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箱の外側で、君は死んでいる  作者: みぎみみ


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29/61

第29話 母親から、悼む場所を奪えるか


 帰りのバスで僕はずっと窓を見ていた。


 小平から中野まで乗り換えが二度ある。乗り換えのたびに、頭のなかで同じ計算を繰り返した。


 あの部屋には、位牌がある。


 カレンダーが三年前の十月で止まっている。


 週に一度、窓が開けられる。


 命日に花が挿される。


 それは全部、望月榛名が死んだという事実の、複製だ。


 いちばん濃い複製だ。役所の書類より濃い。新聞より濃い。SNSの二百三十七件より、ずっと濃い。


 なぜなら、あれは毎週、更新されているからだ。


    ※


 郡司は言った。


 ——向こう側の事実を、減らす。


 ——できます。


 ——紙は捨てられる。データは消せる。人の記憶は放っておけば薄くなる。


 僕はあの部屋を思い出した。


 位牌を、下ろす。


 カレンダーを、めくる。


 窓を拭くのをやめる。


 命日に花を買うのをやめる。


 そうすれば、複製が減る。減れば、比が変わる。


 理屈のうえではそうだ。


    ※


 バスが赤信号で止まった。


 横断歩道を、老人が渡っていた。ゆっくり渡っていた。青が点滅しても、歩幅が変わらなかった。


 僕はその人を見ながら、自分の考えていることを、はっきりと言葉にした。


 僕はあの人から、悼むことを取り上げようとしている。


 三年かけて、息ができなくなって、救急車を呼んで、それでも続けてきたものを、やめさせようとしている。


 やめさせて榛名を取り戻す。


 バスが動き出した。


 僕は額を窓につけた。冷たかった。


    ※


「透」


 榛名の声がした。


 隣の座席にいた。いつからいたのかは分からない。


「あの部屋、きれいだったね」


「うん」


「わたし、あんなにきれいにしたことないよ」


 彼女は前の座席の背を見ていた。


「お母さん、掃除は苦手だったのに」


 僕は口を開いた。


 開いて、何も言わずに閉じた。


「訊かなくてよかったね」


 榛名が言った。


 僕は彼女のほうを見なかった。


「なにを」


「位牌、下ろしてくださいって」


 バスが揺れた。


    ※


 部屋に帰って僕はノートを開いた。


 開いて、二十分、何も書かなかった。


 書けることは一つしかなかった。


 ——望月佐和子。位牌、カレンダー、清掃、供花。複製、継続的に更新中。


 書いた字が他人の字みたいに見えた。


 僕はその行を見た。


 人が死んだあとに残るものを、僕はいま、数量として書いている。


 三年前の僕は遮蔽材の等価質量を計算していた。壁を何層にすれば情報が漏れないかを計算していた。


 そのときも、同じ字を書いていた。


 同じ手で同じ鉛筆で。


    ※


 鉛筆を置いた。


 置いた手でその行に線を引いた。


 消しゴムは使わなかった。使えば、書いたことがなかったことになる。


 線を引くだけにした。


 書いたことは残る。


 残したうえでやらない。


 僕はその下に一行だけ書いた。


 ——望月佐和子には、触れない。


 書いてから、しばらくしてもう一行足した。


 ——ただし、それ以外は、全部やる。


 台所で鍋の蓋が鳴った。


 榛名が湯を沸かしていた。


 彼女はもう、鍋を持ち上げられない。


 だから、水を張った鍋を火にかけたまま、それを見ているだけだった。


 僕は立って、台所へ行って代わりに白菜を切った。


 幅は揃わなかった。


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