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箱の外側で、君は死んでいる  作者: みぎみみ


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30/61

第30話 お母さんには、言わないで


 その夜、榛名は珍しく、先に布団に入らなかった。


 卓袱台の前に座って、僕がゲラを読むのを見ていた。仕事はほとんど減らされていた。岸田さんが気を回したのだと思う。四百ページのはずが、百二十ページしか来ていない。


「透」


「うん」


「今日、お母さんの家でなに考えてた」


 僕は鉛筆を止めた。


 止めたことで答えたのと同じになった。


「位牌のこと?」


「……うん」


「そう」


 榛名は卓袱台に頬をつけた。横向きになって僕のほうを見た。


 その姿勢が四年前から変わっていない。


「透」


「うん」


「約束して」


    ※


「お母さんには、言わないで」


 僕は鉛筆を置いた。


「言えば、変わるかもしれない」


「変わるよ」


「わかってて言ってるのか」


「わかってる」


 彼女は卓袱台に頬をつけたまま言った。


「わたしが生きてるって、お母さんが信じたら、その分だけ、わたしは濃くなる。あの人、三年間ずっとわたしのことだけ考えてるんだよ。あの人の信じる力、たぶん、透の百倍あるよ」


 僕は何も言えなかった。


 計算のとおりだった。彼女は僕より正確に理解していた。


「でもね」


 榛名はゆっくりと体を起こした。


「それで、うまくいかなかったら」


 彼女は自分の両手を見た。


 湯呑みを持てなくなった手を見た。


「お母さんは、もう一回、わたしを死なせることになる」


    ※


 部屋のなかが静かだった。


 隣の部屋の人が帰ってきた音がした。鍵を回して、ドアを開けて閉める。三つの音。壁が薄いから、全部聞こえる。


「三年かけて、やっと慣れたって言ってたでしょ」


「言ってた」


「あれ、ほんとに大変だったと思う」


 榛名は膝を抱えた。


「わたしね、お母さんが泣いてるところ、一回だけ見たことあるの。小学校のとき。夜中に起きたら、台所で電気つけないで泣いてた」


 彼女の声が少し低くなった。


「あのとき、わたし、寝たふりした」


「うん」


「見ちゃいけないと思ったから」


 僕はゲラの端を折った。折り目がついた。校正者がいちばんやってはいけないことだった。


「透」


「うん」


「わたし、お母さんに、もう一回わたしを死なせるのはいや」


 彼女はまっすぐ僕を見た。


「それだけは、いや」


    ※


 僕はしばらく黙っていた。


 黙っている間に、いくつも計算した。


 位牌を下ろさせずに勝てる方法。母親に触れずに複製を減らす方法。市の記録、保険、機構の書類、報道、SNS。全部足して、佐和子さんの一週間分に届くかどうか。


 届かない。


 届かないことは計算しなくても分かっていた。


「わかった」


 僕は言った。


「約束する」


 榛名の肩から、力が抜けた。


 抜けたのが見えた。輪郭が薄くなっている分、そういう動きがよく分かるようになっていた。


「ありがと」


「その代わり」


 僕は鉛筆を持ち直した。


「他は、全部やる」


「全部って」


「紙も、データも、人の記憶も」


 榛名は少しだけ眉を寄せた。


「それ、悪いことじゃないの」


「悪いことだ」


 僕はゲラの折り目を、指で伸ばした。


 伸ばしても、跡は消えなかった。


「でも、僕は君の側の事実を持ってる、たった一人の人間だ」


 彼女は何か言おうとしてやめた。


 三つ訊いて、四つ目は訊かない。


 僕はその四つ目を、四年待っていた。


 そして、たぶん、この夜も来なかった。


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