第33話 彼女の死を、在庫として数える
僕は望月榛名が死んだという事実の、在庫を数えることにした。
ノートを一冊、新しく下ろした。表紙に何も書かなかった。
一ページ目に、項目を立てた。
一、報道 五件(全国紙二、地方紙二、業界紙一)
二、機構内部記録 不明(少なくとも実験記録、事故調査報告、人事記録)
三、行政 死亡届、火葬許可、住民票除票、年金停止、健康保険資格喪失
四、金融 生命保険(受取人・望月佐和子)、銀行口座凍結
五、私的記録 SNS 追悼書き込み二百三十七件
六、人の記憶 不明
七、面談記録 二百十一部(配布予定)
八、望月佐和子の生活 位牌、供花、清掃、命日
八番に、線を引いた。
線を引いてから、その行だけ、次のページに書き写した。書き写して、そのページを破らずに折り返した。
触れない、と決めたものは見えないところに置く。
※
いちばん柔らかいのは一だった。
三年前の記事はもう誰も読んでいない。読まれていない記事は、複製として弱い。
僕は地方紙の読者係に電話をかけた。
「三年前の記事について、削除のお願いをしたいのですが」
「ご遺族の方でしょうか」
僕はそこで一秒、黙った。
嘘はつかないと決めていた。つかなくても、やれる方法がある。三年間、それを仕事にしてきた。
「亡くなった方の、関係者です。当時の記録に、事実関係の不一致があります」
「不一致、と申しますと」
「時刻と、退所の記載です。機構の記録が二系統ありまして、そちらの記事は片方だけを元にしています」
相手は少し黙った。
僕は畳みかけなかった。畳みかけると、疑われる。
「確認できる資料はお持ちですか」
「あります」
僕は郡司が四谷で見せた記録の、写しを持っていた。彼は写しを取るなとは言わなかった。言われていないことは、やっていいことだ。
僕はそう自分に言った。
※
三日後、その記事はウェブから消えた。
理由は「記載内容の確認中のため一時的に非公開」だった。消えたのではなく、確認中になった。
だが複製としては、同じことだ。
確認中の記事は誰にも読まれない。
※
その夜、榛名が箸を持った。
三日前まで彼女は箸を持てなかった。鍋の前に座って、僕が食べるのを見ているだけだった。
「あ」
彼女は自分の手を見た。
人差し指と中指のあいだで、割り箸が、きちんと立っていた。
「持てた」
「持てたな」
「なんで」
僕は鍋の蓋を開けた。湯気が上がった。
「わからない」
嘘だった。
嘘を、初めてついた。
※
榛名は豆腐を一つ、崩さずにすくった。
自分でも驚いた顔をして、それをしばらく箸の先に載せたまま眺めていた。
「透」
「なんだ」
「わたし、いま、けっこう嬉しい」
「そうか」
「豆腐すくえて嬉しいってどういう人生」
彼女は笑った。
僕も笑った。
笑いながら、頭のなかでは、次の電話をかける相手のことを考えていた。
全国紙が二つ残っている。
業界紙はたぶん、いちばん簡単だ。
※
布団に入ってから、暗闇のなかでノートの一行を思い出した。
——望月榛名 死亡 トル
トルは明らかに間違っているものにしか打てない。
三年間、僕はそう教わってきたし、そう守ってきた。
いま僕が打っているトルは、間違っているものにではない。
都合の悪いものに打っている。
それは校正ではない。
改竄という。
僕は寝返りを打った。
隣で榛名の寝息がした。
その寝息が三日前より、少しだけ大きかった。




