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箱の外側で、君は死んでいる  作者: みぎみみ


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24/61

第24話 六秒、検索させただけで

 確かめずにいられなかった。


 式は書けた。理屈も通っている。だが書いた紙が正しいかどうかは、書いた紙には書いていない。


 僕は確かめた。


    ※


 岸田さんを、部屋に呼んだ。


 ゲラの受け渡しは口実だった。彼はいつもどおり歩いてきて、いつもどおり座布団を使わずに膝をついた。


 僕は茶を一つだけ淹れた。


「一杯だけですか」


「一杯だけです」


 岸田さんはその言い方に何かを感じたらしい。ゲラの束を脇に置いて、こちらを見た。


「高梨」


「はい」


「前に、湯呑みが二つあった」


「ありました」


「あれ、なんだったんだ」


 僕は卓袱台の木目を見た。


 榛名は部屋の隅にいた。膝を抱えてこちらを見ていた。


 言うな、という顔だった。


 僕は言った。


「三年前に死んだ人が、うちにいます」


    ※


 岸田さんは笑わなかった。


 驚きもしなかった。この人は驚くという表情をあまり持っていない。


「名前は」


「望月榛名。当時二十四歳。相模原の研究機関の事故で亡くなりました」


「亡くなった」


「亡くなりました。同時に生きています」


 岸田さんはしばらく僕を見ていた。


 それから、上着のポケットから携帯を出した。


「調べていいか」


 僕はそこで止めるべきだった。


 止められたはずだった。止めなかったのは確かめたかったからだ。


「どうぞ」


    ※


 岸田さんの親指が、画面の上を動いた。


 六秒。


 彼の目が上から下へ、一度だけ滑った。


「……相模原の、実験装置の事故」


 彼は読み上げた。


「非常勤職員、望月榛名さん、二十四歳、死亡」


 部屋の隅で音がした。


 榛名が膝を抱えていた手をほどいた音だった。


 僕は見た。


 彼女はそこにいた。いたが輪郭の外側が、壁の柄と混ざっていた。壁紙のクリーム色が、彼女の肩の線を通り抜けて見えた。


「高梨」


「はい」


「亡くなってるじゃないか」


 岸田さんの声は優しかった。


 優しかったのがいちばんこたえた。


    ※


 彼は三十分いて、帰った。


 帰り際に、休みを取れとだけ言った。仕事は回す、無理はするな、その二つを、彼にしては長い文章で言った。


 ドアが閉まった。


 僕は部屋の隅を見た。


「榛名」


 返事があった。


 あったが遠かった。


 同じ部屋にいるのに、隣の部屋から聞こえるような声だった。


「言ったのに」


「うん」


「言うなって顔でわかるでしょ」


「わかった」


「わかっててやったんだ」


 彼女は立ち上がろうとして途中で膝をついた。


 僕は駆け寄って腕を掴んだ。


 掴めた。掴めたが感触が違った。三日前まで、彼女の腕は僕の指を押し返してきた。いまは押し返しがない。


 握った分だけ、沈む。


「透」


「うん」


「湯呑み、持てないや」


 彼女は卓袱台の上の湯呑みを見た。手を伸ばした。指がかかった。


 持ち上がらなかった。


    ※


 僕はその夜、ノートを開かなかった。


 書くまでもなかった。


 一人だ。


 たった一人に、たった六秒、検索させただけだ。


 それで、彼女は湯呑みを持てなくなった。


 あの記事は三年間そこにあった。誰も読んでいなかった。読まれていない記事は、複製されていないのと同じだ。


 読まれた瞬間に、一つ増えた。


 僕が増やした。


    ※


 布団を敷いて、明かりを消した。


 暗闇のなかで榛名の声がした。


「透」


「うん」


「もう、しないで」


 僕は天井を見ていた。


 木目は暗くて数えられなかった。


「しない」


「ほんとに?」


「しない」


 しばらくして寝息が聞こえた。


 その寝息が三日前より小さいことを、僕は聞いてしまった。


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