第19話 扉を開けた人に、会いに行く
沢渡詩織に会えたのは十月の終わりだった。
機構の正門は通れなかったが、彼女はもう、あの建物の中にはいなかった。
郡司が住所を教えた。教えたというより、教えないという判断をしなかった。
「お会いになるのはおすすめしません」
「なぜ」
「あの方は嘘をつきません」
それだけが理由だった。
※
場所は川崎の、公務員宿舎のような集合住宅だった。
二階の角部屋。表札は出ていない。インターホンを押すと、返事の前にドアが開いた。
三年ぶりに見る顔だった。
背が高い。姿勢がいい。髪は三年前より短くなっていた。白いシャツにグレーのカーディガンで、部屋着というより、ずっと家で仕事をしている人の服だった。
「高梨さん」
彼女は驚かなかった。
「お待ちしていました」
「郡司さんから」
「昨日、電話が」
沢渡詩織はドアを大きく開けた。
「どうぞ」
※
部屋には、紙しかなかった。
テレビがない。ソファもない。壁の三面が段ボール箱で埋まっていて、床にはファイルが積み上がっている。中央に折りたたみの机がひとつ。その上に、ノートパソコンと、書きかけの原稿。
「散らかっていてすみません」
「これは」
「事故の報告書です」
彼女は椅子を出してくれた。
「三年、書いています」
「三年」
「はい」
詩織は自分の椅子に座った。座り方がまっすぐだった。
「機構の正式な報告書は、事故から八か月で出ました。私はその作成には関わっていません。停職中でしたから」
彼女は湯呑みを二つ、机に置いた。
二つ。
僕はその二つ目を見た。
「これは私の分と、高梨さんの分です」
詩織が言った。
「ほかに、どなたかいらっしゃいますか」
僕は玄関のほうを見た。
榛名は廊下に立っていた。中には入ってこなかった。
「いえ」
「そうですか」
※
「高梨さん」
詩織は湯呑みに手を触れなかった。
「三年前、あなたは廊下で六時間、扉の前にいらっしゃいました」
「らしいですね」
「らしい、というのは」
「覚えていないんです」
詩織は少し首を傾げた。
批判ではなかった。データが合わないときの、研究者の顔だった。
「私は覚えています」
「なにを」
「あなたが、開けないでくださいと言ったことを」
僕は湯呑みの湯気を見た。
「私は開けました」
詩織の声は平坦だった。
「一四時四一分、私の判断で開扉しました。警報から九分後です。規程では五分以内に開扉することになっていました。私は四分遅らせました」
「なぜ」
「あなたが、そう言ったからです」
部屋が静かだった。
紙の匂いだけがした。
「四分早く開けていれば、助かったかどうかは分かりません。分からないから、報告書には書けません。書けないことを三年書いています」
彼女は初めて湯呑みに手を伸ばして、しかし持ち上げなかった。
「高梨さん。あなたが何を訊きにいらしたか、分かります」
僕は口を開いた。
開いたが声が出なかった。
「望月さんは、亡くなりました」
詩織はまっすぐに言った。
「私が確認しました」




