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箱の外側で、君は死んでいる  作者: みぎみみ


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21/61

第21話 あの人は三年、あの部屋に入っていない


 帰り際、玄関で靴を履きながら、僕はもう一つだけ訊いた。


「沢渡さん。いま、機構では何を」


「資料管理課にいます」


「実験は」


「していません」


 彼女は框に立っていた。上がり框の上から、僕を見下ろす形になる。


「三年、していません」


「異動ですか」


「希望です」


 僕は靴紐を結ぶ手を止めた。


「自分で出したんですか」


「はい」


 詩織はドアノブに手をかけた。


「私はあの部屋に、一度も入っていません」


    ※


「事故のあとに、ということですか」


「事故の日にも、です」


 僕は顔を上げた。


「開扉されたんですよね」


「開けました。扉の外から、レバーを引きました。それから中に入って脈を取りました」


「入ってるじゃないですか」


「入りました」


 詩織はそこで言葉を切った。


「そのあと、一度も」


 彼女の指がドアノブの上で少しだけ動いた。


「あの棟には、月に二度、資料を取りに行きます。廊下は通ります。扉の前も通ります。中には入りません」


「なぜ」


 訊いてから僕は後悔した。


 訊かなくても分かる質問だった。分かっていて訊いたのだから、たちが悪い。


「わかりません」


 詩織は言った。


「理由をつけようと思えば、いくつでもつきます。心的外傷。回避行動。私は臨床の人間ではありません。正しい名前は知りません」


 彼女はドアを開けた。


 外の空気が入ってきた。十月の終わりの、乾いた冷たい空気だった。


「ただ、名前をつけても、私が入らないという事実は変わりません」


    ※


 階段を降りて、集合住宅の裏の駐車場まで来たところで榛名が追いついてきた。


 彼女はずっと、廊下にいたはずだった。


「聞いてた?」


「聞いてた」


 彼女は僕の半歩後ろを歩いた。歩幅が合わないので、二歩に一度だけ跳ねる。


「あの人、いい人だね」


「そうか」


「うん。だって、脈の取り方まで覚えてるんだよ」


 僕は足を止めた。


 榛名も止まった。


「榛名」


「なに」


「怒らないのか」


 彼女は駐車場のブロック塀に手をついた。


 白いブロックだった。触れたところに、埃の跡がつく。あとで誰かが見たら、その跡は無くなるだろう。


「怒れないよ」


 彼女は言った。


「あの人、間違ってないもん」


「君は生きてる」


「うん。でも、あの人が見たのも、ほんとなんでしょ」


 僕は答えられなかった。


 答えられないことが、答えだった。


    ※


 バス停まで歩いた。


 一時間に三本しかない路線で次のバスまで二十分あった。ベンチはなかったので、二人で立っていた。


「透」


「うん」


「あの人、まだ入ってないんだって」


「そうだな」


「三年、一回も」


 榛名は電柱の広告を見ていた。学習塾の、色の褪せたやつだった。


「あの人、たぶん、知ってるんだよ」


「なにを」


「入ったら、決まっちゃうこと」


 僕は彼女の横顔を見た。


 見て逸らさなかった。


「知ってて入ってないんだと思う」


 バスが来た。


 乗ったのは僕ひとりだった。


 運賃箱の表示は二人分だった。


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