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箱の外側で、君は死んでいる  作者: みぎみみ


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第23話 助けようとするほど、彼女は死ぬ


 その夜、僕は三年ぶりに紙に式を書いた。


 書けるかどうか、自信がなかった。三年やっていないと、指が忘れる。


 書けた。


 最初の三行で手が止まり、そこから先は、勝手に動いた。


    ※


 問題はこうだった。


 なぜ、この世界の事実は、ひとつに決まって見えるのか。


 理屈のうえでは決まっていなくてもいい。決まっていない状態が続いてもいい。それなのに、僕たちの日常では、机は机で、椅子は椅子で、誰かが死んだらその人は死んでいる。


 答えは四十年前に出ている。


 複製だ。


 あるものが周りの環境に情報を撒き散らす。光が当たって跳ね返る。空気が触れて温度が変わる。誰かが見る。写真を撮る。書類に書く。役所が受理する。


 そのたびに、そのものの状態の写しが、環境のなかに増えていく。


 写しが十個できると、十人が同じ答えを見る。


 写しが百万個できると、百万人が同じ答えを見る。


 誰かが見なくても、写しはもう世界中に散らばっている。だから、誰が見ても同じ答えになる。


 これを、客観的事実と呼ぶ。


 客観的事実とはコピーの多い事実のことだ。


    ※


 僕はノートに書いた。


 ——事実の客観性は、複製数で決まる。


 その下に。


 ——望月榛名の死:複製多数(記録・証言・行政・報道・追悼)


 ——望月榛名の生:複製少数(レシート三十七枚、明細一枚、写真一枚、僕)


 鉛筆の芯が折れた。削り直した。


 ——複製の少ない事実は、多い事実に淘汰される。


 これは比喩ではない。


 選択と淘汰だ。数の多いコピーが生き残る。少ないコピーは読める人がいなくなって消える。


 この世界はそうやってひとつの現実を作っている。


    ※


 ケイの言ったことが、これで説明できた。


 見る人が少ないうちは、少数派の写しが増える。ケイが榛名を見た。それは榛名が生きているという事実の複製が、ひとつ増えたということだ。だから、濃くなった。


 だが去年の担任は違った。


 クラス全員が見た。追悼式をやった。お別れの言葉を書いた。校長が挨拶をして、新聞に載って市の広報にも載った。


 複製が一気に何千と増えた。


 増えたのは死んでいるほうの写しだった。


 だから、一個になった。


    ※


 僕はノートを閉じようとして閉じられなかった。


 もう一行、書かなければならないことがあった。


 書きたくない一行だった。


 鉛筆を持った。持ったまま、二十分ほど何も書かなかった。


 台所で鍋の音がしていた。榛名が湯を沸かしている。


 僕は書いた。


 ——榛名が生きていることを、僕が他人に証明しようとするたび、


 ——その他人はまず「死んでいる」という多数派の写しに触れる。


 ——ゆえに、証明の試みは、彼女の死の複製を増やす。


 鉛筆が紙の上で止まった。


 最後の一行を、僕は、いちばん小さい字で書いた。


 ——僕が彼女を助けようとするほど、彼女は死ぬ。


    ※


「透」


 台所から声がした。


「うどん、入れていい?」


 僕は返事をしなかった。


 できなかった。


「透ー」


「……いい」


 声が割れた。


 彼女は気づかなかったふりをしてくれた。


 湯の音がして、うどんが入る音がして、それから、いつもより長い沈黙があった。


 僕はノートを閉じた。


 閉じて、引き出しの奥に押し込んで両手で顔を覆った。


 三年、泣かなかった。


 この夜も、泣かなかった。


 泣いたら、確かめたことになる。


お読みいただきありがとうございました。

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