いと思わなかった。
安いと思わなかったのに、明日も同じことをするつもりでいる自分が、そこにいた。




