第28話 三年前の十月で止まったカレンダー
望月佐和子の家は、小平の古い都営住宅だった。
電話をかけたら、来てくださいと言われた。断られると思っていたので、その場で言葉が出なかった。
「あの子の話ができる人、いないんです」
電話の向こうで彼女はそう言った。
※
五階建ての四階でエレベーターはなかった。
部屋は二間で、狭いが、片づいていた。台所の隅に位牌があって、その前に小さな花が挿してある。白い菊と、紫の小さいやつ。
僕は線香をあげさせてもらった。
あげながら、背中に榛名の視線を感じた。彼女は玄関の三和土に立っていた。中には入らなかった。
「お茶しかなくて」
「いえ」
「あの子の部屋、見ますか」
僕は湯呑みを置いた。
※
六畳の、南向きの部屋だった。
カーテンが開いていた。窓が拭いてある。埃がない。
机があって、その上に文庫本が三冊、重ねてあった。本棚には漫画が並んでいる。壁にカレンダーがかかっていて、三年前の十月のままだった。
「片づけられなくて」
佐和子さんは入口に立ったまま言った。
「片づけようとは思うんです。毎年、年末に。それで、掃除だけしてそのまま閉めます」
「掃除は」
「週に一回」
彼女はなんでもないことのように言った。
「窓も開けます。空気を入れないと、部屋が死にますから」
僕は机の上の文庫本に手を伸ばした。
いちばん上の一冊に、栞が挟まっていた。
開いた。
栞ではなかった。レシートだった。
——国立情報基礎研究機構 厚生棟食堂
——10/17 12:04
——きつねうどん ×2
僕はその紙を持ったまま、動けなくなった。
※
「それ」
佐和子さんが近づいてきた。
「警察から返ってきた荷物に入ってました。あの子、レシートを栞にする癖があって」
「……そうですか」
「うどんを二つ買ってるでしょう」
彼女は僕の手元を覗き込んだ。
「わたし、それを見たときに、ああ、この子は誰かと食べたんだなと思って」
僕は紙を持つ指に力を入れた。
「それで、なんだか、少しほっとしたんです」
佐和子さんは机の縁に手を置いた。
「一人じゃなかったんだって」
※
台所に戻って、僕たちは向かい合って座った。
彼女は二年目に一度、片づけようとして救急車を呼んだ話をした。息ができなくなったのだという。過呼吸だと言われて、点滴をして朝に帰された。
三年目に、それが起きなくなった話もした。
「慣れるんです」
彼女は湯呑みの縁を指でなぞった。
「慣れたくないんですけど、慣れます。命日に花を買って、掃除して線香あげて。手が勝手にやるようになる」
僕は何も言えなかった。
「たまに、鍋を作りすぎます」
彼女は笑った。
「二人分作っちゃうんです。三年経っても」
※
帰り際、玄関で靴を履いた。
三和土に、榛名が立っていた。母親と、五十センチも離れていない場所に立っていた。
佐和子さんはそこを通り抜けてドアを開けた。
通り抜けるとき、彼女の肩が榛名の腕をすり抜けた。
榛名は目を閉じた。
「高梨さん」
僕は顔を上げた。
「はい」
佐和子さんはドアノブを握ったまま、僕を見ていた。
三年前の葬儀のときより、少しだけ痩せた顔だった。
「あなた、あの子の話をしに来た人の顔じゃないですね」
僕は返事ができなかった。
「あの子を、連れてきた人の顔をしてます」
彼女はそれだけ言った。
言って、それ以上は何も訊かなかった。
三つ訊いて、四つ目は訊かない。
似ている、と思った。




