第27話 門を出るのを見た、と老人は言う
施設は八王子の外れにあった。
面会は思ったより簡単だった。名簿のコピーがあれば、あとは名乗るだけでよかった。僕は機構の関係者だと言った。半分は本当だ。
「戸倉さん、お客さんですよ」
職員が声をかけると、窓際の椅子に座っていた老人が、ゆっくりと顔を上げた。
小さい人だった。想像していたより、ずっと小さい。制服を着ていた頃はもっと大きく見えたのだろうと思わせる、そういう縮み方をしていた。
「機構の」
「はい」
「機構の人か」
戸倉さんは僕の顔を見た。
見て、それから、僕の顔ではないところを見た。
「あんた、あの学生さんか」
僕は椅子に座りかけた姿勢のまま止まった。
「バスで来る学生さん。いつも入館証を返すの忘れる」
※
覚えていた。
三年前の、僕の顔を覚えていた。
「返すの、忘れてました」
「忘れとった」
戸倉さんは笑った。歯が二本足りなかった。
「詰所まで走って戻ってきてはあはあ言うて。何遍もやった」
「何遍もやりました」
「あんた、あの受付の子と、よう並んで歩いとったな」
僕は握った手が汗ばむのを感じた。
「望月さん、ですか」
「望月さん。望月榛名さん」
戸倉さんは窓の外を見た。
中庭に、桜の木が一本ある。葉がほとんど落ちている。
「わしはな」
「はい」
「あの日、望月さんが門を出るのを見とる」
※
僕は身を乗り出した。
「何時ごろですか」
「六時二十分」
即答だった。
「なんで覚えてるんですか」
「六時半に交代やからな。あと十分やと思うとった。そこへ、望月さんが来て、お疲れさまですって言うて、頭下げて門を出た」
戸倉さんは頭を下げる真似をした。
「わしも下げた」
「一人でしたか」
「一人やった。あんたは後から出てきた」
僕の背中が椅子から離れた。
「僕が」
「あんたが。十分くらいあとや。走って出てきた。望月さんはもうバス停におった。あんたが追いついて、二人でバスに乗った」
その光景を、僕は覚えていない。
覚えていないのに、指の先が痺れた。
※
職員がお茶を持ってきた。
彼女は戸倉さんの前に湯呑みを置きながら、僕に小さく首を振った。
合わせてあげてください、という意味の首の振り方だった。
僕は頷き返した。頷き返しながら、腹の底が冷たくなった。
この人はいま、三年前の門の景色を、僕より正確に語っている。
時刻も、人数も、順番も。
その人が合わせてあげるべき人になっている。
※
「戸倉さん」
「なんや」
「その話、看護師さんにもしますか」
「する」
「毎日?」
「毎日する」
彼は湯呑みを両手で持った。
持ち方が榛名と同じだった。年寄りと若い女が同じ持ち方をするのが、少しおかしかった。
「言うとかんと、忘れるからな」
僕はその言葉に、うまく息ができなくなった。
「みんな、なんて言いますか」
「そうですねえ、って言う」
戸倉さんは湯呑みに口をつけなかった。
「そうですねえ、って言うて次の話をする」
※
帰り際、玄関で靴を履いていると、後ろから職員に呼び止められた。
「あの、失礼ですけど」
「はい」
「戸倉さん、望月さんのお話、よくされるんです」
「聞きました」
「ご家族のかたには、症状の一つだとご説明しています。実際にあった出来事と、そうでない出来事が、混ざってしまうことがありますから」
僕は靴べらを手に持ったまま、頷いた。
「そうですね」
自分の口がそう言った。
そうですねえ、と言って次の話をする。
僕も、いま、それをやった。
※
外に出ると、榛名が待っていた。
施設の門の外の、電柱の脇に立っていた。中には入ってこなかった。
「どうだった」
「……門を出るところを、見てた」
「へえ」
彼女はそれだけ言った。
「六時二十分だって。お疲れさまですって頭下げて出たって」
「言いそう」
榛名は笑った。
笑って、それから、電柱に手をついた。
手が少しだけ、電柱にめり込んでいた。




