第3話 望月榛名 存否、不一致
ゲラを開いたのは夜の九時だった。
四百六ページ。地方の民俗をあつかった単行本で、著者は七十代の元・高校教師。文章はうまくないが、丁寧だ。丁寧な文章は校正が楽になる。書いた人が一度も嘘をつく気がないと、揺れは全部うっかりでできている。
僕は赤鉛筆を持って頭から読みはじめた。
一回目は意味を追う。二回目は文字だけを見る。この二つは似ているようで別の作業で、慣れると頭のなかで切り替えができるようになる。文章を読まないようにして文字を読む。岸田さんはこれを「目を細くする」と呼ぶ。細くすると、意味がぼやけて形だけが残る。
三十一ページ。「昭和四十二年」
二百七ページ。「昭和四十三年」
同じ祭りの、同じ年の話だ。
僕は左の余白に、細い字で書いた。
——三十一頁「昭和四十二年」と不一致。ご確認ください。
直しは書かない。どちらが正しいかは、僕には分からない。分からないものを分かった顔で直すのは校正者の仕事ではない。ここが揃っていません、と指す。それだけだ。
揃っていないことは、指せる。
どちらが本当かは、指せない。
文字座に入って三年、僕がこの仕事から学んだのはたぶんそれだけだった。世の中には、揃っていないという事実だけがはっきりしていて、正解のほうはどこにもない、という種類の食い違いがある。著者に問い合わせれば片方が消える。消えたほうはもう最初から無かったことになる。本になるというのはそういうことだ。
※
二時を過ぎたころ、鉛筆の芯が丸くなったので削った。削りかすを新聞紙に落として、丸めてごみ箱に入れる。
背中を、指で二回つつかれた。
「まだやるの」
榛名だった。
彼女は僕が徹夜をしていると、必ず一度これをやる。肩を叩くでも、声をかけるでもなく、背中を指で二回。四年間ずっと同じだ。最初にやられたとき、僕は飛び上がって鉛筆を落とした。それが面白かったらしく、以来ずっと続いている。
「あと百ページ」
「ふうん」
彼女は僕の隣に座ってゲラを覗き込んだ。
「これ、何が書いてあるの」
「祭りの話。獅子舞の頭の作り方が、代替わりで変わったって」
「変わったら困るの」
「困る人もいる」
「透は」
「僕は困らない」
僕はページをめくった。紙が指の腹を擦る。
「でも、変わってないことにされるのは困る」
榛名は何も言わなかった。
僕は横目で彼女を見た。見てすぐに戻した。癖だ。
視界の端で、彼女がゲラの角を指でつまんで、めくるのを手伝おうとしてやめたのが分かった。
※
朝方、ゲラを閉じてから、僕は机の引き出しから使っていないノートを出した。
大学のときに買ったキャンパスノートで表紙に何も書いていない。院を辞めたときに全部捨てたつもりだったが、これだけ残っていた。開くと、最初の三ページだけ、方眼の上に何か書いた跡が薄く残っている。消しゴムで消したのだろう。何を書いたのかは、もう読めない。
僕はそのページを破って捨てた。
それから赤鉛筆を持ち直して、新しい一ページ目に、いつもの書式で書いた。
——望月榛名 存否、不一致。ご確認ください。
書いてからしばらくそれを見ていた。
馬鹿げている。自分の生活に校正をかける人間がいるか。いるとしたら、それはもう仕事の癖ではなく、病気の名前がついているやつだ。
それでも僕は二行目を書いた。
——岸田氏、湯呑みを二個として認識。ただし片方に使用痕なし。
三行目。
——コンビニ店員、肉まんの個数を一度誤る。訂正時、こちらの申告を確認せず。金額は最初から二個分。
四行目を書こうとして鉛筆が止まった。
僕は三年前のことを、まだ一度も書いていない。
書けない、のではない。書くと、揃っていないことが、はっきりしてしまう。
外が白みはじめていた。台所で水音がして鍋の蓋が開く音がした。
榛名は朝から鍋をあたためている。
僕はノートを閉じて引き出しの奥に戻した。




