第34話 ここが揃っていません
宮田さんは榛名と同じ受付にいた人だった。
いまは辞めて、相模原の駅前の歯科医院で働いている。連絡先は戸倉さんの施設の職員から回り回って手に入れた。
昼休みに、駅前のチェーンのコーヒー店で会った。
「望月さんのこと、ですか」
彼女はまだ三十前だった。前髪をピンで留めていて、それを何度も触った。
「はい」
「わたし、当時のことはあんまり」
「大丈夫です。覚えていることだけで」
僕は鞄からファイルを出した。
出しながら、自分の手つきが、ゲラを渡すときの手つきとまったく同じであることに気づいた。
※
「これ、機構の記録です」
僕は二つの表を並べてテーブルに置いた。
宮田さんは身を乗り出した。
「一四時三二分までまったく同じです。ここまではどちらも同じことが書いてある」
僕は指で表をなぞった。
「違うのはここからです。片方は心肺停止。もう片方は自力退室」
彼女の指が止まった。
「え」
「両方とも、機構の正式な記録です。改竄はありません。第三者機関が二回、真正であると認定しています」
僕はそれ以上、何も言わなかった。
言う必要がない。
僕がやっているのは指すことだけだ。
——ここが揃っていません。
あとは読んだ人が決める。
※
宮田さんは二分ほど黙って二つの表を見比べていた。
やがて顔を上げた。
「これ、どういうことですか」
「わかりません」
「わからないって」
「僕にもわからないんです。どちらが正しいのか」
彼女は前髪のピンを触った。
「でも、望月さん、亡くなりましたよね」
「そう記録されています」
「記録って」
僕は右の表を指した。
「こちらには、そう書いてあります」
それから、左の表を指した。
「こちらには、そう書いてありません」
※
宮田さんの顔から、色が抜けていくのが分かった。
「わたし、お葬式、行きました」
「はい」
「行きましたよね。あれ、行った、よね」
彼女は自分に確認していた。
僕は何も言わなかった。
「あの、写真があって。受付に、香典を出して。それで」
彼女の声が途中で細くなった。
「わたし、そのあと、お母さんに挨拶して」
彼女はそこで言葉を止めた。
止めて僕を見た。
「なんで、いま、思い出せないんだろう」
※
僕はファイルを閉じた。
「すみません。混乱させるつもりはありませんでした」
「いえ」
「ただ、記録が二つあることを、当時の方に知っておいていただきたくて」
「はい」
宮田さんは頷いた。
頷いてから、もう一度、テーブルの上の何も無いところを見た。
「あの子、いい子だったんです」
彼女は言った。
「入館証の写真、みんなが撮り忘れるんですけど、望月さんだけ、ちゃんと」
そこで言葉が止まった。
「ごめんなさい。なんの話でしたっけ」
※
店を出て駅の改札まで歩いた。
榛名は来ていなかった。人と会う日は彼女はついてこない。自分の名前が出るのが嫌なのだと、前に言っていた。
部屋に帰ったのは夕方だった。
襖を開けると、榛名が洗濯物を畳んでいた。
畳んでいた。
三日前まで触れなかったものだ。
彼女は僕を見上げて、タオルを一枚持ち上げてみせた。角がきちんと合っていた。
「見て」
「見た」
「すごくない?」
「すごい」
僕は鞄を下ろした。
下ろした鞄の中に、宮田さんに見せたファイルが入っていた。
もう一人分、減った。
僕はそのことを、彼女に言わなかった。




